ご注文はうさぎですか??〜Dear My Sister〜の考察・感想

※私のはてなブログの記事に修正を加え、移植したものです。
画像の使いすぎでサイトが重いので……
以下本文

事前に言っておきますが、そこそこ長いです。

ゆっくり読むことを勧めます。

あと、あくまで本記事は私の解釈なので、創造主(観測者とも)Koi先生の意図とは異なる可能性があります。

1.伝説の始まり

やっぱり作画がいつも以上に綺麗です。ちなみに駅はパリ駅がモデルだそうです。 

ところで(秒で脱線)Koi先生ってかなり画力高いですよね。この画力は
「写実とデフォルメが高次元で調和している」ことに裏打ちされています。一枚絵では小物や水、ガラスなどの色彩が非常に豊かで綺麗ですし、やっぱりキャラ絵もかなり上達(とにかくかわいい、指が綺麗など)しているのは明白です。要するにキャラだけじゃなく、小物や衣装にも非常に気を使っていると感じたということです。一つの絵に隠された設定や伏線、うさぎなどの細かい点も色々とありますが、それは逐一語っていきたいですね。 

千夜&シャロの疾走感あるシーン後から、ココアお別れのシーンが始まります。

リゼちゃんのツインテがマメちゃんに乗ってるのが良き。そういえば当時はリゼ役の種田さんが病気の都合上、お休みしていたのでリゼの声が聞けた当時の方たちは嬉しかったし、良かったと思ったでしょうね......

実は私、ごちうさを愛し始めてからまだ半年程なんです。(2019年冬、沼に入った)もっと早く知っていればよかったなあ......人生最大の後悔といってもいいと思いますが、前向きに今を生きていきます。

(閑話休題)

今は「みんなと一緒ならどこでも大冒険」が完全には当てはまらない状況なので、(ココア一人で帰省)ココアさんがいないことによってその存在がいかに大きかったかを意識させる、視点の転換という意味があるんでしょうか。

初期を振り返ると、すべてココアさんが魔法をかけてきたことで今があります。

はじめのきっかけはココアさんでした。主人公にふさわしい。いなければラビットハウスと甘兎庵は仲良くできていないだろうし、シャロ達とラビットハウス組との接点も無いままだったんです。

しかし今、始まりの終わりが完全に到来したのではないでしょうか。

ココアさんが、という単純な構造だけではついに捉えられなくなったんです。以前からこの兆候はあったのですが。

例えば、モカさんというココアさんにとっては監視官のような存在がラビットハウスに現れ、ココアさん同様、あっと言う間にみんなを妹にし、「カフェ」領域に侵入(後述)したことで、ココアさんが妹であるという立場が薄れ、「姉」としての立場があることをさまざまとモカさんに見せつけた。そしてそれは読者にココアさんがみんなを妹にしようとしたことで魔法をかけていき、変化を引き起こしていたことを再確認させる役割でもあったわけです。

そしてリゼさんがみんなを山キャンプに誘うことから、より一層ココアさんの影響を受けて、みんなが変わっていることがはっきりします。同時に、大きなアクションを起こしうるのがココアさんだけではなくなったということを示してもいます。その後の写真回でも、ココチノの喧嘩と言うかたちでココアさんが街に来て自身が変わったことをチノちゃん自身が認識していたとはっきりわかります。

また、チノちゃんがモカさんに手紙を出すことによってモカさんを登場させる理由ができました。これをアニメ2期のラストに持ってくることによって、DMSへのつなぎがかなり自然になりますね。これを事前に狙ってやっているならばKoiさんとアニメスタッフが素晴らしい連携を取っていたことになります。 

結局、DMSのテーマは「魔法」ということです。

ところでラストにマジシャン、もとい魔法使いうさぎをアニメで強調していたのは過去のココアさんが人形になったということで、これからは少し変わってくるよ、という刷新の意味を込めたのだと思います。(深読み)

また、ココアさんは魔法使いであると同時に、「鍵」を使いチノちゃんのココロを開いた人でもあります。

7巻のキャラクター紹介絵では、チノちゃんも鍵を持っています。

ちなみにココアさんは金の鍵、チノちゃんは銀の鍵です。(7巻キャラクター紹介絵より)

もともと、チノちゃんの鍵はココロの奥底に眠っていたのですが、リゼちゃん、マメちゃんと、ココアさんによって引き出されたのです。表出と言うんでしょうか。あくまでココアさんから与えられたのではなく引き出されたのです。これはココアさんの鍵とチノちゃんの鍵の色が違うことからもわかるでしょう。

なぜ眠っていたかというと、チノちゃんはおじいちゃんっ子でしたので、コミュニケーションはできるのですが、少し土壌が違っています。他人を拒絶している節は一切ないので、単純な人見知りではなかった。さらにタカヒロさんも忙しく、チノちゃんは自立した存在と自分を認識していて、他人を頼らなかったことを踏まえると、鍵は無くならずに済んでいたのと同時に心のなかに押し込められていたのだと思います。

でも今は違いますね。

鍵というのは物理的(?)に持っているものであって、ココロの中にあって何かを受け止めるものではなくて、他の誰かに影響を与えるきっかけを与える(?)ものであるような気がしてきます。 

一応言っておきますと、ココアさん自身はあのぬいぐるみを手品師(マジシャン)と認識していましたが、それもあながち間違ってはいません。

魔法と違って手品、マジックにはたいてい論理的なタネがあります。

したがってこのような魔法にも見える素晴らしき日常はすべて大人たちによって意図されていたものだったかもしれないのです。これについては後述。もちろんKoi先生によって意図されてもいますが。ただ、運命は運命のままにしておいたほうがいいので、これはあくまで作品外から見た立場ということを忘れないでください。勿論作品内世界に入ればココアさんたちは生きていますし、偶然を通り越して運命、です。後に補足します。

ココアさんが与えた(引き出した)ものと言えば他にも愛があります。まあ有名な話ですが、「スマイルメーカー」の

大好きなみんなの「心」に「愛」を届けたい

はココアさん、つまり心愛さんとかけている歌詞でしたね。

せっかくなのでチノちゃんの老後も安泰の趣味、チェス、ボトルシップ、パズルについても言及しておきます。

チェス、それは白黒のセカイで行われる知的ゲーム。そしてセカイそのものでもある。

後に語る、ごちうさと同じような構造を持つ「不思議の国のアリス」の続編に「鏡の国のアリス」があります。鏡の中の世界ではチェスのルールに従ってキャラクターたちが動きます。

そこでは、つまるところ現実世界とは真逆のことが起こるので、同じ場所に居続けるには走り続けなければいけません。(地面が動いているのと同じ)

これはごちうさの特別な日常の中にある普遍的、本質的な部分が変化しないでそのまま維持されているのは、彼女たち自身が少しずつ変化しているからだということを意味しています。

ボトルシップ、それは瓶の中から出ることはありません。しかしココアさんは「川に浮かべて流そうよ!」と言っていました。これは単なる天然ボケではありません。

ボトルシップの船はチノちゃん自身を暗示していて、ココアさんと出会う前の頃は人に頼ることなく、自立しようとし、なおかつ孤立状態にもありましたが、「川」に流すことによって「海」にたどり着くことができ、より冒険らしくなる。チノちゃんの成長を比喩的に示しています。DMSは大きな冒険に出かけられるようになる第一歩です。 

パズル、それは一つ一つのピースを組み上げて作品を完成させる営み。

ごちうさってパズルのようでもあります。一つ一つのピース、つまり部分的な1羽単体だけでも十分綺麗な日常を楽しむことはできる。しかし、ピースを段々と組み上げていくほど構造が明らかになり、綺麗な絵が見えてくる。

このようにチノちゃんの趣味にも意味が隠されていたのです。若干飛躍してしまった気もしますが......

※補足:偶然と必然について

もちろんごちうさは表面上、Koi先生によってすべて必然になっています。正確にはKoi先生が先に決めた本質によって導かれているのが今のごちうさです。神が物理法則を与えて、その後は勝手に進行しているように見えるって感じですね。今の先生は観測者的な側面が非常に強いです。

ごちうさという球面の中に入るとそこにはココアさんたちが「生きて」います。先生の意図が見える表面は観測できません。

先生は最初にごちうさに「ココアさんが木組みの街の高校に通う」「ココアさんが入学式の日を一日間違える」などの偶然(に見える)、出来事を起こしてみなさんを出会わせ、本質を与えた。これによってごちうさを偶然で出来上がった作品、生の日常に見せようとしたのですが、段々と本質に従わせていくと、一本の道に収束していく結果に。これが今です。 

これだと無味乾燥で冷たいので換言しましょう。

「はじめは偶然のように見えていた出会いが実は運命だったのではないかと気がつく」
「これは偶然を通り越して運命だよ!」
「運命とは本質によって導かれたものでもある」

ところが結果的に一本に収束しているとも取れるし、最初からすでに運命づけられていて一本だったという見方もできなくはないのが悩ましいところ。

はじめから一本だったならば何者かの意思が関わっていそうだがどうなのだろうか。「何者か」がサキさんで、あの世から操作していると言うのはイマイチかなぁ......

ただ全く関わっていないとは言い切れなくて、実際サキさんが自分に似たものを持った魔法使い兼手品師のココアさんをチノちゃんのもとへ送り込み、チノちゃんの成長を望んだ可能性もあるのでなんとも言えないところも......(タカヒロさんが戦友の娘であるリゼちゃんやココアさんをある程度意図してバイトとして送り込んだ可能性も十分ありえます) 


そういえばSFYのレコードでは「銀のスプーン」が出ていました。ヨーロッパでは銀のスプーンを子供(特に乳幼児)に送るということは非常に子供思いであることを意味します。

だから要所要所では関わっているとも取れるんですよね。 

銀のスプーンといえば一匙のお姫さま物語を思い出します。

クルクル・クルクル・美味しくなあれ
銀のスプーン踊るたびに
目を閉じなさい(そして)私を呼んで(そして)
なにもかもが素敵になるの 

銀のスプーンとはおそらくコーヒーをかき混ぜるためのものでしょう。踊るというのはおそらくかき混ぜることの擬人法的使い方です。コーヒーとは「カフェ」と似たようなもので、彼女たちの今までの日常(1期周辺)、周りの世界(主にラビットハウス)です。こう考えると、スプーンによって彼女たちの領域にゆらぎが生じてセカイに出逢うとき、みんなでいればどこでもカフェであるので、呼ばれてみんなに合流すれば何もかもが素敵になると取れます。完全にチノちゃん目線ですね。

そうするとスプーンはコーヒーの中から作用するのか、それとも外から作用しているのかの2つの選択肢が浮かび上がります。過去にチノちゃんがスプーンを持っている絵がありましたので、中からと言いたいところですが、サキさんの銀のスプーンとして持っている可能性もあるので断定はできません。

前者を仮定してみると、チノちゃんの中にスプーンがある、つまりココロにあるということです。今現在(2019/9)だとチノちゃんはかなり積極的な子に成長しましたので、チノちゃんの冒険を求めるココロ、セカイをカフェにしていくことを楽しめるココロというのが個人的には納得がいきます。当時からその片鱗は存在していたのでおそらく合っている......のか......?

後者はどうでしょうか?この場合サキさんにとっての銀のスプーンはどういうものだったのか考える必要があります。これは......多分レコードにヒントがあるかも? 

結局、1期時の楽曲なので、サキさんと関わっているかどうかはわかりません。Koi先生が意図的に銀のスプーンを歌詞に入れるように働きかけたのか、それとも先生の考えの一つである(と思われる)、「漫画、アニメ、楽曲などすべてが原作である」という考えによって、逆輸入されたのかもしれません。

とまあ、はじめは上記のように思ったわけですが、まず最初の仮定が間違っていたらすべておじゃんなので、もう少し退いた、マクロな視点から、歌詞全体を見てみると、(傍線部だけ見ても答えは出せないことに今更気づく)

ユメミル・ユメミル・一匙プリンセス
溶けないユメは甘い冒険
出会うために物語の姶まりは
一匙のエピソード

これ、プリンセスって主人公的な意味を内包していて、ごちうさの群像劇性をはっきり示しています。はじめの偶然によって物語が始まり、みなさんが出会い、一匙のエピソードが紡がれていく、まさにごちうさそのものですね......

ときめく心 王子を探せ
熱い恋などしてみませんか
さみしい心 優雅に変える
無二の恋などしてみませんか

恋物語は確かによくありますが、ごちうさの性質ではありません。これによってごちうさという特殊に縛られず、物語一般という視点からごちうさという一作品を眺めている気がしてくるのです。

現実と幻想の境目ですか(white story)そうですかっ
想像と創作はいつもなかよし(love story)そうですねっ

これは確信犯。ごちうさにも物語一般にも成り立つ。

ではこれらの全体的なマクロ解釈に依拠すると銀のスプーンとは物語の何らかの境界線を操る(破壊と創造)ものであって、それを持っているのは群像劇性から作者のみならずプリンセスたち、つまりみなさんであるということが導けます。

銀のスプーンが境界を操る(どこぞの妖怪?)とどうなるかというと、ごちうさでは出会いをもたらす一匙をコーヒーに与え、偶然のように見える運命じみた当たり前で特別な日常が始まるのです。

こうして考えるんだったら銀のスプーンとは運命、もしくは運命をもたらす何かであるという説が濃厚になります。チノちゃんが持っていた銀の鍵と少し似てますね......。今後鍵とスプーンのつながりについて何か明かされるのでしょうか?

こうなると銀のスプーンはココロの内外どちらにあるのかが問題になるわけですが、私は銀の鍵とは対照的に内にある気がしています。銀の鍵は外にある「持っている」もので、他人に対してその人自身の変化や成長、対外性などのモメントとして作用するのに対して、銀のスプーンは心の中にあり、主体的な言動によって運命につながる偶然を引き起こすモメントとなり、境界を操る力を持つ。これがとりあえず出した私の結論です。

考えながら書いてるのでねじれているかもです......

2.ハピネスアンコール

この曲、メロディーだけ見れば実にEDっぽい(日常デコレーション的な)。しかし実際には冒頭にOP的な役割で挿入されました。後のセカカフェもそうですが、イメージと逆ですね。

始まりに終わりの要素を持った「ハピネスアンコール」が、そして同時に終わりに始まりの要素を持った「セカイがカフェになっちゃった!」が配置されたことによってそれぞれ打ち消し合って端点という概念が消滅します。

このように終わりも始まりもない→いつものごちうさが帰ってくる、という隠れたメッセージと取る事ができますね。(暴論)

歌詞についても冒頭、

すぐ会いたい気分なのです
だから
トントン…ドアをノックして
来ちゃった! 

これは感動モノですよ。いつもの感じが帰ってきたと。 

いつも突然なんです ごめんなさいっ
だって名案って急に浮かぶものでしょう?

ここは畑亜貴先生独特のごちうさへの解釈がにじみ出ているところかな、と思います。

個人的には、「突然」「急に」から、日常は刹那の総和であることを想起させられます。刹那が微小な経過時間dtであるとすれば総和は積分になります。 

今一瞬だけの「特別な日常」を積み重ねるのが少なくとも彼女たちにとっては日常です。今回の場合の「特別な」とは時間軸上の一点を指定する形容詞という側面も持つし、Onlyとして使われもします。正確に言えば、日常とは常に変化する流動体であって、時間軸のある一点を示せばそれは自然にOnly,Specialなものになるという感じでしょうか?数学的には「時間から日常への写像は単射である」かな?

また、「名案」によって自然に「カフェ」が形成されていると取ることもできますね。

そうだ!
一杯だけじゃなくって
おかわりって声が聞きたい
もっともっとお喋りしていたいんです

まだまだ優しい時間は続きます。「こんな時間が大好きです」 

3.見事なストーリー展開

何十回目かわからないままDMSをふたたび見ます。見ながら書きます。そのほうが新鮮な感想考察を書けると思いますので。 

ハピネスアンコールが終わると青山先生が列車に乗っていたことが判明。先生は「自分探しの旅」と言ってますが、実際にはココアさんに花火大会の存在を教えるという粋なはからいです。

もしかしたら青山さんもタカヒロさんとリゼ父とグルで花火大会を仕組んでいた可能性があります。リゼ父もタカヒロさんに電話を入れていましたし、その可能性は高いでしょう。

これによってココアさんに2つの選択肢が生まれます。結果としてココアさんはお母さんの後押しによってみんなと一緒に花火大会に行くことを選びました。 

正直千夜ちゃんやシャロちゃんも思わせぶりな発言をしていて、チノちゃんが自分から誘ったとき、驚きが先行しているように見えないんです。もしチノちゃんが誘わなくても2人は花火大会に誘っていたでしょう。というか千夜&シャロがラビットハウスに来たのはみんなを誘うためだったと考えることもできますね。

リゼちゃんも昔と変わらずチノちゃんを心配します。やっぱり一人になってしまいがちなチノちゃんなので、久しぶりにココアさんがいなくなって寂しそうです。

ココアさんが乗っていたバスの番号は「38151521」、これテストに出ます。私のPCのパスワードはこれです(笑)。ちなみに「03-3815-1521」に電話してみてくださいきっと良いことがありますよ(白目)(芳文社に迷惑がかかるので止めましょう)。

海沿いで自然多めの街(モデルはフランスのエズ村)、綺麗だし美しい!作画Good!!

カフェとはまた違った「ファミリー」を見せてくれました。最新号でも家族がテーマになりつつある状況でしたね。

ココアさんの電話が繋がらなかったときのココアさんの「そだね〜」が好きです。

チノちゃんのリゼさんと一緒にいると疲れる発言からは、リゼちゃん特有のおせっかいを昔は少しけだるげに感じていたという過去の心境がわかります。もちろん今のチノちゃんはその優しさを感じることができ、返そうとも思えるようになりました。

「おせっかいと感謝の輪」という話もしたいのですがまたの機会に譲ろうと思います。

悩むリゼちゃんへの千夜ちゃんの言葉「リゼちゃんらしい思いやり」は割と核心を突いています。そう言えばチノちゃんの相談に乗ったときにもこんなことありましたね。

ココアさんからチノちゃんへの電話も非常に上手い。ココアさんにとってはチノちゃんを引き出すのはお手の物。 

ココアさんの夢に関する言及がなされます。たくさんあって迷っているようにも見えたココアさんの夢たちでしたが、実際はすべて「お姉ちゃん(Sister)になる」という統一的かつ普遍的な目標に裏打ちされていたことが判明します。ただの優柔不断ではなかったということでした。

ちなみに最近知ったんですが、バリスタと弁護士って掛詞になってたんですね。法廷弁護士は英語でバリスターなので。

魔法使いという幼少期の夢はすでにかなっていますね。

サプライズパンの幼女ちゃんがココアさんに話しかけるの好き。

やっぱり店が大繁盛なのはモカさんの優しさと努力のおかげでしょうね。

チマメ風呂とかいう天国。

千夜ちゃんがココアさんのぶんも着物を用意しているので、千夜&シャロもタカヒロさんらとつながっている可能性も出てきました。もちろん千夜ちゃんがココアさんは帰ってくると察していたor信じていたのかもしれませんが。

ここでチノちゃんがココアさんの人形のデザインを請け負います。チノちゃん自身がココアさんを魔法使いだと思えている証拠です。

このあたりからエイプリルフールネタの回収と幼いココアさんの夢を合体させる夢が挿入されます。これは神采配です。伏線の回収と同時に、チノちゃんもココアさん同様に魔法使いになりかけているというとても重要な予言をも含みこんでいます。 

「次はチノちゃんたちも連れてくるね!」

これが叶うのはいつになるのでしょうか......?

「私もお姉ちゃんみたいなみんなを楽しませられる人になりたいな」

ココアちゃん......いい家族を持ってよかったね......

泣くぞ?

モカさんがココアさんのお姉ちゃんでかつ、努力家でみんなを楽しませられる人であるからこそ、ココアさんの中では「お姉ちゃん」という立場は特別なもの足り得るし、夢でもあるのだろうきっと...... 

お祭り雰囲気の木組みの街。いつもながら綺麗。 

千夜ちゃんがはしゃぐのはそりゃ当然。あれだけみんなと一緒に働きたがっていた(制服を着たがっていた)のだから。

ここでシャロちゃんの酔いによる打ち上げ花火の入手が大きな鍵となります。

千夜ちゃんとシャロちゃんのやり取りがめちゃめちゃ幼馴染っぽく、

「やめてねー」が何気に好き。

「青山さんに穴場スポットがあるって教えてもらったの」

またまた疑惑の発言。青山先生が粋なのかそれとも大人たちが裏で組んでいるのか......?さらにすぐ後に重要な伏線となる......

ココアさんがシャロちゃんが信号弾を上げたことと青山さんの着付け&穴場スポットを教えたことによってたどり着くことができた。このストーリー構成は非常に素晴らしい。しかしこれでまた青山先生が裏で動いている可能性が高まりますね...... 

まだ自分の中で答えが出ていないのが、ココアさんが間違えて(?)電話をかけた意味なんですよね。強いて言うならココアさんのことをチノちゃんに思い出させて、「一緒に見たかったな」と自然に思わせることによってよりこのあとのココア登場の嬉しさを高めるという意味かな......?それとも単に待ちきれなくて電話しようとしてしまったけど、思い直してサプライズにしたんでしょうか。

花火と同時にサプライズで現れるココアさん。いいですね〜

青山先生の「素敵な子たちを見ていたら思いついた......」も疑惑を深めますね。

「おかえりなさい、ココアさん」「ただいま!」からの花火からの「セカイがカフェになっちゃった!」。これは涙腺崩壊必至。未だにぶわっときてしまう。

こんなん泣きますよ。セカカフェ最高!

最後はいつもの日常に戻ります。ココアの鼻歌、Daydream caféのように

ココアさんの人形。ついにチノちゃんのかわいいお口から放たれます。「それはココアさん自身をイメージしてて......」と。

第二の家。まーた泣かせに来る。実際まるで家です。(後述) 

「ラビットハウスへようこそ!」のときにココアさんがチノちゃんの肩を一瞬触るのがGood!!そしてラビットハウス、つまりいつもの日常に帰ってきたことをファンに告げて帰っていきます。

いやあ何度見ても感動します。特にラストのラッシュでいつも崩壊しちゃいますね。一旦落ち着きます。

 

いままで陰謀的な話しぶりをしていたのですが、やっぱりそれだと小気味悪いですね。やはり偶然をまとった運命なのでしょうか?しかし少なくともタカヒロさん&リゼ父のタッグはありますし、青山先生も少なからず狙ってやっているのは確かです。 

彼女たちの日常(ストーリー)は表には出ないけど確実にサポートができる大人組の支えによって成り立っているということが分かればそれで十分です。

4.セカイがカフェになっちゃった!

先程から「カフェ」という表現を多用してきたわけですが、すべてはここに詰まっています。

私はこの曲、「セカイがカフェになっちゃった!」が大好きです。

同じようなうさ民の方々は多いと思います。しかしながらこの曲は圧倒的な普遍性がある。人に対しても、歌詞に対しても。ゆえに他の方々と同じような考察になってしまいがちなのです...... 

http://blog.livedoor.jp/hot_heartlove/archives/29501451.html

↑フラここさんの考察記事。私の模範としている読者像に当てはまる方。「セカイ」や「カフェ」についてはこの方が参考になります。 
先に読んでおくと理解が深まると思います。

ここで深掘りしても同じような文章が生まれてしまいますし、なにより私が書くと読みにくくなるだけなので、タイトルについては部分的にだけ語っておきます。

なによりタイトルがすべてを物語っていて、セカイがカフェになっちゃった!、ですから、自分たちがセカイという未知なる場所をカフェという既知なる自分たちの場所に変えていく一方で、「なっちゃった」なので、自分たちが変容したことによってセカイがカフェになっていくという見方も生まれます。

個人的には、まずセカイをカフェする(周辺世界を変える)ためにはまず自分の改革から始まる。自分を確立しないと始まらない、と考えています。しかしごちうさはその上をいくのです。自然に自分たちが変わり、自然とセカイもカフェになる

なお、先程普遍性と言いましたが、この曲の歌詞に含められた想いはごちうさという日常(ストーリー)すべてに通ずるところがあります。フラここさんも言及されていましたが、「Daydream café」はごちうさ初期をとても良く表していて、この「セカイがカフェになっちゃった!」へのつながりがあるんです。 

こう聞くと普通は、「セカカフェはごちうさ中期をよく表していることになる」と思ってしまうでしょうが、私はそうは思わないのです。この曲はごちうさの基本姿勢なのではないかと。少なくとも今は卒業旅行編、新学期編と新しいセカイに飛び込んでいる最中なので、中期だけとは思えない。

クロラビでも新しいセカイを創造していましたしね。

次に歌詞について。

いまから楽しい楽しいコトばかり
ここで ここで 見つけたいな
きゅんってね ハートが踊りだしそうで
…とまどっちゃうっ
わくわくしてきた? 期待してるこんなにね
わくわくでごきげんよう!

ひたすら尊い。DMS後もまだまだ楽しい時間は続くのです。ちょっぴり自分を代弁されている感覚。 

ここを聴くだけで泣けます。

「しあわせの景色が湯気のむこうに見える」
予言のような声が聞こえたら
きょろりんきょろりん探しちゃうね

まず「予言」なので未来のお話なわけです。「しあわせの景色」は今までと同じ、和気あいあいとした雰囲気の日常のことと仮定すると、「湯気」とは未来に対するちょっとした不安のようなものが具現化してモヤをかけているという意味で、これはコーヒーにからめて考える上でも自然です。やっぱり新たなセカイと邂逅するのは勇気が入りますし、期待と不安が入り混じります。 

常識のミルクで(とぽとぽ)
ごまかしてみたけど(ぽかぽか)
目の前のポットが笑うよ
(キミは夢のなかだよと)

ミルクというのはDaydream caféでもありましたが、Daydream café当時でのミルクというのは初めてラビットハウスに来店した我々を優しく迎え入れるという意味でのミルクでした。「セカイがカフェになっちゃった!」でのミルクもそれと同一で、もはや常識、当たり前のものになっているのですが、眼前に「セカイ」という未知なる領域が現れ、今まで通り常識となったミルクで誤魔化そうとする。ところが不思議な夢のセカイにはいままでの常識が通用しない。そしてポットはこれは夢だと笑う。ポットは彼女たちがどこでもカフェにできることを知っているかのようです。いままでのアニメごちうさには無かったこの新しい概念が出てくるので、DMSは転換点といえるんです。 

まさにみなさんが新たな冒険に踏み出す一歩です。はじめの方に話した「始まりの終わり」はこの冒険、セカイをカフェにして(されて)いくこと、ミルクに染められることの一歩でもあったわけです。

ふしぎの国は(意外と近く)
どこかにあるの(その気になれば) 

不思議の国といえばアリスですね。一応あらすじを確認すると、

アリスが白ウサギを追いかけて穴に落ち、金の鍵と底にあった小さな扉を見つける。小さくてそのままでは通り抜けられないので、小さくなろうと苦心する。色々と冒険した結果、やっと金の扉に入ることができた。そこでまあ、なんやかんやあってアリスは大きくなり始めてしまい、トランプに襲われる。そして壮大な夢オチ。アリスは姉の膝の上で寝ていた。

確か大体こんな感じだったと思います。 

登場する動物として代表的なのがうさぎとねこ(他にはウミガメとか?)ですが、どちらもごちうさでは主要な役割を果たしています。

不思議の国のアリスでは日常に溶け込んだ冒険をしていて、さらに夢オチってのも良い。ごちうさのDaydreamな性質と特別な日常という性質に共通しているのがわかります。現実に無い幻想であるからこそこんなにも私は惹かれるんですよね。

私は非日常と日常をバランス良く摂取したいので「日常に溶け込んだ冒険」は好みにもかなっています。  

また歌詞の文字通り不思議の国は決して遠くにあるわけではなくて、思ったよりも近くにある。ごちうさは日常と冒険譚が一体となっているのでそのようになるわけでして、「みんなと一緒ならどこでも大冒険」からもそれは伺えます。「その気になればどこかにある」のです。 

また、アリスは「不思議の国のアリス」の主人公かつ創造主です。これもごちうさの性質に似ています。みんなが主人公で、物語を主体的に作っていくという「生きた」かたちが表現されています。ここらへんは正直ややこしいので自分でも把握しきれていないため、ときに矛盾しているかもしれないので、見つけ次第報告いただけると助かります。 

やさしい心でセカイを受け入れてみたらわかるの
(いろんなひとの)ダイスキは
(いろんな想い)いつでも
みんなの勇気を↑てくれちゃうね

いよいよ目の前に迫ったセカイを受け入れる決断をし、みなさんの「ダイスキ」を包含した想いがお互いを勇気づける。

そう思ってみんなが集まったよ
(どもどもっ よろしくです)
だからね楽しい楽しいキミになって
夢を 夢を 語ろうよ
きゅんってね ハートが踊りだしそうなカフェで待ってる!

みなさんが集合し、楽しい楽しいキミになって、夢を語るとたちまちそこはカフェになってしまいます。

踊りだしそうだったみなさんが形成したカフェもハートが踊りだしそうなものになったわけです!

溜息のシュガーで(さらさら)
ほろ苦い午後なら(くらくら)
思いきっておかわりしちゃえば
(いつか慣れてくるかもよ)

一番ではミルクだった部分がシュガーに入れ替わっていますが役割はあまり変わっていないように感じます。砂糖を入れてはみたがまだ苦いまま。しかしおかわりして慣れれば、つまりセカイはいずれカフェになるんです。

これは少しチノちゃんを意識している節もあると思います。この歌詞によって、チノちゃんのミルクと砂糖がないとコーヒーが飲めない設定は、いままでの自立して孤立していたチノちゃんという視点から見ると、みなさんのなかで一番セカイに馴染んでカフェにできるかどうかを不安に思っているのはチノちゃんである、という暗喩だったと暗示されているんですね。今(2019/9月)ではチノちゃんのセカイをカフェにしていくことへの不安の克服についての成長が著しいですが。

ふしぎに会いたい(気晴らしだもんね)
ヒントはどこに?(いったりきたり) 

冒険の最中にフシギに出会います。先程の部分がセカイと交わる上での不安の側面だったとすればここは期待の部分ですかね。

偶然の言葉がトビラを開いてくれたらわかるよ
(いろんなひとの)ダイスキで
(いろんな想い) すてきな
みんなの未来を☆にしちゃおう 

ここの「偶然の言葉」とか、シンガーソングぱやぽやメロディーの「今の言葉で歌うよ」が個人的にツボなんですよ。特別加減が如実に現れていて好み。

トビラ......アリスみを感じる......

とにかく嬉しい嬉しいコト探し
あれも これも おもしろいね
いい感じみんなで遊ぼうよ
やほやほっ なにしましょ)
つまりは嬉しい嬉しいキミになって
夢を 夢を 教えてよ
ぎゅってね 背中を抱きしめてみたカフェでブレイクタイム

嬉しいコトはみんなと一緒ならどこでも見つけられるし、遊ぶことができる。

「嬉しいキミになる」 って表現好きです。 

というかセカカフェは情報量がかなり多くて全てを深くは考察しきれていないので、考え次第更新します。 時間が足りないし、沼にはまってからあまり経っていない私にはまだ荷が重い。

ところでみなさんと同じようにセカフェという略称で呼んだほうがいいのでしょうか?(唐突)

デカフェと合わせるならセカフェがいいんでしょうが、「セカイ」を強調したいのか、いつの間にか自分の中ではセカカフェで定着してました。
(追記:2020年現在、矯正してセカフェ呼びにしました)

※補足

「慣れ親しんだカフェ」は「家」とも言い換えられます

よって最後のセリフ、「第二の家」というのはココアにとってラビットハウスは実家についで、すでに慣れ親しんだカフェであることを意味しています。

そういえば「シンガーソングぱやぽやメロディー」のジャケットが発表されましたね。すごくアットホームでした。

そして最新羽(8巻最終)のタイトルは「We are FamilY」でしたね。

というかごちうさ自体の構造がまるで家なんです。しっかりした太い柱がいくつもあって、複雑な構造ながらも壮観な外観を誇っている。トビラをくぐれば、くつろげる空間がいつでも私達を裏切ることなく待っている。

これからも「家」が増えていくといいですね。

 まとめ

DMSの主題は「魔法」であるということ、そしてチノちゃんの「鍵」魔法によって引き起こされた運命について、銀のスプーンとは運命であるということや「ハピネスアンコール」「セカイがカフェになっちゃった!」について語ってきました。

全体的に汲み取りにくい気がしますし、なにより考察にかける時間と力の不足を実感します。まだまだ私は未熟です。これからも精進します。色々と徒然なるままに書きましたが、自分ではなるべく筋道立てて結論に至るようにはしています。他の可能性の考慮のし忘れが合ったりするかもしれませんが。

1.5万字近くの駄文を最後まで読んでいただいて嬉しいです。

お疲れさまでした。

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