3月11日
3月11日を今年も迎えた。
大きな地震のあった瞬間、私は仕事をしていた。
私の仕事はスイミングの先生である。
あの地震の時間は、幼児特別という幼稚園児だけの時間であった。
ゴゴゴゴ…という低い地鳴りが聞こえ、プールの水面が大きく波打った。
ちょうど立ち飛び込みの練習をしていた時だったので、多くの生徒はプールサイドに並んでいた。
そこには並べない子供の為にコーチも1人付き添っていた。
それからトイレについて行くためにもう1人のコーチが陸上に。
プールの中にはコーチが1人と、飛び込みを済ませた生徒が3名ほど、腕にはアームヘルパーをつけた状態でプカプカと浮かんでいた。
そしてコーチ室のドアが開けられ、主任が叫んだ。
「子供たちをあげて!」
水中にいた我々は、僅かに揺れた感覚はあったが、そこまで大きな揺れだとは思っていなかったのだ。
大急ぎで水からあがり、プールサイドにいた生徒たちと一塊になった所でギャラリーの父兄たちを見た。
父兄たちも心配そうに、椅子から立ち上がってプールの入口の方へと集まって来ていた。
主任たちもコーチ室から駆け寄って来ていた所に、二度目の大きな地震が来た。
「やだー!」
「怖いよー!」
一度目の揺れから少し落ち着いたところにもう一度大きな揺れが。
先程までは理解できてなかった子供達の中から泣き声が聞こえ始めた。
主任がプールの入口に走り鍵を開け、父兄に入ってきてもらう。
それぞれの親が自分の子供を抱きしめていた。
その時にまた余震が。
ふと上を見ると、壁と天井が離れて揺れているのが見えた。
壮絶な横揺れだった。
あの時泣いていた子供は、今はもうスクールにいない。
中学に進学するための準備と言って少し前に退校した。
あんな小さかった子がもう中学生なんだなと、急に時間の流れを感じた。
私は今もあの子の泣き顔と声を忘れる事ができない。
きっとこれからも、3月11日が来る度に思い出すだろう。
あの日、幼稚園児のクラスを中断してから、その日の授業は中止だという連絡を各ご家庭に電話をして回った。
それと同じ事を、つい先週行った。
コロナウイルスの対策として、急に授業が中止になったからだ。
東日本大震災から9年。
まだまだ復興が完全ではないが、人々は日々の生活を取り戻している。
今は色々な問題があるが、今度もきっと大丈夫。
明るく、声を上げて、笑って。
日本は強い。
1日も早く、元の生活に戻れるように願うだけだ。
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