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寝てる間に思いついたんだけど

最近寝てる間に脳内が最適化されて、もっとも核心に触れる言説が生まれやすい気がする。

余計なノイズが無いからなのか、単に脳内だけの情報で再構築するから合点のいく論調を組みやすいからなのか。またそれを評価するのも自分だからシンプルに受け入れやすいストーリーを作ったにすぎないからなのか。

今日構築できたのは、吉牛の件。

あれってマーケティングのセミナー講師の話なので、吉牛に落ち度は無いと思う。
あの人があの味を作って維持しているわけでも無いし、ましてや神がかったオペレーションで回転率を向上しているところや、メニュー企画が飛び抜けて上手なので、牛肉を市場に格安で効率的に提供する企業として随一なんだと思う。

さらに、クリーンな広告塔であるキン肉マンとの健全な関係があったからどんぶりにこだわれたり、企業努力の方向性が若者向けだった文化も根強い人気の一つなんだと思う。

実際に味なんかは飲食業界において勝ち組にいるくらいで、海外出展された店で食べてもこの味だよと味を覚えていられるクォリティはこれからも誇れるレベルだ。現に自分は冷凍レトルトをコストコでヘビロテ購入しているくらいだ。

そんな中悲しいニュースが流れてきた。あれ?でもこれってコロナ禍の成果と言えるんじゃないか。

どう言うことかと言うと、社会人向けのセミナーだというのに声を上げたのはこれから社会人になる人が発端だったみたいだ。このコロナ禍でおうち時間が増えて、セミナーを受ける側の質が向上したのだと言えるんじゃないかって。

昔の話を持ち出して申し訳ないけど、昔なんか就職前のセミナーなんて、精神論垂れ流しで、まず常軌を逸した言葉しか聴けなかった。セミナー開く方はどうやって鼻っ柱折ってやろうかくらいに考えてはっぱかけてた節がある。
実際にかけられた言葉は、「客の夜を支配しろ!」「お前がやらなきゃ誰が残業するんだ!」「早起きして勉強する時間を作れるだろ!」
そんな言葉で脳をガツーンと打たれたような気持ちになって、もんもんとしながら仕事に戻っていく。言われたその場では「え?仕事の話ですよね?」とか「そんなバカな考えに賛同しないと仕事続けられないのか」という言葉が脳内に浮かぶけど、先輩や同僚に相談して少しずつ落とし所を見つけるよりも、それよりも業務に慣れるのに必死でいつかその衝撃もやわらいだころには次の課題が見つかっていつのまにか「セミナーで言われたことがこれか!」みたいな幻想にすがりついて次の後輩をなだめるみたいなクソな文化の構成員になっていく。

違和感を違和感と表明することが自分たちの仕事環境の改善になるんだという正しい思いが当たり前になるようにできないか、そんなことを悩むよりも若い新社会人を説得する方が容易いことに気がついてセミナーを開いてしまう、そんな象徴的な出来事なんじゃ無いかと、寝てる間に思いついた。

ここからは、目が覚めてから考えたんだけど、牛丼といえばゴルゴだけど、なぜかペリーが思い出されて起きている時は何を考えてもダメだ。

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