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「あたま」より「こころ」で選ぶ

私が病気になったのは、「感情」より「思考」を優先した選択が多すぎた結果かなと思っています。

例えば
「この状況から考えて、これをするのは私しかいない。」とか、
「ここで断ったら、角がたつ」
「これは○○するのが当たり前」とか、
・・・・・
とにかく、ほとんどの選択が「思考」優先でした。
その奥には、「○○しなければ自分には価値がない」というような恐怖心が隠れていたんですよね。だからきつかった。

それを楽しんでできる人もいるので、それはその人次第ですね。

でも例えば、何かを見た瞬間に「ときめく♡」とか「なんか好き♡」っていう時は、もう理屈じゃなく、心で感じていますよね。そういう時って、なんか心がふぁ~と広がっていく感じ、柔らかくてあたたかい感じがしますよね。
そういう時って、血液や細胞レベルでみても、体にとても良い状態だと思います。

また人間関係で、(頭で考えると)立派な人なんだけど、とても良い人なんだけど、自分の心が、「もやっとする」とか、「なんか違う」って思う時、
それはその人とは、見ている世界が違う「あなたの幸せそっちじゃないよ」という魂からのメッセージなんじゃないかと思います。

そういう場合は、ただ違うだけだから、物理的にも、また心理的にも距離を置いて、相手も、また自分自身も責めないでい続ければ、時が解決してくれる。そこでへんに相手に執着しないで、「人には人の道がある」と思うと、自分自身が一番楽になっていったんです。時間はかかりましたが(-_-;)

今、思い返すと、私は、
「なんとなく、どんどん、窮屈な方へいってるなあ」という自覚が、実は長い間ありました。
窮屈で暗くて狭い世界へ進んでる感覚。

でもその時は、私は間違っていないとか、年を取るってこういうこととか、これが普通だろうとか「頭」で考えていたので、もうなんというか自分ではその道しか選べなかったんですよね。

でもですね。私は痛い目にあって、はじめて「世界は広い」ということに気づいたので、私の人生には「治らない病気になる」という体験は、必要不可欠だったんじゃないかと思うんです。

なので何が言いたいかと言うと、人生に「失敗」ってないと思うんです。

「失敗」に見えることも、非常に貴重な体験だったりしますし、むしろ、そういう場合の方が多いのではと思います。

でももうあんな辛い思いはしなくないので(^^;
今は、できるだけ多くのことを、「頭」より「心」で選ぶようにしています。

特に大きな選択は、「思考」よりも「心」で選ぶことが大事かなと私は思っていますが、いろんな状況があるので、その人次第ですね。

読んでくださって本当にありがとうございます。

あなたの人生が明るく広がりますように♡





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