絆創膏と救急箱と花束(と蜜柑)

こんばんは。あなたに向けたお手紙2通目です。
今日はクリスマスイヴですね。ケーキ、食べましたか?

あなたの撮ったイルミネーションの写真、とても綺麗でした。そして、あなたの想いを読んで、胸が苦しくなりました。そんなあなたのことを想うと同時に、自分の幼いころの寂しさも思い出しました。
きっとあなたも、今まで生きてきた年齢の数だけ、クリスマスやお誕生日をやり過ごしてきたんじゃないだろうかと思います。お誕生日といえば、あなたはどの季節に生れたのだろう。個人的なイメージですが、あなたには透きとおった水色やきれいなグリーンを感じます。春に芽吹く草花の色です。ちなみにわたしは夏生まれです。そんなことを思いながら、書きかけの手紙を完成させています。

この手紙はプレゼントと呼べるような立派なものではないけれど、せっかくなのでクリスマス・イブの今日に贈ります(0時を過ぎてしまったことには目を瞑ってくれると助かります)。あなたの言葉に対してのファンレターみたいなものだと思ってください。
「きっと言葉は思いを伝えられる物ではない」という、あなたの書いた一文について、しばらく考えていました。あなたはとても責任感が強くて真面目な人なんだな、と思うと同時に、あなたはあなた自身の良さを、あまり知らないんじゃないかなと、ふわりと思ったのです。
言葉は万能どころか脆いけれど、それでもあなたの言葉にはちゃんと力があるよ。それを伝えたくて、数日前からちょっとずつ書いていました(無理はしてないので、安心してくださいね)。いつか暇な時間があれば、読んでくれたら嬉しいです。
軽やかなものを目指したはずだったのですが、失敗しました。長いです、ごめんなさい。

わたしはあまりに言葉を信頼しすぎているのかもしれないと、あなたの考え方にハッとさせられました。たしかに、言葉の先に行為がなければ、ときに言葉は嘘になってしまう。
でもね、あなたが贈ってくれる言葉の向こう側に、わたしはあなたの心を見ています。あなたがそう思ってくれたこと自体が、嬉しいのです。なので、うまく言えないけれど、思いは伝わっています。受け取っています。蜜柑と同じように。

言葉は儚くて白々しく、いつでも嘘になるような頼りのないものです。でも、そこにはきちんと「しるし」が埋めこまれている。人の心から出てきたものだ、その時その人は本気なんだという真剣さが、言葉の並びの裏にきちんと存在している。祈りや願いにも聞こえる、絞り出されたヒリヒリしたもの。ときには飴玉みたいにつるりと丸くて優しいけれど、固くて尖っていて触ると痛そうな石みたいなときもある。叫んでいる時も、泣いている時も、そっと呟いている時も、弾んでいる時もある。そのどれもが、あなたの言葉だなって分かる。わたしは、あなたのそういうところに惹かれています。
真剣に生きていること、丁寧に扱うこと、負けないこと、どんなに辛くてもその尖った刃先を自分に向けてまで何かを守っていること、そのぎりぎりでいつも戦っていること、それなのに感謝を忘れず人のためにも生きていること。そういったことが、ひしひしと伝わってきます。

わたしの受け取り方が、事実とそっくり同じだとは思いません。本当はもっと暗いことがあって、逆にもっと明るいこともあって。それでも、中心にあるものはぼんやり見えます。それはあなたの心、心臓なんだと思う。ちゃんと赤い血が流れていて、いつも規則的に動いていて、あなたを生かしているもの。生れたときからあなたの体の中心にあって、あなたを守ってきたもの。そこから生み出された言葉だ。そう感じます。

言葉の裏に見え隠れするあなたの姿をいつも追いかけています。見えそうで見えない、でもかたちにしてしまわないからこそ伝わってくる部分もあって。
つまり何が言いたいかというと、わたしはあなたの言葉をいつも信じています、ということです。理由はうまく説明できません。直感です。
もちろん人は変化する生き物だし、その言葉を綴っているときにすべての可能性を考慮できるわけでもない。すべてを自分の外側にそっくり出して証明する必要だってありません。人はみな秘密や罪を抱えているものだから。そういう弱さをお互いに持っていることを知っているから。だから、最終的にその言葉は真実を語っていないことになる可能性がある。そして、その危険性はわたしの言葉も同じです。自分の言葉を行動で裏切ることもある。
それでも、わたしはあなたの言葉を信じています。もしあなたがわたしの脆い言葉を信じてくれているのなら、それと同じように。

あなたはわたしに半分の蜜柑をくれたけれど、それはもう完璧に愛だったよ。
あなたも蜜柑のかたちをした愛をまわりの人から受け取って、そのお返しにあなたはその人たちに愛を返している。言葉や態度、色々なかたちをしたもので。あなたは周りの人々と愛を渡しあえていると思います。
あなたは「自分にも人を愛せるのだと思う」と言っていたけれど、もうすでに愛することができているよ。きっと言葉や行動で示したそれは、相手に伝わっているのではないでしょうか。
わたしは蜜柑を半分個してあげたいというあなたの気持ちを受け取っただけで、とっても幸せな気持ちになりました。あなたがそう思ってくれたことが、嬉しい。画面を見ながら、しばらくのあいだ一人で笑みを浮かべていました。傍からみたら怪しい人だったと思います。愛を受けとって、じわじわと体の芯があたたかくなりました。
あなたの言葉には、愛を届けられるくらいに、しっかりとした力があります。愛が乗っても壊れないくらい、しっかりとした体を持っている。わたしみたいにたくさんの言葉を並べなくても、たった数語の言葉で表現できる。あなたの言葉を目にするたびにハッとします。

これ以上どうしたらいいだろう、どうしたら伝わるだろう。書けば書くほど、言葉が軽く薄っぺらくなっていくような気がする。わたしは色んなところから集めてきた言葉を両手に持っているけれど、それを適切に使って伝えることができずにいて、いつも、もどかしいです。わたしの拙い言葉でも、少しは伝わってるかな?

こういうふうにたくさんの言葉を贈ることは、大切な人に抱きしめられることには敵わないかもしれません。
でも、人との縁というものはけっこう大事だと思います。大切にしたいのです、あなたとの縁は。なので、わたしなりにその縁を(疲れない程度の距離感で)大事にする方法をのんびり考えています。
いくら広いインターネットだからといって、誰とでも出会えるわけじゃないし、語り合えるわけじゃない。でもあなたとは、どこかで分かりあえるものがあるような気がしています。もちろん迷惑でしたら、遠慮せずにそれとなく伝えてくださいね。わたしは人との距離感をあまり上手に掴めないところが短所なので、あなたの負担になっていないか心配です。それでもわたしは多分、あなたと友達になれたことが嬉しくて、そわそわしてしまうんだと思う。うるさくてごめんね。
とにかく、あなたが元気になってくれたら嬉しい。それだけを願っています。
この長い手紙に対して、同じくらいの質量でお返しをしなければと感じさせてしまうのではないか、と恐れています。そんな必要はまったくありません。お忙しい日々の中でもし読んでくれていたら、少しでもあなたを癒せたとしたら、それだけでこの手紙は意味になります。

このあいだ電車に乗っているとき、ぼんやりあなたのことを考えていました。今はもう安全な部屋を手に入れたあなただけれど、寒くないだろうか、体は痛くないだろうか、夜中に何度も目を覚ましていないだろうか。
わたしも、孤独に押しつぶされそうになりながら、涙が止まらなくて音楽しか縋るものがない恐怖に塗れた夜を過ごしたことが何度もあります。だから、あなたの苦しみの一欠片くらいしか分からないかもしれないけれど、恐怖をやり過ごすことの恐ろしさは想像できます。ときに挫けそうになる。
あなたが、言葉ではとても表現できないような苦痛と痛みの嵐のなかにいる夜を想像しては、心が千切れそうになります。あなたのお家の呼び鈴を鳴らして、部屋から連れ出して、丸くて柔らかいものしかない場所に連れていきたい。それか、一緒に海を見たり、波の音を聴けたらなと思います。そうやってぼんやり充電できたら、あたたかくて安全な部屋に帰りましょう。ゆっくりお風呂に入って、あたたかいものを飲んで、安心して目を瞑ってください。

自分でもどうしてこんなに懸命にあなたに言葉を紡ぐのか分かりません。わたしはあまり人と関わるのが得意ではなくって、かなり警戒して人を選びます。怖いんです、どこまでも臆病なんです。
でも、あなたは怖くない。心の奥のほうで、深呼吸するみたいに安心できる。フィーリングなのかな、どこかで合うものを(勝手ながら)感じてます。わたしが人生を通して考えてきたことをあなたも考えていて、共感することもあれば、あなたのおかげで理解できたこともあります。もちろんあなたの思考の深さに及びませんが、それでも、友人だと言ってくれてとても嬉しかった。

最大限あなたを傷つけないような言い方を探したのですが、でもきっと傷つけてしまうかもしれません。もうすでにこういう配慮をしていると告白することが、気の遣いすぎで傷つけてしまっているかもしれない。
それでもわたしは、あなたの境遇があまり明るくないものだからという理由で、あなたの近くにいるわけではありません、ということを知っていてほしいです。
あなたのぼんやりと透けてみえる人柄だったり、物の見方や感性や考え方、気持ち、綺麗を見つけるところ、一生懸命に上を見上げていたら飛行機雲を見つけるところ。それから、あなたが好きな人のことを想うときの素敵な言葉。
そういう色んなものに共感と感動をおぼえ、ちょっとずつ人として惹かれているから、あなたのことを考え、あなたのことを知りたいと思って、関わらせていただいているのです。同じような境遇の方だったら誰にでもそう思うわけじゃないんです。
もちろん、あなたの人生における出来事を軽んじているわけでは絶対にありません。ただ、それだけで関わっているわけではないということを、個人的に知ってほしかった。これはわたしの個人的な願望です。

わたしの未熟さで傷つけてはいませんか、ごめんなさい。
わたしはそんなに頭の回転が早くもなければ広げられる地図も小さいので、色んなものが欠けているかもしれません。なので、どうか失礼のないようにと願うことしかできません。
言葉だけだと、どうしてもあなたの人生の一部分しか捉えられないので、わたしはきっとあなたの人生で光っていた部分をたくさん見落としているのだと思う。だから、あなたがどんなときに笑うのかな、何を食べて美味しいと思うのかな。そんな光っているところも探しながら、あなたの文章を読んでいます。

きっとこれから、あなたはもっと大きな過去と向き合うのだと思います。わたしの好意が、もしそれを邪魔していたら申し訳なく思います。吐き出しきれてない感情などがあれば、気を遣わずにちゃんと解毒してくださいね。真っ黒いもの、ちゃんと外側に出してください。あなたの言葉を読んで傷つくのが嫌だったら、わたしは今ここにいないです。もし気を遣わせていたら大変だと思って、伝えました。わたしは最後まで見守っています。
あなたは優しい人です。わたしがあなたを「優しい人だ」というふうに捉えたくて決めつけているのではなく、あなたは優しい眼差しでもって、わたしの自分でも気づいていなかった側面を拾って、あなたの言葉で気づかせてくれる。そういうふうに生きている瞳や心は、ちゃんとピカピカで綺麗です。

あなたは汚くない。間違ってない。

わたしがあなたに「綺麗だよ」と言うたびに、あなたを追い詰めているのかもしれないとも思います。ただ、100%の純粋さで綺麗な人なんていないと思います。わたしもあなたも、他のみんなも、ある程度は灰色なのだと思う。生きるってそういうことですよね、きっと。それでも、あなたには綺麗なところがいっぱいあるよ。わたしにもきっと綺麗なところがあるのと同じように。
だから、嘘をついてまで、綺麗の反対の言葉を言いたくない。たとえあなたのためでも、傷つけたくない。あなたは誰かの罪を背負っているのかもしれない。でも、それを他の誰も罰しないからといって、あなた自身があなたを罰する必要なんてない。あなたは悪くないから。もし自分だったらって考えると、わたしはあなたの強さと美しさに涙が出てくるよ。必要以上にずっと強くならなきゃいけなかったんだな、って、読んでいて、いつもじくじく痛くてたまらないよ。あなたが汚いわけないよ。わたしはそう思うよ。世界って本当に恐ろしい場所なのに、なんとか生き抜いてきたあなたのことを考えると、いつも胸が詰まる。じゃないと、こんな長々と文章を書いて伝えようとしないよ。
ちょっとずつでいいから、わたしの言葉を信じてくれたら。あなたのすべてを知らないわたしが言うのは説得力がないかもしれないけれど、それでも。
「一人じゃないよ」は、あなたが言ってくれた言葉です。わたしはその言葉に勇気づけられました。わたしもあなたに、そう伝えたい。布団のなかで一人きりで戦っていたとしても、でも、一人じゃないよ。遠い場所にいるけれど、わたしは愛おしい文通相手のことを日々案じています。

自信を持って下さい。きっと大丈夫になりますから。もうすでに大丈夫になったことも、きっとたくさんあるのではないでしょうか。それと同じように、色んな「大丈夫」が、ちょっとずつ増えていくのではないでしょうか。

それから、これはわたしの個人的な願望なので聞き流してほしいのですが。
もしあなたが望んでくれたら、そのときは、わたしは両腕に抱えきれないくらいたくさんの絆創膏と、救急箱と、花束を持って走っていきます。止血を手伝いに。
血液から色素を抜いたものを止めるのも手伝います。もしわたしにできることがあれば。蜜柑もたくさん持っていきます。
それから、もし嫌じゃなければ、ぎゅうとさせてください。大人のあなたと、きっとそのなかにいる子供のあなたも、両方。もし嫌じゃなければ(大事なことなので2回言いました)。

きっと日本の中心あたりに住んでいるんだろうな、くらいしか知らないあなたに言えることではないかもしれない。実際にわたしはお金もないから、まずお金を貯めてからになるけれど、でも、もし本当にあなたがそれを必要とするなら、わたしは走っていきます。だからどうか、どうか、泣かないで。

愛は伝わりましたか? ちょっとでも伝わってたら嬉しいなって思います。

ときどき交換日記を通して、繋がってないようにみえて繋がっているような、そんなぼんやりとしたやり取りがこれからも続いてくれたら、と願っています。

忘れたころに、また手紙を投函します。(今回も短くまとめられませんでした。ごめんなさい…。)
お互いに、穏やかな年末年始を迎えましょう。あなたは今まで生きてきたんです、来年も大丈夫に決まってます。本当に、本当にすごいことです。
冬のあいだに、春が来るまえに、たくさん蜜柑を食べてください。ちょっと早いですが、来年もどうぞよろしくお願いします🌿
最後に。いつかあなたが、本当に会いたい人に、どうか会えますように。あなたの大切な人は、あなたと出会った瞬間、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、泣いたと思う。無事に生まれてきてくれてよかったって。だから、一緒に生きていきましょう。

PS. わたしも蜜柑が食べたくて買いに行ったのですが、高くて買えませんでした。悲しかったです。なので描きました、ニコニコの蜜柑。

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