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埋められない違和感

時間を持て余すと何していいかわからない。

大学を卒業して、仕事もすぐにやめてしまった私は、とにかく時間を持て余していた。

持て余した時間をどのように使っていたかというと、あてもなく自転車で街を彷徨っていた。当時住んでいた阿倍野から大阪の街をぐるぐると。

自転車に乗っているだけで楽しくて、何も考えずただただ自分の赴くままに走り、飽きてくるといつものカフェに行ってカレーライスを食らう日々。そこのカレーはんまかった!

つまり、めっちゃ現実逃避をしていたわけだが、ある日カフェの店主からお叱りを受けた。もちろんコテコテ関西弁で。

「あんたなぁ!そんな自転車ばっかり乗って仕事もせんとええ加減にしーや!そんな自転車好きなんやったらメッセンジャーでもやったらえーやんか!」

すんまへん!おっしゃるとーり!ってことで、タウンページを開いた。当時はスマホもない時代、インターネットはあったがまだ紙のパワーが強かった。メッセンジャーという仕事が大阪にもあるという噂は聞いていたが、本当にあるかどうかもわからない。

でも、あった。メッセンジャーで調べようとしても見つからなかったが「自転車便」と表記されたバイシクルメッセンジャーの会社だった。

早速電話して、あれあれよと採用され、先輩にくっついて街を走りながら、仕事についての基本的なことを教わった。

ベテランのメッセンジャーは地図を見ない。地図を出して開いて探すという行為が時間の無駄だから、すべて頭の中に入っているというわけだ。クライアントの癖や、ビルの導線、警備員の癖なんかも、すべて時間の計算に含まれる。

道路上での自分のポジションについても教わった。クルマのドライバーにとって邪魔とならない微妙なポイントで自分の存在をアピールすること。より早い視認が安全に繋がる。相手の死角を理解して常にポジションを考える。

ほかにもいろいろ教わった。ドア開けをくらうヤツは、メッセンジャーとして未熟である。時間をコントロールして安定感を持つことや、無線のやりとりに関しても、とにかく無駄を削ぎ落とし、正確な情報共有が求められた。

かっこ良かった。すげーってなった。自由自在に街を走り、速さより早さ、それに対する憧れが湧き上がってきた。

そんなわけで、メッセンジャーという世界に足を踏み入れて、一日中自転車に乗っている生活が始まったのである。朝から晩まで自転車に乗って、自分のスキルを高めていくことが楽しかったし、充実していた。

しかし、街乗りは乗れば乗るほどに違和感が積もる。

クルマの排気ガスや、自転車の存在を無視するかのようなドライバーの横暴な振る舞いが目立った。当時は1日走れば鼻の中は真っ黒だったし、普通に走っていてもクラクションを浴びない日はなかった。

クルマに乗ってデカい顔をしている奴らの横暴さに苛立ちを覚え、自転車に乗って仕事をしている自分たちを、彼らより崇高なもののように錯覚し誇りに思っていた。積もる不満は次第に自分の行動にも表れるようになり過激になって行った。

低レベルな話であるが、実際にその苛立ちはクルマとクルマに乗る人たちに向かって行った。何気ないきっかけで道路上でよくケンカをするようになった。

タバコをぽいっと捨てた奴に、火がついたままのそのタバコを拾って車内に投げ入れてやったりした。すんげー怒ってたけどざまー見ろって笑ってた。

幅寄せしてきた車に足蹴りをかまして、クイックシルバーさながらのカーチェイスも起こりえたし、飲みかけの缶コーヒーが飛んできたり、殴り合いのケンカにもなった。特にタクシーとはよくやりあった。

仕事中になにやってんだ?って感じだが、心弱きアホな若者はクルマを悪と決め込んで、邪魔だと思う奴には食ってかかった。返り討ちにされたこともあるが、自分は間違っていない、相手が悪だと思い込んで荒れていた。

なぜ、そんな横暴なことをやっていたのだろうか?

自転車に乗っている自分の存在は世の中に認められない、邪魔者扱いする人があまりにも多く、社会的な疎外感を感じていた。

ある日、長堀通の車道を普通に走っていたら大阪府警の車両が走っていた。自分の方がスピードが速くて抜いたのだが、その際に後ろから拡声器で言われた。

「そこの自転車、歩道を走りなさい!」

ぷっちーん!思わず、スピードを緩めてその警察官の横を併走し聞き返した。

「なんで? 自転車は車道の左端を走るって知ってるやろ? なんで歩道走れって言うん?」

そいつは、一瞬なにも言えなくなって、次の瞬間逆ギレした

「お前の安全のために言ってんだろうが!」

バカだ、、、お粗末すぎてなにも言えなかった、、、 

警察官がこんな認識で正義感だけ振りかざして、日本は終わってら。と心底沈んだ出来事だった。

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そう、この歪んだ認識、考え方こそが日本が抱えている交通社会の闇であり、だれもそのことに違和感を覚えないほどに一般常識化しているのである。そこに共存意識はない。

「自転車は危ない」と良く耳にするが、実際はそうではない。自転車は危ないと思わせている社会通念がが最も危ういのである。なぜなら、自転車が存在する領域は曖昧にされたまま、誰もそれを意識しなくなってしまったからだ。

歩いていても、自転車に乗っていても、クルマに乗っていても、多くの人は何も気にかけていないだろう。自転車に乗っている人のマナーが悪い? そりゃそうだ、本来は車両として秩序の中で行き来する乗り物が、歩道を走りあたかも歩行者のような感覚で無秩序に走っているのだから。

それはモータリゼーションの中で洗脳されてきた日本だけの一般通念である。戦後GHQから出されたワトキンス・レポートにある通り、日本の道路事情は世界からみてかなり遅れていた。そんな中で日本の経済発展を果たすため、時の田中角栄は道路整備の重要性を説き「道路特定財源」という仕組みを生み出した。

そのことは間違いなく日本を大きく飛躍的に進歩させた。ほとんどの国民がその恩恵を受けていることだし、その目的はクルマの移動をいかにスムーズに、いかに便利にという点に注力され、多くの施設や建造物に、そして人々の移動に寄与した。

しかし、残念ながら自転車の存在は無いものとして蔑ろにされてきた。それと同時に環境への配慮も欠いていた。目まぐるしく変化していく時代の流れの中で、自転車の存在は置いていかれた。

それは、今に至る道路構造を見れば一目瞭然だ。道路の構造は、基本的に歩道と車道で構成されている。車道の幅は車が通れる幅しか想定されていない。そして3m以上幅のある歩道については自転車が通れるように自転車通行可となっている。

道路だけでなく都市計画において、ビルや住宅などの建築物に確保される駐車場は少なく、道路に駐車車両が並び、歩道に駐輪自転車が溢れている。東京都の条例では駐車場附置義務についての取り決めはあるが、駐輪場の附置義務に関する内容はない。駐輪場は各区において取り決めがある。しかし、これらの条例がちゃんと機能しているとは思えない。

高度経済成長の終わりに差し掛かった頃、クルマと自転車の事故は増加する一方であった。その流れを断ち切るべく1970年、クルマと自転車の事故を減らすために自転車は歩道を走っても良いというルールが作られた。つまり、自転車利用者を歩道に逃したのだ。その翌年、クルマと自転車の事故は減った。警察は結果を出した。そりゃ当たり前だ、車道に自転車がいなくなったのだから事故は減る。

だが、クルマと自転車の事故はその後また増加していくことになる。安全な道路環境や共存意識に目を向けることなく、世の中はクルマ優先社会を加速させ、警察はその後も「自転車に乗る人は歩道を走りましょう」と啓蒙し続けてきた。2016年に新たな法律が加えられるまで、46年間に渡ってそれを言い続けてきた。自転車のルールはその間も軽車両として扱われ、車道を走ることが原則とされてきたにもかかわらず、先述したように警察が歩道走行を推進しつづけてきたため、日本において自転車は歩道を走るものという認識が形成されてしまった。

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さて、あれから20年ほど経ち、世の中はだいぶ様変わりしてきている。

自分もおっさんになったので、昔みたいなことはもうないが、自分が当時荒れ狂っていた2000年頃に、政治の世界では自転車活用推進の動きは始まっていた。自分のような弱者の愚行ではなく、心強き勇者たちは着々と準備を進めていた。

長く地道な努力の賜物で、2016年には自転車活用推進法ができて、各地域で自転車活用の取り組みが動き始めた。一つの法律を作るまでに16年掛かったと、それは思ったより早かったと小林理事はおっしゃっているが、とてつもなく長い道のりだ。

あの頃感じていた違和感は、少しだけ緩和された。しかし、先日の都知事選挙でも見て取れたように、交通や都市計画に関する認識はモータリゼーションの余韻に引きずられ歪んでいる現状は変わらない。

私たちができることはなんだろうか? 自転車の楽しみは多くの人に通じるものがある。しかし、楽しみを広げようとして危険な目に晒してしまう環境であることは、とても自信を持って自転車って良いよね!って言える状況でもないのだ。

はがゆい。利己的な意識が作り上げたこの社会は生きづらい。

若い頃のように、勝手気ままにやっていればそんなことで悩むこともないのだろうが、そうも行かない。

答えはみつからない。

#choosecycling  

Photo by ONENATIONPUBLISHING 





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