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🧠労働と報酬についてネコ美の考え方



これを考えるきっかけとなったのは以前のバイト先で同期が時給の値上げをボスに掛け合って憎々しく思われた挙句解雇に近い自主退職を促されたという事件があったからである。

そもそもボスと同期が仲が悪かったのかと言えばけしてそのような事はなく、傍から見れば雇用主と労働者の垣根を越えて軽口を叩くような間柄であった。
そのため今回の賃上げ交渉も快く受けてくれるものだと思っていた分、その事件を聞いた時ワイは少しばかりショックであった。

あんなに仲良くしていたのに交渉に応じないという事は職場がギリギリの自転車操業だったのかと言うとそういうわけでも無い。

というのも、この事件が起こるちょうど1年前くらいにボスはうん億円掛けて自宅を建て直していたからである。では家族にお金が掛かるのかと言えば少なくともワイが見てる範囲ではそうじゃないと言えた、なぜならボスは独身だったからだ。

ではなぜボスは賃上げに応じなかったのか。

まず考えられる事はこのくらいの仕事量であればこの値段が妥当であるとボスが考えていたということである。これはボスと従業員に時給に対する考えの齟齬があったと言える。従業員としては何年も働き出来ることも多くなったのだからその分の上乗せをしてくれても良いだろうという気持ちだったに違いない。

しかしボスはそうは考えなかった、というかその申し出を受けた時点で従業員の事を面の皮の厚い恩知らずくらいに思ったのかもしれない。言葉を選ばずに言うならば飼い犬に手を噛まれたといった心情だったのだろう。そうじゃなければ退職に追い込むまでのことはしないはずである。

それから2つ目は自分がケチ臭い人間だと指摘されたような気がしたからである。つまり賃上げを提案されたということ自体がボスのプライドを傷つけたケースである。
人間というのは自分で選択していない事に納得しないという特性があるとどこかで聞きかじったことがある。これが本当ならば目下だと思っていた者に選択権を奪われた感覚になってしまうボスの心理も十分に考えられる。
更には人の上に立つ人間なのだからコントロールされることをことのほか嫌がるというのも頷ける。

ここまで考えて雇用主と労働者は対等関係であるというのは理想論であり、雇用主と奴隷と考えるのが妥当であるとワイは思う。
もちろん、そうじゃない会社も沢山あるだろう。会社が大きくなればなるほど監視の目も多くなるものだから雇用主の好き勝手には出来なくなる。
しかし、それは監視の目がある場合に置いてであり、今回の事件が起きたようなボスと従業員しかいないような監視の目の薄い無法地帯の中小企業ではやはり従業員の立場は弱いと言わざるを得ない。

ちなみにこれはワイが経験した話だが、昔女医さんが開業医の歯医者でバイトをした時自分が提示した時給より100円上乗せしてくれた。その時は思いがけずの賃上げでその分頑張って貢献しようと思った。

つまり何が言いたいかというと、賃金というのは分かりやすく信用を買うための手段であるということである。

前のバイト先のボスはその信用金を出し渋ったため長年勤めてくれたバイトを失うことになった。

そんなことがあってからワイは言葉による労いをあまり信用しなくなった。件のボスだってクビに追い詰めた従業員楽しそうに会話をしていたし、ピリついた空気ということも一切なかった。だが、従業員が予想外の行動に出た時にボスの本性が見えたのだ。

結局のところ人は他人をコントロールしたいという欲求があるものなのかもしれない。でもコントロールするのならばコントロールされるリスクも一緒に背負う事を覚えておかなければならない。

つまり要求にはそれ相応のリスクが伴うということである。上も下も権利だからとブンブン振り回すのは自らの首を絞める事になりかねないというのを今一度腹落ちさせておこうと思った。

この事件以降ワイはことバイトにおいてはコントロール(提言提示)する意志を放棄する代わりに忠誠心も薄いという、可もなく不可もない賃金以上の労働もせず、かと言って足並みを乱すこともしない空気のような名も無き労働者Aになりきることをモットーに働いているが、今のところこれで上手くいっている。

ネコ美の戯言おしまい(   ᐕ)

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