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ひそみにならう

(写真は、青木誠一さんの「私でいたい」という作品です。美しい!)

「顰に倣う ひそみにならう」という日本語ご存知ですか?
私は恥ずかしながら、二年くらい前だったか中国語の勉強のために買った本で初めて知りました。しかもまだ自分のものになっていなくて、「えっとそねみにならうじゃなくて、なんだったっけ?」というような感じです。なので、日本語習得のために書かせてくださいm(__)m

意味は、「優れた人の所業について、その本質を理解することなくただ形だけをまねること」(Wiktionaryより)

元になるお話が「中国語で読む日本と中国のむかし話」(陳淑梅著 アルク)という本にのっていました。

中国の春秋時代 越の国にいた西施という名の美しい娘と、もう一人の東施という娘の話。
西施は病気を患っていて、その症状が現れると手でみぞおちを押さえ眉をひそめることが多い。人々はその姿をみるだけで、ますます色気があって愛おしく美しいと評判になる。
隣村に東施という娘がいて、容貌が悪いだけでなく、振るまいも下品だった。東施はある日、西施の眉をひそめる姿を見て、
「なるほど、こんな格好を真似れば、私もみんなにきれいだと褒められるに違いない」と思って真似る。すると東施はますます醜くなって、街を行く人々は肝をつぶしてあちこちに隠れ、ある人は妻と子どもを引っ張っていって引っ越してしまった。

というお話。
私も若い頃は元気だけが取り柄でしたので、竹久夢二の病弱な感じの美人画に憧れていました。なので、東施の気持ち、わからなくもない(^^;

日本では、楊貴妃のほうが有名ですが、中国では西施の方が人気がありそうですね。
「情人眼里出西施」(恋人の目には相手が西施に見える)というような
有名なことわざもありますし。

「東施」には「東施」の良いところが絶対にあったはずだし、外側の美しさに執着することへの戒めもあるのかな。外側からどうみられるかより「自分が自分を好きかどうか」ですよね。
「東施」は自分のこと好きじゃなかった気がします。
年を取っていくと、老化はさけられませんし、「自分らしさ」の方を大事にしたいですね。今日の青木さんの写真のタイトルじゃないけど。

真似をするって、悪いことだけではないですが、何かをするという時、世間ではこれが評価させているからとか流行っているからとかではなくて、やはりここでも「自分の気持ち」を丁寧にみるというのが、大切なんだなと思います。

そうしているうちに、一人一人が自分らしく輝いていく。そうでありたいですね。

それでは今日もご自分が心地よくなる時間を作ってくださいね。
リラックスして免疫力上げてくださいね。

さて、私は「ひそみにならう」を習得できたのかどうか?

読んでくださったあなたに感謝して私も免疫力あげます(*^-^*)
ありがとうございました♡


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