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【算命学】参籠の業の呪いと祝福【三業干支】

この記事は、下記の記事に書いた三業干支(先祖から引き継いだカルマや呪い)についての続きです。

↑この記事で

三業干支は、

他人軸で生きてるとカルマや呪いになって苦しくなるけれど、
自分軸で魂のやりたいことをしてると祝福になって、呪いでもなんでもなくなる

と書き、

不信の業と不族の業についてだけ、どう祝福になるかを例にしました。

今回は参籠の業について書いていこうと思います。

この記事は学問的な話ではなく、わたし個人の経験を書いているだけなので、こんな感じの経験だったのか〜くらいのノリでお読みください。

スピリチュアルなブログなので、ナチュラルにスピリチュアルな話出てきます。苦手な方はご注意ください。

ホロスコープ の話もちょっとあります。

かなり、長文ですので、それもご注意ください。




まず三業干支について、以前の記事に書いた部分をもう一度引用して載せます。

今回はこの中の参籠の業について説明します。

算命学や四柱推命で命式を出すと、三業干支という先祖から引き継いだカルマがわかります。

自分の算命学の命式を出したことがない方は、

「算命学 命式」などで検索すれば無料で命式が出せるサイトが色々出てくると思いますので、ご自分で命式を出してみてください。

命式の中に下記の説明にある干支がどこかにあれば、そのカルマを持っていると人とされます。




三業干支(10種類、20の干支が該当)

不族の業「甲子、甲辰」
自分の代で家系が最後となる、子供に恵まれにくい、歳の差婚などの普通でない結婚でないと縁談がまとまらない、親と同居すると問題になりやすい、結果孤独になりやすい

祇王の業「乙巳、乙酉」
結婚に問題が生じやすい。むしろ波乱な結婚(自分の思い通りにならない)のほうが業が解消されやすい。晩年は穏やかに生きられる。祇王は平家物語に出てきた白拍子(踊り子)の女性。この業がある人はこの女性が物語でやったような、他人のためによかれと思っての行動をやめて、自分はどうしたいのかを考える方がいい



徳攻の業「丁丑、丁未」
一人になれない業、好かれやすく、誰かに必要とされ続けるものの、心が満たされることはない
尽くしても満たされない共依存関係になりやすい
周りに人がいて、承認欲求も満たされてるのに、心が幸せを感じない

不信の業「丙辰、丙戌」
ここぞという時に大切な人に裏切られる、足を引っ張られる
自分の前世かご先祖様が他人を裏切りまくったので、逆に自分が裏切られまくることでカルマが解消される
自分が裏切ると不幸になってしまう

参籠の業「戊辰、戊戌」
基本的に自由がない、思い通りに生きられない、好きな仕事ができない、神の山に参籠して修行するが如く、神の駒として、神の指示を待つ受け身の人生、自由になりすぎると短命になるので、不自由な方がいいとされている


倒柱の業「己巳、己酉」
この業を持つ人は、生まれた家やリーダーになった組織を没落させる人、大黒柱のような存在を倒してしまう業
家業をついだり、組織のリーダーになったりすると、必ずそのグループを破滅させる、組織を終わらす役目がある人
その結果、孤独になりやすい

傷体の業「庚辰、庚戌」
怪我や病気をすればするほど運気が上がる業
先祖に不慮の死を遂げた人がいる、子孫が怪我や病気をすることでその不慮の死のカルマが解消される
怪我や病気の頻度を減らしたいなら、先祖供養を入念にすると怪我や病気の回数が減る

一人業の業「辛丑、辛未」
結婚すると財運が(連動して出世運も)下がる業、独身のままだと財運がいい、お金か結婚か選ぶ業
結婚中は財運が下がるので、結婚したいなら、羽振りの良い暮らしは手放す必要がある
離婚すると財運は戻る

不子の業「壬子、壬辰」
子供ができにくい、子供が自分の思うように支配できない
子供と縁が切れてしまう、この干支を持つ方は仲良し親子はほぼ不可能、表面上仲良しになっている場合は必ず、子供を支配して過干渉している
子供に依存するのをやめるよう促される業

倒異の業「癸卯、癸亥」
異性を倒す業と言われているが、個人の体感としては、家族としての余所者や自分と異質な存在を倒すので、同性でも倒される対象になる人がいる
倒した者を踏み台にして輝く
自覚がないとナチュラルに他人を犠牲にする


わたしは、算命学の命式を出すと、本質を表す日干(日柱の干支)が、「戊戌(つちのえいぬ)」です。

戊戌は、上記の引用の通り、参籠の業という、三業干支にあたります。

「不自由してないと死んじゃう病」です。

日柱にあると1番影響が強いそうなので、わたしはがっつり影響を受けます。

これ持ってる方ならわかると思うんですけど、

本当に自由がない

んですよね。。

どれだけ環境的に恵まれていても、物理的に恵まれていても、

本人が望まないことばかり実行する人生になります

よく意識が現実を創ると言いますが、

私個人が意識して現実を創造できたことはありません。

「私」ではなく、「私のハイヤーセルフ」が望んだことしか現実化しません。

三次元の「私個人」の望みが叶ったことはほぼありません。

本当に「神の駒」でしかない。

私がやりたいことはやらせてもらえないか、やっても酷い目に遭って終わり、成功することはありません。


地球をゲームとするなら、ハイヤーセルフはコントローラーを持って私というアバターで地球ゲームをプレイしてるのですが、

私、アバターのやりたいことは基本全部却下です。

私「晴れたからトレッキングでもいこうかなー」

ハイヤーセルフやガイド「行くな(圧」

私「はぁ??何いきなり!うるさいわ!!」

ってなるんですが、無理やり行こうとすると、筋肉や神経部分に何か干渉されて動き止められますw

「目には見えてないけど羽交締めされてる!!はぁ、マジでクソ…」

ってなりますw

また、ある時は、

私「今日、暴風雨みたいな雨だから買い物やめとくかー」

ハイヤーセルフやガイド「絶対行きなさい。なにがなんでも行きなさい」

私「いや100均でチャック付きのビニール袋買うだけじゃん、そこまで行かなくても(ry」

ハイヤーセルフやガイド「行け(圧」

私「身体が勝手に準備するーー!!ふざけんなー!!お前ら何様だーー!!」

ハイヤーセルフやガイド「神様です✨」

私「その返し全然面白くない!!💢」


私は素直じゃないので、いつもこんな感じでギャーギャー反抗して騒ぎまくってます。

他の皆さん見ると、神様の自動操縦(ハイヤーセルフへの自我の明け渡し)を素直になさってて、すごいなぁと思います。

以前、あなたは素直じゃないから、もっと素直になったほうがいいのでは?とご指導いただいたことがあるのですが、言われた時は何故この人はそう言うのだろう?と思ってたんです。

多分こういう反抗的なところが素直じゃないと思われてたのかな?と今は思います。(私にとって素直じゃないことが普通なので当時は指摘に気がついてませんでした…)




話を戻して、私がなんで、ここまで反抗的になるかというと、日常生活レベルの些細なことまで干渉されるからです。

飲むお茶も「好きなお茶」ではなく、「飲むように指示があったお茶」しか飲めません。
お風呂の洗剤とかもです。選べません。

アニメもドラマも見るように!!と指示がないと見れないし読めません。
ゲームもやりたいゲームやるのではなく、指示があったゲームしかやらせてもらえてないんです。

よく私のブログを読んでくださる方は、グラ◯ルの話をよく目にすると思いますが、あのゲームもハイヤーセルフやガイドからプレイするように指示があるからやってるだけなんです。

もちろん楽しい部分もありますが、正直、あのハムスター周回は、私にはきついです。。
ホロスコープ だと、あのゲームは乙女座や6ハウスに天体ある人、山羊座(努力)がある人が向いてます。
月欠損理論でいうなら、乙女座の分野が苦手な月乙女は1番向いてないです。。

ゲームのイベントも参加するかどうかも全部ハイヤーセルフの指示です。
苦手でも参加してって言われたらやるしかありません。
やりたいようにプレイしたことないんです。やりたくなくても、周回してね、と指示がきたら、やるしかない。。(古戦場から逃げるな)

また、個人的な謎なのですが、

三国無双はプレイOKなのに、
戦国無双や信長の野望、戦国BASARAは絶対プレイしちゃダメ

って言われるんですよ。。

やってみたいのに!!

友達がやってるのを横で見てたり、実況動画やプレイ動画をみるのはオッケーなので、それで渋々我慢してみてます。
あと、アニメ見るのはオッケーだったので、戦国無双やバサラのアニメは見ることができました。

とにかく「戦国時代のゲームはプレイするな、動画やアニメはオッケーだけど、自分で買ってプレイするな!」

って指示が来るの本当謎すぎなんですよ。。

無双オロチはオッケーなのもまた謎すぎて。。
無双オロチって戦国無双のキャラもプレイできるのに、このゲームはNGにならない。。
戦国キャラをプレイするのがNGなわけじゃなくて、戦国時代のゲームをやるのがダメらしいんですよね。

ソシャゲの刀◯乱舞もプレイするのはダメって言われます。
でも無双の方はプレイする機会があればやっていいよって言われるんです。

ちなみに幕末のゲームも基本NGです。アニメはオッケー。

マジでなんだ?この細かい指示は…??

色々自由にゲームやってみたいのにーー!!


こんな感じで、趣味まで口出されるんですよ。。

本当にやってらんないです。

片付けとかも、断捨離も、捨てたいものは捨てれない、逆に欲しいものは手に入らない。
 

参籠の業がない方は、ここまで徹底していないはずです。

アバターであるあなたのやりたいこともある程度叶えてもらっていると思います。

私の場合は、日常生活から何から何まで細かく神の指示が入るんですよ。

自由ってなんだ??(哲学)


とは言っても、こんだけ反抗的でも頭ではちゃんとわかってます。

現実のゲームと同じで、

ここで動いちゃいけない、
ここでこの失敗イベントを発生させないと次の行動のフラグが立たない、
ここで、この趣味をすると後々のフラグ管理がまずいことになる
今ここで捨てたいものを捨てると、後々まずいことに!

と言った、

神の視点でゲームしてるとちゃんとやりたいことをやらせない理由がある

ことはわかっています。

なので、私は過去一回全て諦めて、神様の指示に従って人格から何から何まで明け渡してしまおうとしたんです。

神の完全なる操り人形になろうと決意したことがあります。

ハイヤーセルフの自我の明け渡しです。

そしたら、

「私に限っては全てハイヤーセルフに自我を全て明け渡すのは悪手だから、今まで通り、ぶつくさ文句言いまくってていい」

って言われたんです。

私は混乱しました。

私は今生で地球の転生を最後にするつもりです。

地球から卒業する時は、幻想から目覚める必要があります。

自我の明け渡しをして、これは夢だって自覚し続ける必要があります。

それを完全な形でしなくていいって言われたのと同じです。

どういうことか聞いてみたらこのように答えが返ってきました。

参籠の業を持ってる君は不自由な状態でないと、死んでしまう。
まだ君を死なせるわけにはいかない。
だから、自由がない状態でいてほしいんだ。

今まで君はありのままで生きられず、心が不自由だった。
でもそのおかげで色んなところに旅行したり、色んな食べ物とかを食べたりできたんだ。
心が不自由だから、肉体は自由にどこにでも行けた。

だけど今の君はありのまま、心が自由になった。
肉体も自由なままだと、君は死んでしまう。
だから、今、この情勢の騒ぎを使って、外出すると体調を悪くさせるように仕向けて、君をもうどこにも行かせず、家に引きこもらせてる。
ハイヤーセルフが必要なもの以外一切手に入らない。
君の好きなものは何一つやれない。仕事も趣味も。
ハイヤーセルフやガイドである僕たちが君を支配することでさらに君の自由を奪う。
そうすることで君は死なずに済む。

ただ、何も文句を言わずに僕たちの指示に従うのは、違うよ!
嫌な指示には嫌だ!ときちんと本音を言うことが大事だよ。
本音を押さえ込むのは本当によくない。
例え体の自由を僕たちに奪われても
心まで明け渡しちゃダメだ。
それは、幻想に目覚める前の奴隷状態と同じだ。

これは君にとって不服だと、ちゃんと僕たちに意志表示することが大事だ。
だから、今まで通り反抗的でいいんだ。嫌なことは嫌だって言っていいんだ。
そもそも、君はもうここは幻想の世界で自分が大元の魂の分割コピーでしかないとわかってる。
だから、無理やり完璧に自我を明け渡さなくていい。
すでに「理解してる」のだから。

僕たちは君のそういう反抗的なところも全て愛してるよ。
僕たちが指示しているからこそ、君の文句も全て受け止める。
僕たちに心まで支配されないで。
それだと悪魔にやられていた時と同じだから。
今まで通りでいいんだよ。

って言われたんですよね。

なので、遠慮なく、不自由なこと、指示がトンチキなことに関して、本音でブリブリ文句を言ってますw

こうやって不自由アピールすることで、死ぬフラグも折れやすいのかなと。



こんなふうに不自由ではあるんですけど、

地球をゲームとした視点で見ると、

プレイヤーである、ハイヤーセルフやガイドに細かい指示によって

「アバターである三次元の自分は、ガチガチに守護されてる」とも言えます。

神の山で参籠して修行する=神の山という結界という名の檻の中で守られてる

とも言えます。

修行内容はたまったもんじゃないですけど!!!!



つまり、

実は、参籠の業は「束縛されることで神様に守ってもらえる」業なんです。

束縛され自由を奪われることで、神様の加護が増大する業なんです。

これが参籠の業の「祝福」なんです。


なんか、ホロスコープ でいうなら、蠍座みたいですよね。

何か欲しいなら何か差し出せ!

等価交換的な蠍座の世界

蠍座や8ハウスの人って相手のことを束縛したがるんですが、それもここからなのかもしれないなーと思います。

束縛する代わりにあなたに何か差し出します。みたいな。

12ハウスもでしょうかね、私も12ハウスに二つ惑星あります。

12ハウスって他人から束縛されやすい、自由な環境で生きにくい、閉鎖的なところで生きることが示されるんですよね

神様に束縛を強いられてるのってまさに12ハウス。。伴侶は神様ですみたいな。。(笑えねぇ!!)



だから、参籠の業を持つ人は

不自由になっている代わりに、どこが自由になっているのか

きちんと客観的に見る必要があります。

そのわずかな自由こそ、その時点で魂が大事にしたい譲れないことだからです。


私も物理的な不自由、神の駒でしかない不自由を嘆いてますが、心はありのままで自由です。

幻想にはまり他人の奴隷にはなっていません。心は自分にあります。

いまはそれが私にとって大事なことです。



参籠の業の人が感じる不自由は、実は魂にとって大事なことじゃないんです。

不自由の裏にある、少し自由な部分こそ「本当に大事にしたいこと」なんです。



わたしの魂は人生の前半、心を不自由にして他人軸でいることが大事でした。

私の魂は心が不自由で肉体が自由なうちに、いろんなところに旅行にいったり、できました。自由に移動できました。

色んな観光地へ行けました。色んなお店に行けました。

ありのままで生きられなくて苦しい時間もありましたが、そんなふうに楽しいこともありました。

それに、ハイヤーセルフやガイドの束縛も今よりは少ない方でした。

昔、家族・学校や会社の先輩達が私を異様に旅行に連れ回した時期があったのですが、それは、心が不自由で、肉体が自由なうちに色々観光させるための、ハイヤーセルフの采配だったのだと思います。

私がありのままを取り戻したら、心が自由になったら、自力ではどこにもいけなくなるのが、わかっていたから、どこにも行けなくなっても後悔しないようにしてたんだと思います。

だから、人生の前半はありのままでいないことが大事、
病気になるほどありのままで、生きられないことが大事でした。
自由にどこにも行けるように。だれかに旅行に連れてってもらえるように。

だけど、これからは、ありのままで生きることを優先するから、自由行動の権利を人生の前半よりもさらに捨てる必要があります。。
外出できない不自由、神の駒になる不自由を受け入れる必要があります。

旧ツイッターをやっていた時、まだ行ったことのない観光地などを行きたいなーと呟いていましたが、
おそらくもうわたしはそこに行けないのだと最近悟りました。

今は神様の指示や日常生活にどうしても必要な外出以外わたしはできなくなってます。 

もう観光なども自由に行けないのでしょう。

心が自由だから。



でも、そのことに最近ようやく落ち込まなくなりました。
(わかった時はめっちゃ泣きました)

落ち込まなくなったのは、今あることに感謝する余裕が出てきたのと、

その今ある幸せに気がついたおかげで、

昨今の世界情勢の騒ぎで、外出できなくても交流できる環境が整えられたことに気がついたからです。

観劇やライブといったイベントも動画サイトで配信されるようになりましたよね。

そのおかげで全く1ミリも楽しめないという状況ではなくなりました。

宅配便とかで、物資も今のところは手に入れることができてます。

参籠してても、物理的な制約がなくなったのです。

友達ともオンラインで話せるし、全く連絡取れない顔も見れないという最悪はないのです。

外出しなくてもお金のやり取りもある程度できますし、必要ならどんなものも手に入ります。

実は先日、何の前触れもなく、とある有名な世界遺産の御朱印をいただけたんです。
もうわたしはそこに行けないだろう、御朱印もいただけないだろうと諦めていました。

でも手に入りました。

知り合いが観光に行っていたらしく、私が外出困難であることを思い出して、私の分もとってきてくれたのです。

(細かい事情は説明してないのですが、外出困難で在宅の発達障害の就労支援を受けてることは伝えてました)

そのパワースポットの公式サイトから感じていた通りのとんでもないパワーの御朱印でした。

私はパワースポットさえ行く必要がない、御朱印とかも必要なら誰か持ってきてくれるとこの出来事で悟りました。

そのパワースポットの御朱印のエネルギーの大元になってる高次元存在がメッセージをくれて、全然大丈夫だから!安心してね!
って言ってきてくれました。

参籠の業の祝福、不自由を承認すると神の加護がマシマシになるってこういうことなんだと思います。

だから、もうどこかに出かける必要はないのだと、出かけなくても大丈夫なのだと心に落とせました。

そのまま参籠の業の祝福、受け入れようと思います。