藍色の、

あじさいの咲く季節になると、ある人を思い出す。昔からずっと好きな人。
「少しの間だけ、わたしの好きな人がお兄さんになる季節だ」。
そう思って、君の誕生日と、わたしの誕生日の間の一ヶ月ちょっとを過ごす。

お誕生日おめでとう。
色んな理由で、色んな人たちがひっそりといなくなってしまう世界で、わたしたち二人とも、今日まで生き抜いたんだね。そう考えると、なんだか切ないような痛いような、甘くてあたたかい気持ちになる。


今年は、思い切って手紙を書いてみたよ。
君は「なげーわ!」とか心のなかで突っ込みながらも、なんだかんだ最後まで読んでくれるような気がする。あわよくば、ちょっと元気になってくれたら嬉しいな、なんて思う。
話すのはハードルが高いけれど、文字なら(多分)素直に言える。君の中でまだわたしが生きていて、また会いたいと思ってくれてるなら、今度きっと直接「おめでとう」って言うから。今は手紙で許してほしい。

手紙は、人に想いを伝えるもの。
あなたに対しての気持ちは、今までで一度も上手に整理できたことがない。
いつも筋が通らずにぐちゃぐちゃ、感情的で矛盾してて断片的。きっと自分にとって都合が良いように主観的に捉えてて、願いや欲に塗れているのに、それを隠すために色んな所がねじ曲がって歪んで破けてて、爆発してる。

わたしは基本的に人と上手に関われないけれど、その中でも君とは特に、上手に関われない。「うまくやろう」「恥ずかしくない自分でいたい」とか、気負ってるからだと思う。でも今年は、そのせいで言えなかったこと、「本当はこういうことを話すべきだった。伝えたかった」って今でも思っていることを、勇気を出して書いてみた。綺麗に整えたりせず、そのまま丸ごと、書いてみた。
「仲良くしたい人同士ほど、どう思っているかをこまめに丁寧に伝え合うものなんだ。それがコミュニケーションなんだ」と知ったのはつい最近で。こういう未熟さが、君を傷つけてきたような気がする。
昔の失敗を無かったことにはできないけれど、まだ線は繋がっているんじゃないか。そう思っています。


あなたのことを思い出すとき、いつも最後に会ってくれたときの姿がぼんやり思い浮かぶ。
喫茶店までの道のり、やっぱりわたしよりちょっと背が高くて、黒いリュック姿は高校生の頃とかぶるのに、君はもうしっかりと大人になってた。十代の男の子特有のキラキラは確かに素敵だったけれど、少しだけ陰が入った大人の君の表情や仕草に、ぐいっと惹かれてしまった。

最後に会ったの、もう二年近くも前になるんだね。もうこんなに経つんだ。
あのとき会ってくれて、本当にありがとう。

実は君が向こうに戻ってから、誕生日プレゼントに小さな写真集を買ったんだよ。また今度会えたら渡そうと思って。赤ちゃんと犬の写真集。わたしはたくさん貰ったのに、わたしからは渡せなかったのが、ずっと気掛かりだった。
悶々としながらぐるぐるウロウロと紀伊国屋を歩きまわって、君の好みや趣味なんかを考えつつも、最終的には直感で買った。目に止まって、「あ。この写真、見てほしい」って思った。
君からもらったプレゼントはまだちゃんと持っている。君はいつも優しかったね。本当は、心から嬉しかったんだよ。でも嬉しいことや喜びに慣れていなかったから、どうしていいか分からなくて、一緒にいるときは色んな感情が溢れてどこか硬直してた。変な自分を見せるのが怖くて、いつも緊張してた。
「嬉しい」も「楽しい」も上手に表現できなくて、不安や寂しい思いをさせてしまった気がする。ごめんね、ごめん。二人でいたら楽しかった。安心した。そういう想いを、もっとたくさん表現できたらよかった。

わたしは自分の不幸にずっと支配されてた。君の喜びや悲しみ、悩みや望みに気付いてあげられなかった。本当に自己中心的だったなって、余裕が生まれた今なら分かる。君だってわたしと同じように色んな事に悩んでいて、色んなことを今もたくさん抱えていているんだよね。当たり前のことなのに、その当たり前が見えてなかった。

「今、何してるんだろう」「悩んでないかな」って、よく思う。
苦しみや悲しみを、外に吐き出さずに内側に溜め込んでいるような気がする。君はかっこつけだもんね。でも、そういう所にすら惹かれてしまう。「やっぱり、ちゃんと男の子なんだな」「わたしとは違うんだな」って、今も奥のほうがキュッとなる。男の子って言ったら失礼だね。でも「男性」って言うのは、ちょっと不慣れで、恥ずかしい。

でも、どうか弱さを嫌悪しないでね。弱さを無視することもまた弱さだけれど、その弱さを見つめることは、間違いなく強さだから。わたしは君の強くてかっこいい所だけを好きになったわけじゃないよ。君の弱さすら知りたいと、どこかで思ったんだよ。裏表のどちらも見せてほしい、見たいって、思ったんだよ。

君の「本当」が知りたい。わたしも少しずつ「本当」を、言うから。

わたしは自分に自信がなくて、君の気持ちを信じきれなくて、不安定に振り回していたと思う。誰かに求められると「わたしも誰かに必要にされてるんだ」と安心して、言われるがままふわりと流されることもあった。「わたしは君に必要なのかな」って、実はずっと怖かった。自分が可愛くないこと、知っていたから。君はちゃんと「かわいい」って伝えてくれてたのに。でも、他のもっと素敵な女の子たちが怖かった、今も怖い。これが、わたしの弱さのひとつ。「本当」のひとつ。

でも、君はわたしを大切にしてくれてたね。それはちゃんと知ってる。わたしも不器用だったけれど、君も不器用だった。お互いに、幼くて、可愛かったね。
でもその不器用さに、本当に、本当に助けられてた。どこにいても居場所がないような気がして心許なくて、ずっと寂しくて不安でどうしようもなかったけれど、わたしより少し大きくてあたたかい身体にくっついていると、泣けてくるほどに、心から安心したんだよ。あの時期だけは、いつも不安になる夜が救いだった。

それから、こないだの作品は本当にすごかったよ。かかった時間と手間と労力を想像すると気が遠くなったし、やっぱり君の声は最高。実はね、わたしがいちばん最初に高評価ボタン押したんだよ。
2019年の春から、ずっと画面の中の君を追いかけている。
君が歌っていた曲の歌詞はすぐに調べたりして、勝手に色んなことを考えて一喜一憂してた(完全に自意識過剰でしんどかった)。ラバーソウルの曲順はもう覚えたし、「In My Life」も「Black Bird」も大好きな曲だけど、本当は「Baby, It's you」をいちばん聴いた。それから、藍色が好きになった。くるりやスピッツは、聴くと寂しくなるからちょっと避けてた。
途中まで読んでもらって助言まで送ってくれた書きかけの原稿、ちゃんと忘れてない。ずっと書けなくてもがいてるけれど、でも、いつも頭の片隅にある。あれは無駄にしないよ。真剣に読んでくれたの、伝わってきたもの。

冒頭にも書いたけれど、二年前の夏に会えたときのこと。実は、ずっと緊張してた。わたしは外見も中身もボロボロで参ってて、動揺しておかしくなった自分が表に出てきそうで少し怖かったけれど、嬉しくてふわふわしてた。それから、本当は少しだけ触りたかった。手とか繋ぎたかったし、背中にくっつきたかった。さすがにしないけど、でも、ちょっとだけそう思ってしまった。ベーグルの味もコーヒーの味も、お店の方には大変申し訳ないけれど、正直あんまり覚えてない。
あのとき会ってくれて、本当にありがとうね。あのときの記憶を抱きしめて乗り越えた夜、あれからたくさんあったんだよ。

自分から連絡しておきながら、何も行動できなくてごめんなさい。
去年、わたしはまた静かに挫折してしまった。本当は君の住んでる場所に行けるように頑張りたかったけれど、色んなことがあって「もう全部が無理なのかもしれない。自分には何も変えられないのかも」と、君のことを忘れようと努めた。なんとなく「もう終わっちゃったのかな」とも、正直思った。
つまり、また自分からふっかけておいて、さらに勝手に自己完結しようとした。我ながら最低最悪だと思う。「何回目だよ」って、君に見限られても仕方ないようなことを、またしそうになった。これは許してもらいたくて言うのではなくて、そろそろ本当の自分を知ってもらうタイミングなのかな、って思ったから。

わたしは君のことを忘れようと努めては、それに失敗してまた悶々と考えるという波のような周期を、この十年ずっと繰り返している。信じられないよね。他に恋人がいたこともないんだよ。君はこれまでにどんな女の子と一緒に過ごしてきたんだろうと思うと、悲しくなって泣けてくることもある。

でも、やっぱり今回も忘れるのは無理だった。
君としっかり決着をつけないと、わたしは次に進めない。だから、もし君も同じ気持ちなら、時間をかけてちゃんと分かり合いたいなって、思ってるよ。何か特別な理由があって好きになったわけじゃなくて、直感というかフィーリングというか、そういう言葉では説明できないものがずっと心に住み着いてる。それがずっと消えない。
まだ「帰ってきておくれ」って、思ってくれてるかな。そうだったら、嬉しいな。

君は今、君がいるべき場所で、するべきことを頑張っているんだと思う。わたしもそう。現状と理想の差を埋めるには、なかなか時間がかかるね。
けれど、すべきことをスキップして無理矢理に捻じ曲げた結果は、きっと望まない形で歪んでいく。きっと今は頑張り時なんだと思う、お互いに。まだ目処は立たないけれど、近いうちに君が住む土地に行けるように、頑張ってみる。

よく考えたら、君の価値観や考え方、生き方をわたしはまだよく知らないんだよね。君のことを考えていた時間は長いけれど、実際に言葉を交わして話した時間って少なかったかもしれない。
わたしは君のことがもっと知りたいよ。エッセイとか、もっと書いてほしい。わたしは君の文章が読みたい。心の中を知りたい。わたしは君の長文が好きなんだよ。本当は文章を書くのが上手なの、知ってる。
わたしも以前「17歳のポケット」を読んで、驚いて心が熱くなったことがあった。君のエッセイを読んで「同じものに触れてたんだ」って、びっくりして嬉しかったんだよ。それに、お葬式のエッセイは読んでいてちょっと涙が出た。可愛くて素敵なご家族の別の顔をちょっとだけ覗かせてもらって、でも「わかる」と思いながら、色んなことを考えた。他の文章にも「そんな事があったんだ」「そんなふうに感じたんだ」って驚いたり胸を痛めたり、共感や尊敬したり。わたしの知らなかった君を、もっと知りたいと思いながら。

わたしが見つけられる方法なら、どんなものだっていいよ。もちろん、これはわたしの一方的な願望なんだから、見なかったことにしても大丈夫。波のある忙しい日々を送ってるのも想像できる。でも、どこかでちょっとだけでも時間が空いたら、何か話してくれたら、すごく嬉しい。なんでもいいから、どこでもいいから。君の言葉がほしい。

わたしたちは、もう子供じゃないね。27歳の大人だね。あの頃の、ただキラキラと楽しかったけれど、感情的・直感的な幼い恋愛をまた繰り返したいわけじゃなくて、年齢を重ねた今の二人だから作れるものがほしい。安心と信頼の先にある、確かな人間関係を作りたい。君との間に。わたしはそういう未来を望んでるよ。
だから、わたしは君のことがもっと知りたい。

君の中には何が詰まってるの? 何を考えていて、何を思っているの? 今まで何に迷ってきて、どんな決断をしてきたんだろう。君はどんな未来を望んでいるんだろう? そんなことを考えながら、君の言葉や写真を追いかけてる。

移り変わっていく価値観を通して何度も君を見て、それでもまだ追いかけてしまう。どういう結果であれ、わたしは幸せなんだよ。こういう気持ちにさせてくれる人と巡り会えたのって、我ながらすごいことだと思う。

27歳って、微妙な年齢だよね。
わたしは怖い、これからどんどん年を取っていくのが。でも、ちょっとだけ楽しみでもある。どんな未来が待ってるかな。川とか森とかたくさん行きたいな。
君はきっと、時々はわたしと同じように闇の中で足を引きずりながらも、「飽きた!」とか叫んで陸に上がってきて、浜辺で陽気にギターを弾きながら太陽の下を歩いていくんでしょう。スナフキンみたいに。そして、君の周囲の人たちは、君のそんなところが好きなんでしょう。
きっと君が無事にこの年齢まで生きられたこと、あなたが思う以上に、ちゃんと大切で、すごい事なんだよ。

君は、大丈夫。大丈夫。ちゃんと、やっていける。

ちょっと息苦しい時や、悲しいことがあった時。楽しかったこと・嬉しかった話はもちろんだけれど。もし君が何か話したいと思ったときは、いくらでも聞くからね。電話でもいいし、他の方法でも、なんでも。理由なんて無くていい。「なんとなく」で、十分。

あれ、「おめでとう」ってお祝いする目的のお手紙なのに、過去に関する懺悔と「君のことがもっと知りたい!」というシャウトで埋め尽くされてるね。ひどい文章だね。開き直りすぎて、恥ずかしいね。でもまあ、これがわたしなんだな。

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かわいいでしょ。おめでと!🍰💐

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