翼をやすめて
もしかしたらまだ言葉には力があって、届くこともあるんだ、受け取ってくれる人がいるんだってことに、じりじり焼けつくみたいに心が熱くなるというか、これは感動してるんだと思います。
あなたに救われています、とても。
丁寧に言葉を使って伝えようとしてくれる優しさに、何度もあなたの言葉を読み返しています。こちらこそ、いつも本当にありがとう。会ったことのない人とSNSで関わらせていただいて、こんなにうれしく思ったのは初めてです。こういう気持ちにさせてくれて、ありがとう。
これは置き手紙みたいなものだと思って下さい。「受け取ってほしい」と押しつけるものではないので、すこし離れた場所に、そっと置かせてもらいました。どうかあなたに負担を強いるものでないことを、わたしの無神経さであなたを傷つけるようなことがないように、と願っています。
でも、あなたの言葉に心が震えて、感謝を伝えたいと思ったのです。ただ感じたことを淡々としたためたので、まとまりのない文章です。押しつけがましいことは承知ですが、勝手ながら「なんとなく時間を何かで埋めたいような気持ちになったとき、ちらりと読んでいただけたら」なんて気持ちでいます。
人間の寂しさや欲張りなこころを満たせる手段にあふれ、複雑に成長してきた社会のなかで、色んなものに振りまわされ引き伸ばされて、誰かの心の空洞を埋めるために奔走してへとへとに疲れてしまった人がたくさんいます。これはわたしの勝手な印象でしかないけれど、あなたもきっとそんなふうに、誰かのために自分を犠牲にして頑張ってきた人のひとりなんじゃないのかな、と感じています(「犠牲」という言葉の使い方はとっても難しくて、適切かどうか自信がありません。強すぎる意味合いを帯びてしまったかもしれません。もし嫌な気持ちにさせてしまったら、本当にごめんなさい)。
目の前にいる人に与えることばかり考えることは「優しさ」と表現できるかもしれないけれど、あんまり優しすぎて、ちょっとずつあなたの傷口から流れ出る血が増えていることにも気づかないくらい、自分以外の人のために頑張りすぎてしまったのではないですか。もう十分なのではないですか、どうかどうか、自分を許してあげてください。
月並みな表現なうえ無責任な言葉かもしれないけれど、あなたには、心が休まる30秒を積み重ねてほしいです。長い時間ぼんやりと安心することはきっと難しいかもしれませんが、たった30秒でも、一瞬でも、そんな時間をたくさん過ごせますように、って思っています。
これはわたしの友人にも伝えたことなのですが、わたしは苦しくなったとき、「今から1時間は99%何も起こらない安全な時間だ。1%の確率で何かが起きるかもしれないけれど、でもほとんど安全なんだ」と思うようにしています。深く呼吸しながら、この暗示を少しずつ繰り返していきます。気休めかもしれない、効力なんてないのかもしれません。でも、気休めが本気を出してくれる日もあるんじゃないかなと考えるのは、あまりに楽観的でしょうか。
あなたが少しでも穏やかに眠れる夜がふえていくことを、遠くから願っています。あたたかいお布団は正義です、あたたかさは正義です。あたたかい飲み物も追加しましょう。カップで指先をあたためて、その手であなた自身を、幼い頃のあなたを、そっと抱きしめてあげてほしいです。
わたしにはとても耐えられないような経験を(ごめんなさい、陳腐な表現を許して下さい。今のわたしには、あなたの苦しみを言葉で表現できるなんて、到底思えないのです)されてきたのに、それは絶対にあなたのせいじゃないのに、それでも今日も息をしているあなたは本当に強くてかっこいいと思います。尊敬しています。
あなたがタイムラインに現れると、ほっとします。あなたの言葉や表現が好きです。過去と対峙する姿勢に勇気をもらっています。反応をいただけると、心がざわざわするくらい嬉しいです。
会ったことはないけれど、まだインターネットですれ違ってたった数日だけれど、こういうふうに思っている人間が遠くにいるということが、あなたを闇に引きずり込もうとする力に抵抗するエネルギーのちいさな一粒になったとしたら、すごくすごく、嬉しいです。
傷口が完璧にふさがるには時間がかかるかもしれない、ふさがった傷口は他の人にくらべて歪かもしれない。でも、それはあなただけの傷跡で、わたしは自分の歪なかたちをいつか受け止められるようになれたらいいな、と思いながら、今日もなんとなくパンを齧ったりしています。自分で全部を背負えるほどわたしは真面目じゃないので、半分くらいは時間のなかに放りなげながら。
ただ、その時間をやり過ごすことがなかなか難しいという現実はありますよね。わたしも日々「どうしようか」と頭を悩ませています。でも、最近はいつの間にか眠りに落ちている日がちょっとずつ増えてきました。
自分の内側に溜めこんでおけないこと、ひとりでは抱えきれないことは、ぜひ吐き出して、少しずつ解毒していって、いつかは心身ともに今より軽やかになれることをお祈りしてます。あなたには、わたしの好きな人と同じくらい、これからはどうか世界に愛されてほしいです。
言葉というのはどうしても遠くて、たとえばあなたの傷を私が本当に理解するには、あなたになって、あなたが過ごしてきた時間を体験してみないとわかりません。そして、それは今の世界では難しいことです。
それでも、あなたがどれほど傷ついてきたのか、あなたの言葉を読んで、わたしなりに想像してみようとすることはできます。そのうえで、わたしには到底わからないくらい深い傷を受けてきた人生はほんとうにあなただけのもので、わかろうとすると同時に、わからないからこそ尊重したいと思うのです(これは、決してあなたを傷つけてきた経験を(第三者のわたしが)肯定する、という意味ではありません。わざわざ経験すべきことだったなんて思いません、でも、それを乗り越えて生きてきた、頑張ってきたということは、あなたの人生そのものだと思うから。そういうすべての経験に対してあれこれ言えるのは、世界中であなただけです。「尊重したい」というのは、そういう意味です。何かと相対的に比べて傷の大きさ深さや苦しみの大小、努力の程度を測ったりせずに、あなたをそのまま見るべきだと思うから。わたしの未熟な言葉でも、どうか伝わりますように)。
あなたの人生にはきっと、嬉しいことや楽しいことも、きらきらとまぶしい綺麗な瞬間もあったと思います、愛だってありました、そしてこれから新しい愛を捕まえることもできます、そうに決まってます。そうであってほしいです。そうであってほしい。もっともっと増えていきます、明るくて光っている、あたたかいものが。
最後に。あなたのツイートを拝見させていただいたのですが、大切な人の黒髪をみて綺麗だなと感じる感性、とても素敵だと思いました。
綺麗なものを綺麗だと思える人って、実はそんなに多くない気がします。あなたは綺麗なものを綺麗だと感じとれる、美しい心を持った人だと思います。世界のすべてを綺麗だと思う必要はないと思いますし、わたしも世界のすべてが綺麗だなんて思っていません。自分にとって「綺麗だな」と思えるものが一つでも見えていることが大事なんだと思います。
それから、これは個人的な「願い」です。でしゃばりすぎていることは承知です。それでも、どうか、あなた自身のために、あなた自身のことも他の誰かのことも傷つけないで済みますように、と思わずにはいられません。あなたがもっと傷ついちゃうから。これ以上、傷つく必要なんてないよ。
それでもどうしてもやり過ごせない夜があったら、包装のプチプチを潰すとか、なんだろう、あまりセンスがないので思いつかないのですが、思わず笑ってしまうような何かにぶつけて下さい。そんなのじゃ、とても足りないかな。ごめんなさい、なかなか代案が思いつきません。
長々とごめんなさい。こんなに長く書くつもりはなかったのですが、短い文字数でまとめられるほど要約する能力がなくて、だらだらと申し訳ないです。
また、ほんの少しの言葉を交わしただけなのに、知ったようなことを書いてしまってごめんなさい。なんとなく上から目線のような内容で、ごめんなさい。きっとあなたのほうが長く生きていますよね。わたしにはまだ人生について分からないことがたくさんあって、だから言葉を連ねても薄っぺらくなってしまうかもしれない。見当違いの間違った言葉があるかもしれない。それでも、ここには思ったことをそのまま、素直に書きました。
これは直接的すぎる言葉かもしれないけれど、本当に自分勝手で無責任な言葉かもしれないけれど、あなたには生きていてほしいです。
生きていくために、これからも閉じきらない傷のじくじくとした痛みをやり過ごすことになっても、そういう痛みに気が狂いそうになっても、そしてその痛みをわたしはそっくり取り除いてあげることなんてできないから、その痛みを知っていて一方的にこう言うのはとても残酷で無責任なことだと自覚していても。
それでも、生きていてほしいです。
わたしはあなたに急に近づきすぎてしまったかもしれません。これは自己満足の文章なので、気を遣ったりしないでくださいね。こんなにたくさんの情報を一方的に押しつけてしまって、さらに疲れさせてしまったら本当に申し訳ないです。
それでも、もし良かったら。あなたなりの距離感で、これからも視界の端っこにわたしの言葉を映してくれたら、それだけでわたしは幸せです。もし読んでもらえたら、あわよくば少しでもあなたを癒すことができたとしたら、わたしはとても嬉しい。それだけが目的です。
明日も健やかに生きていきましょう。読んでくれて、どうもありがとう。
これからも、なんとなくふわり・ゆるりと繋がっていけたら🌿
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