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🧠【嘘のような真の話】言葉は抽象的である


これは「具体と抽象」という本に書かれていた一文だ。

最初これを聞いた時、いやいや言葉って具体的じゃね?だって白い棚の右端の引き出しの中に入ってるハンコ取ってって言えばその通りにハンコを探し出すことができるじゃん、などと思ったのだが最近はあぁたしかに抽象的だわと考えを改めた。

と言いますのも、たしかに白い棚と言っても相手がどのような白い棚を想像しているかによって全然見当違いの白い棚を探してしまうかもしれないというような自体を最近まぁごく頻繁に目にするようになったからである。

炎上するツイートなど最も分かりやすい例だろう。あれらはつまりツイートしている人が想像する棚と不特定多数の読んだ人が想像する棚の差異が大きいが為に引き起こされていると考えられる。

これは言い換えれば文字は読めるけど文章が読めないというのとほぼ同義だ。書く人は白い棚の詳細をとことん突き詰めて書かなければならないし、読む人は書く人の人となり、それから文章の行間を読みどんな白い棚の話をしているのか想像力を働かせなければ同一の白い棚を想像することは非常に難しい。

つまり何を言いたいのかというと経験則によって各々の思想がほぼ無限に現れるので共通認識を持たないと食い違いが非常に頻繁に見られるということだ。

それからこれはなんとなくだが筆者の言いたいことは最後に書かれていることが多い気がする。

ワイも生意気にもエッセイなど文章を書いている身なので言葉のチョイスには細心の注意を払っているつもりだが、不快にさせてたらごめんなさいねという感じである。


めでたしめでたし

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