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壊れていた、ということ【箱編-序-】

昔のことを辿ると人は自分の感情を理解できるのだという。
それに伴って他人の感情も理解できるらしい。
そんな話にあやかってみようと思う。
まぁ、つまりは日記である。昔の。

リハビリとも言えるが、人の言葉や機微を理解できない自分のための修練で、胸くその悪い話も書こうと思う。
だが、悪い話にして閉めるつもりはない。


私はたぶん今、幸せだと胸を張れるからだ。


私は一般人に紛れることにいつも理想的だ。
だから、テレビとかニュースとか確率、統計といったものは知識として得る。
それをベースに行動を決める。
機械的と言われたらそう。
もちろんすべてがすべて、ではないが小学校から社会人の辺りまでたぶん生きていることにさほど意味を持てなかった。
他者の言葉を裏の意味を理解できなかったし、流行なんてものもさっぱり興味がなかった。
テレビで見ても興味の無いものにまで私の頭は統計で計りはしなかったのだ。


だから、まぁ浮いた。
小学校で友人は居なかったわけではない。
だが、幼稚園でも他人に引っぱられるのが当たり前。自分で考える必要が少なく、やりたいことはほとんどない。
近所の人に預けられたとき「なにして遊びたい」と言われて、なんにも思いつかずに3時間ぐらいぼうっとしていた。そんな子供だ。
「人形遊びはどう?」と聞かれたら「じゃあ、それでいいです」と言った感じ。

そりゃ嫌われるわ!我ながら過去に戻れるなら頭を叩くレベル。
無邪気に遊べ、子供なら!ってなった。
その節は申し訳が立たない。

『鬼滅の刃』に「心の声が小さい」と言うのがあったが、なるほどと思った。
とくに幼少の頃に自我は作られるが、その時期に私は自分の声を聞く事をしなかった。必要性を感じなかったし、興味がなかった。
好きの反対は無関心とはいったもの、私の中には人として子供の内に宝物や想い出を集めて貯める心の箱がまず完成していなかった。
私がこの心の声を拾えるようになったのはつい最近だ。
生きる事を諦めてくれなくてよかったと、自分のことながら思う。

自業自得とはいえ、無関心は長い時間をかけて、心を壊す要因を作ってしまった。
だって、他者に興味を示せない。
流行も、例えば漫画やゲームも当時は煩わしいだけだった。
習い事も親から言われたものをやっていたが、やらされていただけ。
自分のために得られたものはない。

そんな人間がまともにグループに入れるはずはない。
小学校は思うと、いじめのオンパレードだった。
今時のものよりはたぶん相当軽いが、
「小さな失敗をクラス中から叩かれたり」「階段で蹴り躓かされたり」「汚いと言って避けられたり」。昔からドラマである物を隠されるとかは無かった。汚いんだから触らないわな。
あだ名は「死神」。確かに生きていないようなもんだったから的外れではない。
勉学も興味が無く、やる気無し。運動もとくに出来ない。
好かれる要素はない。
当時の友人も、子供ながらに愉悦感に浸るためのいい人員だったんだと思う。
いま小学校時代の知り合いは幼なじみを残して誰もいない。

そんな小学生活で転換点があった。
何故そのタイミング?と今も思うが、
あのとき私の声は、心の声ははっきりと叫んだ。

小学5年。
グループ学習で当時さほど権力を持っていない男子2名に小馬鹿にされた。
いつものことだ。同班の女子は心配そうに見るもののなんにもしない。
紙でお面を作っていた。
机の真ん中の紙皿に木工ボンドを大量に出して、皆で使う。
「お前らは使うな」と男子が言った。
(同班女子はいじめられっこではなかったし、この時期特有の男女のすれ違いもあるのだろう)
「なぜ」と反論して暫く問答をした後、何事か私は怒鳴って先生に3人揃って呼び出された。
今となっては詳しく思い出せないが、先生がすごく驚いていたことを知っている。
大人しいと評された子供の喧嘩だ。
差別対象であることは先生も知っていたろうから余計に。
はち切れるような怒りと叱られる2人を見て「ざまぁみろ」と思っていた。

それがたぶん転換点だった。
それから、何度か別のいじめっこ男子集団と殴り合いの喧嘩などしたことがある。
言われたらやり返すようになった。
積もり積もっていたのだと思う。

『怒』という物をやっとこさ学んだらしかった。

それを楽しいと思ってしまっていた自分が居る。
喧嘩で他者に見て貰えることにたいしてか、踊る心に関してか、...たぶん前者だったが。

しかし、この当時私がしっかりと認識できたのは怒りという物だけ。
今も私はその感情にだけいやに機敏だ。
たぶん1番に覚えてしまった理解しやすい感情だからだ。

私の心の声は今も小さい。

グラフなんかで大きく表現するなら上下に嬉しいと怒りしかたぶん出てこない。シンプルな物が出来上がるだろう。
人生に後悔が無いわけじゃない。
子供に戻れたなら、無駄に生きるのではなく何か為したかったと思うが戻るはずも無い。

そんな私だが、一般人という世間に紛れ今はそれとなくやっている。
同年代はまったく馬があわないが、年上にはなかなか話せるし趣味もある。
人は進める。

まだいくつかの転換点を含めてあるが、それは別の機会にしようと思う。
私は今も人から避けられるし、馬が合わない人間も多いがやりたいことがいっぱいある。
ただそこにあることを、私は辞めた。

そこにあるだけというのは本当に辛い。

本人は理解できないかもしれないが、
とにかく執着でもなんでも見つけなくてはならない。
とにかく声を1つでもいい。聞かねばならない。
「心が動いていない」ということは死んでいることと同義だ。
私は当時死んでいた。

今、私は大手を振って生きていると言えるだろう。
ゲームも漫画も、絵も描く。
部活だって多くやってきた。
仕事にだって失敗したもののつけた。

人から溢れることはなにがしかの要因があるはずだ。
私は死んでいた。生きている人に紛れれるはずも無い。
すべて私が悪いとは思っていない。
手を差し伸べた人間も少なからず居る。
子の非を謝罪してくれた親も居た。

でも、過去に育たなかった心は一般的や世間という物にすべてに対応は仕切れない。
どんなに周りを見渡しても私には未だ分からないことも理解できないことも多い。

もちろん誰しもすべてを理解は出来ないが、
たった1つでいい。

そういう人間も居るのだと、理解して広く見てほしい。
理解できない、合わないから敵、ではなく。
それらが無理ならば関わらないだけで違う。
(陰口は関わっているから違うが)
そっとしておいたらいいのだ。

自分で見つけてこその人生だ。

私は今、幸せだと胸を張って生きている。

そんな私の日記を今後ゆったりと綴っていけたらいいと思う。
これは心の整理をするための箱だ。



#日記 #昔の



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