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日本人と雅楽についてネコ美的考え

ワイは昔から音楽が好きだ。
詳しいかどうかはさて置き、とにかく音楽が好きなのだ。

聞くことも好きだが演奏することも好きで、小中高と吹奏楽部に、専門学校時代も社会人吹奏楽団体に入っていたくらいの入れ込みようだった。

ある時期ワイは寺でバイトをしていた。
そこでたまたま雅楽に触れ合う機会があり、雅楽器である龍笛(りゅうてき)をほんの触り程度ではあるが教えてもらっていた。

最初ワイはそれなりの年数吹奏楽で培ってきた音楽スキルがあるという自負から、雅楽もそこそこ出来るだろうとタカをくくっていた。
しかし、それが大間違いであることをすぐに気付かされた。

雅楽器の龍笛と洋楽器ワイが吹奏楽時代相棒としていたクラリネットとでは、全く音の質が違った。

まず大前提として雅楽器は洋楽器の音階とは少し異なる。
つまり聞きなれたドレミファソラシドを雅楽器は出せない。

なんて言ったら伝わるか分からないが、洋楽器の一部の音階に当たる音がなく、それより少し低めだったり少し高めだったりする。
もうこの時点で不穏な音階に聞こえるのだ。

だから洋楽器の楽譜をそのまま雅楽器に当てはめて吹くと違和感のある音楽になってしまう。

それから、洋楽器はピッチ(音程)をしっかり合わせないといけないが雅楽器は洋楽器ほど厳密でも無い。

一応ピッチというものもあったと思うが、楽器の特性上なのか楽譜によるものなのか分からないが、洋楽器の演奏に聞き慣れているワイにはピッチを合わせても合わせなくてもそれこそ不協和音にしか聞こえない揺らぎのある音に思えた。

だから正直教えて貰っていた時もこの音ちゃんと楽譜通り吹けているのか不安だった。

合奏の時間になり散り散りにパート練習していた坊さん連中が御本尊が祀られる本堂に集まる。
楽器は太鼓、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の4種類だ。

もしかしたら龍笛だけがあんな音程の安定しない楽器なのかと思っていたが他の楽器もなかなかに揺らぎのある音を奏でていた。

こんなんで合奏がまとまるのかと戦々恐々としていたが、不思議なことに思ったより耳障りの悪い不協和音というわけでもなかった。

むしろ、洋楽器を使った合奏とは違うが、これはこれで雅というに相応しい味のある合奏だった。

ちなみに合奏とは言ったが指揮者はいない。その上、楽譜に厳密な休符やスラー等演奏記号が書いてあるわけでもない。

それじゃあどうやってリズムを取るのかと言うと、自分の楽譜を見ながら歌を歌って他の楽器がどういう動きをしているか耳で覚えるのである。

歌で一体感を出せなかったら楽器を使っても一体感は出ない。
ちなみに、この楽譜を歌うという手法は吹奏楽時代もあったが、雅楽ほど重要視されてはいなかった。

洋楽器のように各々が楽譜に忠実に吹けばなんとか曲になるのと違い、歌で曲の感じやテンポを掴みピッチが揺らぐ楽器を演奏する雅楽は、隣の人と合わせよう、他の楽器と合わせようという気持ちがないと合奏がまとまらない。

日本人が空気を読むというスキルを持っているからこそ雅楽という音楽が成り立ったのではないかとワイは思った。

それと同時に今雅楽をやれと言われ、やれる日本人はどのくらいいるだろうとも思う。


よく正月に寺で流れてる有名な曲、越殿楽(えてんらく)の楽譜



めでたしめでたし(   ᐕ)

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