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合唱曲メモ:明日のノート(作詞:俵万智 作曲:松下耕)

 今年のNコン、高校の部の課題曲である。
 最近、所属団の演奏会で、中高いずれかのNコン課題曲をとりあげている。で、今年は高校の部の課題曲をとりあげることになった。
 (私自身は今年の演奏会への出演は叶わない予定なのだが)このメモは、自分なりの曲についての解釈、見方をまとめたものである。
 当然、所属団とは一切関係ない、私個人の見解であるため、ご留意されたい。

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 今回、詩の中で目を引くのは、作詞者が自身の短歌を詞に読み込んでいる点だ。(これも本歌取り、と呼ぶのだろうか。)

「愛は勝つ」と歌う青年 愛と愛が戦うときはどうなるのだろう

俵万智『チョコレート革命』1997, p.129

「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい

俵万智『チョコレート革命』1997, p.15

 読み込まれているのはこの2首で間違いないと思うのだが、課題曲の詞の中では次のように若干改作?されている。

(前略)
愛は勝つと歌う友だち
愛と愛が戦うときはどうなるのだろう
(中略)
勝ち負けの問題じゃないというけれど
問題じゃないなら勝たせてほしい
(後略)

俵万智「明日のノート」、太字筆者

 もとの短歌のカギかっこが外され、「青年→友だち」、「諭されぬ→いうけれど」と言葉が変えられている。この意図をどう汲み取るか。

 いずれの短歌も、歌集「チョコレート革命」に収められている。今回の課題曲をきっかけに、同歌集をはじめて読んだ。まず飛び込んでくるのは、道ならぬ恋、不倫の恋を扱った恋愛の歌。それから、歌人の経験した旅先の風景、当時の社会的なできごとを扱った、社会をまなざした歌。いずれも、大人(常識を携え、世間の厳しさも冷たさも知っているような)の視点を持ち合わせた種類の歌だと感じた。(それでも侭ならない感情があるから、短歌が生まれるのだろうと想像する。)ただ、作詞者は、それを歌うときに「大人の言葉」は使いたくない、という意のことを、あとがきのなかで語っている。また、作詞者が読み込んだ2種は、いずれも不倫の恋を感じさせる短歌だということには着目したい。

 作詞者は、「課題曲制作者からのメッセージ」の中で、本作を「私からのエール」と表している。「大人」の作詞者から「十代の高校生」への「エール」というわけだ。そこに読み込む2首が、「チョコレート革命」の中でも不倫の恋を思わせる短歌から取られたのは、作詞者が「十代のままならなさ」から連想した感情が、不倫の恋だったからなのではないか、と想像する。その中で、十代の葛藤にも通じうる短歌として、この2首が選ばれたのではないだろうか。
 しかし、もとの短歌をそのまま課題曲の詞に読み込もうとすると、「大人の視点」が邪魔になる。(十代の葛藤は、確かに世間の物差しを意識するから生まれるものだと思うが、自分の内側に湧き起こる侭ならなさや、同年代の友人たち(あるいは恋人)との関係をめぐって育まれるものだと思う。)
 もとの短歌のカギかっこは、短歌を読む「私」の外側に「世間」や「社会」があることを自然と感じさせた。カギかっこが外れることで、「愛は勝つ」「勝ち負けの問題じゃない」というセリフが、「私」の独白にするりと馴染む。「世間」や「社会」に漂うことばではなく、「私」がぐさりと受け止めたことばとして、距離が近くなる、という効果があるのではないだろうか。「青年→友だち」も同様で、「十代の私」にそれを言うのは、テレビの向こうの青年ではなく、そこにいる友だちだ。
 「諭されぬ→言うけれど」は他の二点とはやや趣が異なる、と思っている。「諭す」という動詞は、道ならぬ、世間的に許されない何か(=不倫の恋、と思うのだが)をめぐる争いに「勝たせてほしい」のだという侭ならなさを的確に示す役割を果たしているのだと思う。が、課題曲の詞の文脈にはそぐわない。故に(周りの友だちも)「言うけれど」と、ライトな表現に改めたのではないだろうか。

 詞への短歌の読み込みと、それに伴う改作?についての覚え書きは以上である。というか、今回主にまとめたかったのはこの点だ。
 作詞者がたどったのかもしれない思考を辿ることが、もはや「十代の高校生」ではない、「大人の私」が、「十代の私」の歌をビビッドに歌うための方法を模索するのに役立つのではないか、と考えた。
 何もかもがままならない。そのままならなさは実はとても狭い世界のもの。狭い世界の中で勝てないことに苛立つけれど、広い世界からの言葉はそれはそれで鬱陶しい。私の好きにさせてほしい。自分の身勝手さに実は気づいているし、広い世界に進む力が自分にあることも知っている。少しのきっかけで未来に向けてなんでもできる気にもなれるけれど、不安もつきまとう。不安を捻りつぶして前へ進む。
 そういう歌なのかな、と思っている。

(以下、もう少し加筆予定)