お気持ち。

相変わらず、キラキラしたツイートにだけは
やたらにいいねが着くツールである。

誰も、やる気失せたなんて言ってねぇ。
やれることはやる。
私は、疑問を呈しただけだ。

演劇人のTwitterが苦手な理由が分かった。
お気持ちに溢れすぎているから、だ。

良い物を作ろう

大体の演劇人、目標聞くと
そう仰る。

…自分のできる出来ない、どう思われてる置いといて
いつも思う。

それ、当たり前じゃねーですか?

お金と時間を頂く以上
そんなことは当たり前だが

そんなお気持ちに、配慮して
安全や安心を、犠牲にさせられる気は
私にはない。

関係者もお客様も安心安全な上で
良い物を、だし。

私にとって今である理由は、
この作品を売る理由、
つまり、良い物の上の話である。
なぜなら同じ作品なんて、同じ公演だって一日たりとも
いや、1回たりとも無いからだ。

多くの役者は
それをちゃんと売り込めなくて
今に至ってるんじゃないのって
冷たいけど、思ってしまう。

誰が遊び半分手間、適当な気持ちで舞台に立つもんか
こんな時期に。

コロナなんて、積もり積もった問題を表面化させただけだと思う。

集客もそう。

今までだって、
どう楽しいのか、
何が面白いのか
どんな作品なのか

アピールすることよりも。

客席埋まりません、見に来てくださいぴえんっつって
これが最後の舞台ですっどうか見に来てくださいつって
売ってきた人多いじゃないですか

何となく付き合ってくれていた層の方々が
そこまでして付き合う理由が無くなった
命が可愛くなった
それだけの話。

中止になって悔しい?
お客様が来てくれないと寂しい?
今まで人のせいに出来なかったことが
コロナのせいにできるようになっただけだ。

結局、ほっぺたくっつけあって
居酒屋のうぇいうぇい楽しそうな写真
それで、お客様つなぎ止めてきましたよね。

売れる役者といい役者は
必ずしも一致しない。

作品の内容を売ることよりも
楽しそうな雰囲気をアピールすることに
長けてきた。
興味を引く物販で儲けてきた。

今まで、それで売れてましたね
それで売れたから、その手法に頼ってきましたね。
様々な管理がずさんでも
ごまかせましたよね。

だからこのご時世で、煽りをくらう。

いや、ぶっちゃけ、色々事情よりも
ご自身の魅力が勝っている人々は
このご時世でもお客さん呼べるでしょうよ。
周りみててもそう思う。

面白いです、見に来てください。
主観以外何も伝わらない。
でも、その主観の言葉に信用が生まれている人のお客様は
その人のその一言で、見に来てくれるでしょう。

その、お客様のニーズが、変わって
そこに対応出来ていないなら、
それこそ、自己責任。

今だから売れないんじゃない。
今工夫できない、対策取れない所は
この先も変われない

どんなビジネスだって
波を見極めなかったら、そりゃあ、沈むだろう。
舞台だけの話じゃない。

新しい道を模索したところ
今までどおりのところ

自分でその手法を選んだ。

ならば、率先して、その来て欲しいお客様の気持ちを動かす努力を
してみたらどうなのか。

居酒屋の写真より
仲良さげな密写真より

検温記録や、マスクやフェイスガードで距離とった写真を
求められているのだと思う。
更に言うなら、家から出ずに演劇を楽しんだり
今までとは違う工夫で進化するチャンスなのだ。
ただそれだけの話なのに
なんですぐに、ニーズに応じられないのか。

今だからこそ、演劇は生でなくちゃ?
そんなお気持ち、誰も聞いてない。
本気でそう思うなら、根拠と共に、説得力のある説明するしかないだろう。

そんなに言うなら
安全を売りにするしかない。
やれる対策を全てとって
目に見える形で、開示するのだ。

保身?その通りだ。
いざと言う時の証拠になる
同時に、どれだけやって何がダメだったか
記録になり、次に生かすことが出来る。

そして、実行できていないことは
実際の取り組んできたことと並べてはいけない。

真実の価値を下げるからだ。
半端なことをすれば、本当にちゃんとやっていたことも嘘にされてしまう。

証拠を出せない言葉にも意味は無い。

そういう時代に、演劇を続ける意味。

答えを持っていないなら
認識が甘いと言われても仕方がないのではないかと思う。

頂いたサポートは、役者としての活動に利用させていただきます。 ありがとうございます。