チェコの夏学校 1997年 1
はじめに
僕は大学3年生の夏、1997年のこと、にチェコ共和国の首都プラハにあるカレル大学で実施されていた夏学校に参加した。
僕にとっては初めての海外渡航で知り合いが全くいない異国での夏学校はとても面白く印象深い経験になった。少し時間ができたこともあって、その夏のことを少しずつ書き留めておこうと思う。
色々あって後半の写真はないし、書類もほとんど残していないし、当時の教科書なども知人に貸したりしているうちに散逸してしまった。あいまいな記録になってしまうが、そこは許していただきたい。
チェコ語を選択するまで
1997年、僕は大学3年生だった。1989年にベルリンの壁が崩壊し、所謂東欧諸国の民主化を目の当たりにしていた。僕が小学校で習っていたチェコスロバキアという国はビロード革命を経てチェコ共和国とスロバキア共和国に分離独立していた。日本はバブルが崩壊していたけど、世界は確実に平和の方向に向かっている、そんな空気を感じる時代の話だ。
僕は道産子である。小さいころに何度かアイスホッケーの試合に連れて行ってもらい、スピードと迫力に憧れを抱いていた。もちろん、NHLも好きだったが、旧東欧諸国のスピードとパスを重視するスタイルが好きだった。そして1996年長野オリンピック アイスホッケーのチェコ優勝には興奮したものだ。また、父の影響が大きいが、よく映画を見ていた。「存在の耐えられない軽さ」ではジュリエット・ビノシェの腋毛に驚きながらもプラハの春を通した自由の大切さを感じ、原作を読み、そのままミラン・クンデラの他の作品を読み漁った時期もあった。そんなことで大学入学前から漠然と旧東欧諸国に興味を抱いていたのである。
僕の大学には言語文化部という学部生はいないが独立した学部があり、スラブ研究所というものもあった。そのため、外国語大学ではないにも関わらず、旧東欧圏について講義が豊富だった。チェコの夏学校に行くことになる直接の出会いは大学2年生の選択である。僕は理系だったが、語学の2単位がおおらかで①第一外国語(もちろん英語)、②第二外国語(僕はフランス語を選択していたが熱心ではなく1年余計に履修することになった)、③第三外国語(開講されている言語は幅広かった)から2単位でよいことになっていた。比較的真面目な友人は英語を選択していたし、理系学部では当然のことだ、4年生くらいからは英語の教科書も多くなるし論文は英語ができないと始まらない。ただ、僕はあまり真面目ではなく、悩んでいた。その時に同様にあまり真面目ではない友人から第三外国語の単位はどれも難しくなく、特にチェコ語の先生は仏(単位を簡単にくれる先生をこう呼んでいた)らしいと聞き、チェコ語を選択することにしたのだ。
ちなみに当時はチェコ語の他にポーランド語やハンガリー語の講義が開講されていた、もちろん第二外国語として選択可能なフランス語、ロシア語、中国語を第三外国語として選択することも可能だった。こうして僕はチェコ語に初めて触れて、1年半後には夏学校に参加することになったのだ。
夏学校に参加してみる
チェコ語の講義は言語だけではなく文化も学ぶような形で、クリスマスにはチェコのケーキやチェコ料理を作ったりして楽しいものだった。1年の講義が終わるころにプラハでの夏学校というものが紹介され、興味があれば参加してみてはという話があった。観光目的でも良いという先生の話もあり参加を決めた。他にそんなことをする友人はなく独りでの参加となった。
僕にとっては初めての海外渡航となる夏学校に向けての準備はあまり難しくはなかった。申し込み書類は英語だったが、苦労はなかったのでほとんど印象がない。参加費は授業、大学寮での宿泊と食事が込みで950米ドル(当時のレートは1ドル115円くらい)で1カ月分としては安いと思う。ただ交通費が夏ということもあり約25万円と高くなってしまった。
当時はインターネットはあったが個人でチケットを予約できるようなことはなくて、大学生協で手配を依頼し時間はかかっても良いので安くとお願いしていた。そこで札幌・東京・シンガポール・ドバイ(だったと思う)・プラハという乗継に時間がかかり片道40時間くらいの往復10万円程度の旅程を組んでくれたのだが、出発が7月下旬のハイシーズンで東京・シンガポールがどうしてもとることができなかったのだ。結局、高くはなるがキャセイパシフィック航空利用の札幌・香港・チューリッヒ・プラハという旅程になり往復25万円となってしまったのだ。
今ではなくなってしまった香港啓徳空港の利用で感慨深いものもあるが、当時はバイトを増やさないといけないと思っていた程度だった。また、当時はチェコに入国するにはビザが必要で、これも大学生協でお願いしていた。貧乏学生だったが大使館に直接申し込みに行くこともできなかったからである。このビザは90日間有効だが30日か60日で一度チェコ国外に出る必要があるもので、期間中の週末にドレスデンへ一泊で行き、そこでカメラを紛失することになるのだがそれはまた別の話だ。
そんなわけでなんとなく興味のあった旧東欧圏、チェコで大学3年の夏を過ごすことになったのである。これから少しずつ、主に時系列に沿って書いていきたいと思うが、大学生に限らず、チェコに限らず、夏学校にも限らないが色々な形で自分が属していないところで過ごすという体験は単純に面白いし、様々な視点を得る機会にもなることを伝えられたらと思う。
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