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私をみた

一本の樹が倒れた。なぜ倒れたかって、それは自然に倒れたのだ。自然な角度で、自然な風に吹かれて、根元からどっかりと見事な倒れっぷりである。

大蛇の松オロチノマツと云われていたこの樹は、堂々と力強く天辺が見えなかった。数百年もの間天高く聳えてきたこの樹は、2019年の台風19号(ハギビス/Hagibis)の前に力尽きてしまったのである。

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この写真はその時露になった大蛇オロチの根である。大蛇の松が最期の時を迎えた瞬間から、朽ち果てていく樹という次なるステージに移行された。この樹は白金台の自然教育園にあり、今後もこのまま維持される。

台風だけが倒木の原因ではないと関係者は語るけれども、とどめを刺したのは台風19号だろう。14都県390市区町村に及ぶ広域被害の影に隠れて、大蛇の松はここを訪れる人々に自然災害の脅威を呼びかけているようだ。

自然災害の規模拡大がいろんなところで議論されている。気候変動に関することも当然のように関連づけられ、人々の経済活動に対する警笛を多くの研究者が鳴らす。たしかに理論的に納得できる情報、課題は多い。

だが、我々の日常とは大きなギャップと矛盾を孕んでいる。現代に生まれてきた我々に一体どうしろというのだろう?そんなことを真剣に考えようとしている人は、私の周りにはまだ少ない。


私の家族には両親と兄がいる。私自身は一人暮らしで、家族と会うことはほとんどなく、独身おっさんずの一人である。守るべきものはどこかにあるのかもしれないけど、今はないので幸は薄い方だ。

この歳なので、周囲には新しい家族が増える。扶養家族を持った人は強くなる。そうなれば、愛という大義名分の基にパワフルになんでもチャレンジしていけるのかもしれないが、生産性の低い世の中は稼ぐだけでパツパツ。

人間が現代の経済的価値観を維持し活動を続ける限り、心地よく住める環境を自ら破壊しているということは人類にとっての暗雲であるが、私の立場から言うと、守るべきものなどなければどうでも良いことなのだ。

そう考えると、温室効果ガスを減らすことができず、結果的に人間が生きていける未来が無くなったとしても、それは自業自得であり後世に伝えることなんてないし、地球は変化はしてもその姿を保ち続けるだけだろう。

それで良いと思う。それが自然の成り行きというものだろう。


なのに、私は環境破壊や気候変動について年々関心が高まっていくし、それを阻止しなければと思うのはなぜだろう? 物心ついた時から環境破壊については関心はあった方だが、それにしても理不尽な世の中に不満が募る。

日々の生活の中で、当たり前のように使っているもの。その中で人工的なエネルギーを要するものは最小限にしたけれども、それでも電気は必要だし、移動は自転車が中心だけど、車も電車も利用している。

食品を選ぶ時も、出来るだけ環境負荷を軽減した製品を選びたいと思うが、そのような判断基準は表示はあまりされていない。逆に買いたくないと判断できる情報はある。それらを避けるとほとんど高価で、今のシステムでは仕方ないと、できるだけ買うようにしているが限界はある。

身に纏うものは、自分がいるブランドの製品を中心に愛用しているが、化繊のモノは出来るだけ買わないようにしたい。そして、P社の取り組みには興味津々で、そのような取り組みをこちらでもやりたいと切に願う。

結局、日常生活というのは人間の経済活動にドップリで、自分は大したことは何もできてないと感じてしまう。多くの人が同じ状況だろうけど、それに悲観することなく、小さなことを積み上げていくしかない。

環境の変化はもっと早いスピードで進んでいるだろうからそうも言ってられないのだが、焦っても何も変わらないし、受け入れるしかないのである。

一本の樹が倒れたことは、多くを考えることを加速させた。環境破壊、気候変動と自然災害は関係していても、自分自身がそれぞれにアクションすることは違っている。

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今年はご縁があって、FUKKO DESIGNというプロジェクトに関わって、自分の仕事であるラファのモバイルクラブハウスを使った旅の企画と #FUKKOツイート旅 のコラボレーションを通じて、復興に繋がるアクションを少しだけ形にできた。また別の機会に書いて残したいと思うが、noteを書くということについてもきっかけの一つとなった。

自然災害は人々のあらゆる感情を揺さぶり、多くのことを考えるきっかけとなる。これまで生きてきたいろいろなことを思い返し、この先の未来が見えない状況の中で、どうやって生きていくのか、露頭に迷う人も多い。

もはや他人事ではなく、今か、明日か、いつ自分がそのような状況に置かれるのかわからない状況となっているが、自然の脅威が強大になっていくと同時に破壊と創造は繰り返されることになる。

破壊の後の創造はサスティナビリティの流れに添うべきである。その手助けが少しでもできれば、そして人の心にすこしでもユトリを与えられうような活動ができたら良いなと思っている。

復興支援は、自然災害で被災された方達を助けること、応援すること、何ができるかはその時々で違うし、タイミングもあるし、人それぞれである。

ただ言えることは、何かあった時には動ける準備がないと、何もできないということだ。様々な取り組みを通じて、多くの仲間を集め、多角的なアプローチで地域のために動く、FUKKO DESIGNは、総じて災害対策プロジェクトと言える。

FUKKO DESIGNは一般社団法人となり、これまでのプロジェクトから学んできたことをあらゆる分野にフィードバックし、今後の活動のための準備を進めている。そのためのクラウドファンディングも進められていて、多くの方から協力が得られているが、もし、ご協力いただける方がいらっしゃったなら、お力を貸していただけるとありがたいです。

大蛇の松の堂々たる生き様は、倒れた後も人々に暗黙のメッセージを送り続ける。日常の小さな出来事や、人の出会いを大切にして、これからどのような未来を想い描いて何を目指すのか?フラフラと生きてきた人生半分あたりで、今一度考え見つめるタイミングなのかもしれない。


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