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静かな強さに向かって

今朝のミニバラ、虫食いだらけだけど
良い匂いです😊

昨日ではなく、先週の日曜日のことです。
私は普段あまり積極的にnote(ネットもテレビも)
を、読むことはしないのですが、
その日はとんでもない記事を、
悪夢のような記事を読んでしまいました。
どこからどうその記事にたどり着いたのか、
後で考えても思い出せず、
ちょっと変な感じ、「魔が差す」って
こういうことでしょうか。

それは、ある「場」についての痛烈な批判の記事
でした。
表面的には、自分以外の「外側」の批判を
しているのですが、
「怒りは二次感情」と言われるとおり、
外側に向かっているその人の怒りのすぐ後ろには、
認めるのに、相当の胆力、勇気のいるであろう
「悲しい、さみしい、みじめな気持ち、
もっと自分を認めてほしい、愛してほしい」という
切実な思いが隠れていることがわかり、
痛いほど伝わってきました。

そうです。
その記事を私はあろうことか最後まで
読んでしまい、気分が下がり、
翌日、文章を書くことが出来なくて、家族の撮った
写真でごまかしました(^_^;)

そして、どうして私はあの悪夢のような記事を
探し出し、自分の貴重な時間を割いてまで
読んでしまったのだろうか?
このことで、かみさまは、
何を学べと言っているの?
と思っていました。

すると、6月6日火曜日に、rteakさんが、
「自分を軸にするのは、賛成だけれど、
それを他人に嵌めるのは反対。
人は人、自分は自分。
それぞれ違っていても当たり前。
わかり合えなくても、互いに尊重しあえば
それでいい。・・・・」と
書かれていて、

ががが~ん、「これが答えだ!」と思いました。
私はつい先日、「自分軸」のことを書いたばかり。
できる限り優しい言葉で書きましたが、
心の中は「自分軸の方が絶対良い!」と
思っていたのです。

私の中の「強い自我」
「自分は正しい」
「自分は間違っていない」
という、
その痛々しい悪夢の記事の人と同じものが、
自分の中にも「ある」ということを
改めて気づかされました。

どこまでも広い視野で、魂レベルで見てみると、
人は「魂を成長させる」ために生きている
わけですから、全ては経験。
今世は徹底的に「他人軸」を経験すると
決めて生まれてきた魂もあるでしょう。
それを経験する必要があるのかもしれない。
そもそも人は、「他人軸」と「自分軸」と
両面を持ってるものだし。
そこには、良い悪いも、優劣もない。
わかっていたはずだったのに、いつのまにか
狭い視野になっていたんだと気付きました。

私はnoteを書きながら、自分では成長している
「つもり」でいました。
けれど、まだその悪夢の記事の彼と
同じ「狭い世界観の中にいる」ということが
わかったのです!
いやあ、目が覚めた思いでした。
rteakさん、ありがとう\(^o^)/

その日は、他にもnoteに感謝することが
たくさんあって、
人の優しさや温かさに触れ、こっそり
人の魅力を再発見したりして、
日曜日に「魔が差した」けれど、
火曜日には「光りが差した」のでした😊
その光りはとても優しく、私の心はふんわりと
温かくなりました。
全てはありがたい経験ですね。

さあ、今日からまた改めて
外側ではなく「自己を見つめて」、
全てを外側のせいにしてしまう
痛々しい弱い心ではなく、
人生の全てを引き受けることのできる
静かな強さ、優雅でしなやかな強さに向かって
生きていきましょうと、今思っています。

最後まで読んで下さって本当にありがとうございます。

あなたの貴重な時間に感謝します。












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