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🧠【思い出話】平等であること


この規則、たしかに大切ではあるがその為にデッドスペースを有効活用出来ないのは大義的に損にはならないのだろうか。

ワイがまだ小学生だった頃、たまたま窓際の席になりそしてその席の隣にはたまたま何にも使われていない棚が設置してあった。
棚があるのだから利用しないのは棚に対して失礼である、当時のワイがそう考えたかと言えば答えはノーだが、とりあえずその棚を勝手に利用させてもらうことにした。

そしたら連絡帳に、そうわざわざ連絡帳にだ。つまり親宛てに『ネコ美さんは勝手に棚を使っています、これはクラス皆の棚です』と書かれ、それを読んだ親から大層笑われたのである。屈辱である。

そもそもだったら何も入れない棚なんか置いておくなよと思うし、何か入れろよとも思う。
未だに解せないのだがワイがその棚から泣く泣く荷物を下ろした後、学年が変わるまでその棚は棚という名のオブジェであり続けたのである。

このように幼い頃から平等を教えこまれた事で平等第一主義者が量産され、そして不平等を見過ごせなくなった彼らが互いの足を引っ張り合い物事の停滞と小競り合いが生まれる。

そしてこういう精神が『嫌いな奴に100万入るけど自分にも1万は貰えるか又は嫌いな奴にも自分にも1円も入らないかどちらを選ぶ』という問に対して前者を選んでしまうのである。


めでたしめでたし

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