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レビューはわからん、好きの共有はできる

今の時代はいろいろな人がレビューできるようになっている。
でも、レビューというものは独特の感覚を持っていないとできない。僕はそう思っている。
好きを伝える。その作品が好きなのを伝える。それはレビューをしたことがない人でもやったことはある。

では、この2つの違いとはどこにあるのだろうか。
レビューは第3者としての目線と、本人としての感覚の二つの重りを持ってバランスを持たないといけないところにあると思う。
この部分を客観的に見てどう感じるのか、どのような印象を持ちやすいのかという考え方がないとまず、レビューというものにはならないと思う。
レビューという名ばかりの自分の感想で全部を語ろうとすること。周りの空気感や時代感、それに基づいた情報をしっかりと載せていることが出来ているのか。

例えば、レトロゲームのレビューを考える。
今の感覚で全部を語ろうとすると、なぜそのゲームが人気だったのか、遊んだ人たちに大きな印象を抱かせたのかがわからない。なにがうけて人気になったのか、今の時代まで語られ続けてきた要因は何にあるのかを考えずにするとただの感想になる。自分はこう感じたーっていうただそれだけになってしまう。

自分の感性をしっかりと持っておくことは大切だと思う。でも、それだけじゃあレビューはできないと思う。
自分の楽しかったこと、ここは嫌だなと感じたことをかくのなら感想なんだと思う。それは好きや嫌いの共有ってことなんだと思う。まあ、その共有もうまい人はとことんうまいんだけど...

だから、レビュワーとして最前線を突き進んでいる人って他者としての自分とのうまくバランスを取らせて自分の感覚を広げているのがすごい。
僕にできるときは来るのだろうか。

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