ここに辿り着くまで
私は今、日本語教師になるための勉強をしている。
なぜ、日本語教師になるという決断にたどりついたのか…
日本語教師の勉強を始めるまで
今までいろんな仕事をしてきた。
航空会社での客室乗務員、学校での図書館司書、大学での教務事務、
そして大学の研究室での教育研究助手。
ばらばらな仕事のようで、全て繋がっていたように思う。
それは日本語教師の勉強をしている中で実感する。
出身国によって慣習がばらばらだなぁ~とか、小学校での『図書だより』にルビをふってたなぁ~とか、ビザの問題があるから留学生は休学できなかったなぁ~とか。
交換留学生との出会い
一番直近では大学の研究室での教育研究助手の仕事をしていた頃、
私の担当は会計や庶務、交換留学生の対応がおもな業務だった。
2023年前期はコロナの終息もあり、研究室での交換留学生の受け入れが5人になった。
交換留学生は出身の学校にスタディタイムを報告しなければならないことから、合流した学年の必修科目を履修するほかにも、いくつか自分で選択して科目を履修しなければならない。
これが、ほとんど日本語を話せずに来る交換留学生にとっては至難の業である。
(正規の留学生は日本語能力試験に合格しアカデミックジャパニーズをあやつり、なおかつ大学の試験にも合格しているので、日本人の学生と同じようにスムーズに進んでいく。)
対応する私も大変、交換留学生も大変、、、
受け入れ前に考えあぐねた末に、交換留学生だけに丸1日使ってキャンパスツアー、シラバスの確認、履修科目の確認をすることにした。
(4月から授業が始まるので3月中に、この日だけは必ず参加すること。またこの日しか対応できないことをメールで交換留学生に周知して。)
本当に大変な一日になった!!
何度も同じ説明をして、何度も行ったり来たりして。
(その日から私は舌が痛くなり、病院に行ったら舌痛症というストレスからくる症状だと言われた。)
同じように交換留学生も大変で疲れたに違いない。
でも、次の日から信じられないくらい事がスムーズに運んだのだ!!
交換留学生はあの大変な一日を共に過ごした私に、授業の後は研究室のカウンターにいる私のところへ来て必ず声をかけてくれるのだ。
そしてキャンパスの施設を大いに利用して、交換留学期間を無駄にしないように過ごしてくれているのだ。
みんな出身国はバラバラだが5人はとても仲良く、助け合ってキャンパスライフを満喫している。
そして半年の交換留学期間が終了して国に帰った5人は今もヨーロッパのどこかで集合して、グループ展示をしているようだ。
ときどき楽しそうな写真付きでメールが送られてくる。
日本語を話そうとする努力
私は決して英語がペラペラなわけではない。
例えて言うなら、ルー大柴さんが日本語を交えて英語を話しているようなものだ。
それでも交換留学生が困らないように何かをしてあげたくなる。
そう、息子と同じ年代で日本に来て不自由にしていることを無視はできない。(ただのお節介オバサンとも言う。)
そんな私に覚えたての日本語で交換留学生たちは話しかけてくれる。
泣けてくるじゃないか。
だから私もゆっくりの日本語をはなしてみる。
「あれ?ゆっくり話しても通じるものと、そうでないものがある、なぜだろう?」
調べてみたら「やさしい日本語」というものがあるらしい。
わかりやすい日本語で話すことが必要なんだ、、、
そんなことを調べていくうちに日本語教師というものに惹かれていくようになったのである。
いざ日本語教師の勉強をはじめる
彼らが2023年前期の交換留学期間を終了し帰国するとともに、私は日本語教師養成講座に申し込んだ。
今はやっと実践にはいったところで、全てが終了するのは10月になりそうだ。
でも勉強していて思うことがある。
それは日本語教育の先人たちへの尊敬と感謝である。
日本語学校で教鞭をとる方、ボランティアで地域の外国人に日本語を教えてる方。
今まで私が知らないだけで多くの先人の方たちが努力してくださっていたことを身に染みている今日この頃なのだ。
そんなわけで、私も一日でも早く微力ながら、日本語教育に携わりたいと思いながら、日々模擬授業の準備に追われている。
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