見出し画像

生まれ還る価値観

先日、今一緒に仕事をしてくれている方に、お身内の不幸がありました。
「田舎から帰って来ました」と連絡をくれた彼女は、いつも通り落ち着いていました。
亡くなられた方が大往生だったこともありますが、ご本人曰く「宇宙のこととか勉強したから、凄く悲しいとか、そういうのとは少し違うんですよね。」

宇宙な価値観の人は、結構こういう傾向にあります。情が薄いとか無感動とかでなく、少し違った視点を持っているのです。
悲しい自分がいても、どこかで「ああ、そうか。そうだよな、うんうん」と、何かに納得してる自分もいる感じです。

かつてこの状態を、友人と「仏感(ほとけかん)」とか「ツーーーの状態」と言っていました。
カッコいい言い方をすれば、「達観」が近いのかもしれませんが、もっと自然で普通で、特にカッコよくはない感じです。

恐らくこれを読んでくださっている方の中にも、今回のこの状況に、どこかで「ああ、そうか。そうだよな、うんうん」となっている人がいると思います。

仕事や生活に変化があって困っていたり、
亡くなった方や闘病中の方に心を痛めたり、
これからどうなるんだろう?と不安を抱えていても、どこかに「そうだよな、うんうん」な自分がいる。でも、それはちょっと言いづらい。
不謹慎な気がするし、誰かを傷付けてしまうかもしれないから。「困ってないから呑気でいられるんだ!」と怒られてしまいそうだから。

しかしそれは決して危機感がない訳でも、不謹慎な訳でもないのです。達観ほどカッコ良くはないかもしれませんが、それはもしかしたら、より自然の生き物に近い感覚なのではと思います。


今の地球上に、人間ほど自然な死から遠い存在はないでしょう。捕食されることも無いし、病気になったら治療できます。これは、とても有り難いことです。
しかし、自然界の生物だとしたら、死はもっと当たり前に身近にあります。地球に住む一生物としてのその感覚が「ああ、そうか。そうだよな、うんうん」なのだと思います。

サバンナに住む草食動物は、肉食動物に追われたら必死で走ります。でも、逃げ切ったらまた普通に草を食べます。ずっとずっと頭の中が肉食動物に襲われることな訳ではありません。
死とか命の危機がむしろ身近な方が、うろたえる時間は短いのです。

先人達のおかげで、昔だったら飢饉や大災害になるような状況でも、私達は普段と変わらない生活が送れるようになりました。
自然界の一生物と思えば、むしろ人口が一定であることの方がレアなことです。
飢饉や天災や疫病で、人口が増えたり減ったりする方が、本来なら普通のことなのです。

こうしている間にも苦しんでいる人が世界中にいるということに心を痛めるのも、もし大切な人を失ったらと不安になるのも、人として当たり前のことです。
だけど、生物という単位で考えると、「命が繋がれば良い」という価値観になるのかもしれません。

それを踏まえた上で。
私達は、今までたくさんの危機を乗り越えて来ました。
どれくらいかかるかは解りませんが、今回もきっと大丈夫です。

心に栄養を上げることを忘れないようにしましょう。今走って逃げる必要がないなら、自分を追い込むのはやめましょう。出来る対策はきちんとして、ご飯を美味しいなぁと味わいましょう。
庭やベランダに出て、お日様の光を浴びて風を感じて、深呼吸しましょう。
日光も風も、数ヶ月前と何も変わっていません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?