チャイコフスキー「白鳥の湖」

 昭和10年に祖父が創業した和紙/文房具販売のお店の長男夫婦の次男としてに生まれた僕は、祖母が体の弱かった叔母のために用意したピアノを活かすべく習うことになりました。習い事としてあまり気が進まず、練習もサボってばかりなのに早く「エリーゼのために」が弾けるようになりたいと思ってばかりいました。特別に音楽が好きなわけでもなくぼんやりと、ほぼ嫌々ピアノ教室に通っていたわけです。

 そんな10歳の頃、駅前の映画館で「東映まんがまつり」の一部として「世界名作童話 白鳥の湖」というアニメが公開されました。結果的に僕は観に連れて行ってもらえませんでした(悲しかったです)。そのかわりにそのサウンドトラックのカセットテープを買ってもらいました。映画鑑賞よりカセットテープのほうが高価だったと思うのですが、商店経営の両親ですから文句は言えません。僕は観に行けなかった悔しさから必死に何度もそれを聴くことになりました。そしてそれは音楽を聴くことで”観ることの叶わなかった“映像を頭の中で想像し描くことに没頭することになりました。そもそも「白鳥の湖」がバレエ音楽であり実際の演技や振り付けと密接に作られた音楽ですので、10歳でも理解しやすく良い教材だったのだと思います。

 妖しい序奏、舞踏会の華々しさ、しずかな湖のほとりでの白鳥の踊りなど、次々と音と映像をつなぎ合わせることにのめり込みました。そしてコレが重要だったと思うのですが、テープに同封されていたライナーノーツに物語のあらすじとアニメのワンシーンの画像とともに有馬礼子さんによる音楽解説がついていたのです。各曲の核になるモチーフの譜面とともにこの曲と次の曲はテーマが似てるでしょうとか、トランペットの悪魔の強い力を感じさせるようなフレーズに続きます、とかもう本当に読んでて楽しい解説がビッシリと載っていて音楽の構造のヒントをくれたり、時には頭の中で音から絵を想像することを助けてくれました。今僕の手元にあるものはレコード用の大きな印刷物ですが、当時のカセットには小さくいくつにも折込まれた白黒印刷の解説を必死に読んだ記憶があります。この解説とともに音楽を聴くことが、メロディひとつとっても楽器や奏法、またはそれらの組み合わせによって作られる響きや音色で物語を奏で描くことの楽しさ美しさ素晴らしさを僕に教えてくれました。このようにこのライナーノーツの存在はチャイコフスキーの音楽と共に僕にとって頭の中で音の絵を描く能力を授け育ててくれました。ありがたいことです。

 そして何度も解説を読みながら何度も繰り返し聴いているうちに、楽器の配置や各楽器の音色などが体に入ってきていました(あくまで脳内で、想像であり正解ではないです)そして曲を覚えるとまるでオーケストラを指揮しているように(完全に当て振り)次に演奏される楽器にハイ次はフルート!などと指揮者になった気になって棒を振り回したりしていました。ヘッドホンで。

 時は経ち、大人になった僕はふと白鳥の湖のことを思い出し、音源をCDで買い直すことにしました。CD屋さんにはオリジナルのサウンドトラックは売ってなかったけど、チャイコフスキー三大バレエと言われる名作ですからたくさんの名指揮者や有名オーケストラの録音が売っていましたので、安心して適当に買って帰りました。が、コレが違うんですよテンポが、指揮が。僕の体に染み付いたアニメ版と全く。買っても買っても違うんです。エライもので全然落ち着いて聞いてられない。それから何年も経ってからオリジナルのサウンドトラックをネットオークションで入手し安静を取り戻しました。長い道のりでしたが、オリジナルを聞き直してもテンポや指揮のニュアンスなどが特別に個性的なわけではなく、思い出補正や記憶改ざんによってありもしない最高の作品に脳内で仕上がっていた様で少し寂しくなりました。よく考えたら何度も繰り返し聴いたカセットテープの劣化やそもそもデッキのスピードが如何なものか、という側面も今では考えてしまいます。

 とはいえ、これらの「白鳥の湖」体験は僕自身の音楽の聴き方を決定づけた出来事だったのだと思います。それは音を聞きながら頭の中に絵(画?)や色を描く、ということです。僕の場合は共感覚をお持ちの方々に比べたら全く幼稚な描写ですが、鳴っている楽器や配置や人数はもちろんですが抽象的な音やシンセサイザーで合成された音や残響で想起される空間も頭の中で映像に変換して聴いている、のだと思います。こう文字にするといかにもアーティストぽくて、常に音を絵に変換しながら生活しているように思われそうな気がしますが、普段は全く考えもしないです。よく言われるように、絶対音感をお持ちの方が普段の生活音に音程を知覚して苦しむ、のような事は全くないです。むしろこのように絵や色を描きながら音を聴くことが楽しくて仕方がありません。そうこの「白鳥の湖」体験以降、ずっと今まで、楽しいのです。音楽という録音された音声記録に宇宙を発見したので、未だにそれで遊んでいる感覚です。いつのまにかその遊びの延長のような流れでついにはそれを仕事にして生きている訳ですから、これはもう出来るだけ多く長く遊んでみようと思っていますし、これからも聴いたこともない音や描いたこともない絵に出会えるようなるべくオープンでいたいと思っています。もちろん、人に美しい絵を頭の中で描いてもらえるように自分の表現も常にアップデートしていたい、とも思っています。

欲張って色々書いてしまいました。

これが僕の音楽の原体験なのだ、と思います。

 ちなみに結局、「エリーゼのために」まで続くことなくピアノ教室は辞めてしまいました。月謝の使い込みがバレたことと、テクノムーブメントの到来でなんだかピアノがダサいように感じてしまっていたことが原因です。あゝ勿体ない。

 

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