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自分が読書好きだとは思えない


思い返せばたしかに幼少の頃からそこそこ本は読んでいた。

とはいうものの、それはワイの素質というよりは環境要因の方がデカかったと思う。

ギリギリ昭和に生まれたワイの子供の頃といえば、今と違いYouTubeもTikTokもなく著しく娯楽が少なかった。
さらに言えば田舎ということもあり習い事や塾で忙しい日々を過ごすわけでもなく、かと言ってチャリで遊びに行けるほど近くに友達の家はなく、同じ敷地内に住むばあちゃんの家で相撲を見るのも面白くない。1個違いの弟はスーファミでダビスタをやってるけど何が楽しいのか全く理解できない。

そういった背景があり、有り余る暇を潰すのにおあつらえ向きだったのが読書だったということだ。

読んでいたジャンルはもっぱら物語だった。
子ども大百科のような図解や図鑑を嗜んでいたらもっと博識な大人になっていたかもしれないがそっち方面はとんと興味がなかったもんだから仕方がない。

しかしながら何の因果か自ら執筆する立場に身を置いている現在から振り返ってみると子供時代の読書がなかなかに功を奏している気がする。

例えば文章において大小様々な石が置かれている箇所がなんとなく分かったりするのだ。それらの石を取り除くとその文章はより走りやすい道路になる。良い文章というのは舗装された道路のようなものだ。

まぁもちろん舗装だけでなく必要な場所に道を作らなきゃならんのだけど、砂利道じゃないだけで走ってくれる車の数はそれなりに増えるだろう。

この舗装技術のお陰でワイの文章は農道に毛が生えたくらいの様相をギリギリ保っている。
願わくば高速道路のようにビュンビュン走れる道を築きたいものだ。


めでたしめでたし。

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