見出し画像

ノラカドウ_発見29 看板の「にわかにハテナ効果」

この写真、どこといって変わったことのない歩道に設けられた植栽かと思いきや、看板に私有地とあるのを見た瞬間から、もやもやが沸き起こります。これをノラカドウと言っていいのか?基本的に造園的なものだし、野良と言うよりも管理保守されてるあたりも非ノラカドウ系。でも看板の「私有地」を見て頭には?が浮かぶのです。意味はわかるけど意味不明みたいな感じ。でこの場合、看板に書かれた「私有地」というのは、名付けの作用を持っているような気がします。「私有地」を主張してますが、実際の物件は、どこと言って変わったことのない公的な造園物の風情なだけに、名付けがなされた瞬間に、むしろその変哲のない造園的なものが、にわかにハテナ?的な存在に成り代わって、プレゼンスを発揮しはじめます。うーん、立て看板恐るべしな展開です。でもだからと言って、この造園的なものの変哲の無さには変わりはないのです。これって概念が先行して存在感が変容するって流れなのか?実体と名付けが相互に作用し、それが時間経過を経て一体化し、ナニモノかになるって話かな〜。となれば、それは、この物件を見た観察者の中で徐々に進行していくわけです。この辺りは発見10の「徐々に領域」とも繋がる話かもです。で、結果的にこの造園的なものが、どのように変容していくか?それは観察者毎に違ったナニモノかになっていくわけで、その辺りが面白いと思うのです。ちなみにこの造園の持ち主は、何を訴えたくて「私有地」の看板を掲げたんでしょうか?「私有地」の文言だけでは、その辺りが不明なだけに、観察者のナニモノかへの道筋は、様々に枝分かれしそう。経過観察をし、それを他人様と共有したいと思っちゃいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?