365日色の話 司馬遼太郎さんが「二十世紀に生きる君たちへ」「洪庵のたいまつ」特に美しい生涯を送った人として語っています。
「緒方洪庵」6代目の友の
「緒方洪庵」の生き様、功績を子孫として、
伝えていきたいという思いに賛同し、
書いています。
司馬遼太郎さんの「二十世紀に生きる君たちへ」
緒方洪庵のたいまつ より
世のためにつくした人の一生ほど、
美しいものはない。
ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。
緒方洪庵のことである。
彼は江戸末期に生まれた。
医者であった。
彼は、名を求めず、利を求めなかった。
あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。
そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである。
洪庵は、ごくふつうのおだやかな人柄で、
病人には親切で、その心はいつも愛に満ちていた。
当時ふつうの医学だった漢方ではなく、
世間では珍しいとされていたオランダ医学(蘭方)だったため、
蘭方医と呼ばれていた。
洪庵は、
日常、人々にとって見慣れない横文字(オランダ語)の本を
読んでいるのである。
一般の人から見れば、常人のようには見えなかったかもしれない。
洪庵は岡山県足守という町に生まれ、
緒方家は代々足守藩の藩士だった。
父が藩の仕事で大阪に住んだために、
洪庵は大阪で過ごし、
一人前のさむらいになるために、
剣術や漢学を学ぼうとしたが、病弱である自分が歯がゆく、
この体、なんとかならないものだろうか。
人間は、人なみでない部分を持つということは、
すばらしいことなのである。
そのことが、ものを考えるばねになる。
少年時代の洪庵もそうだ。
人間について考えた。
病気をしたりするということは、
いったい何に原因するのか。
人体というのはどういう仕組みになっているのだろう。
科学的に考えることが好きだった。
少年は、蘭方医学を学び、22才の時に江戸に行き、
働きながら、
坪井信道の塾で4年学び、
オランダ語のむずかしい本を読むことができるようになった。
その後、長崎へ。
2年後、29才の時に大阪に戻る。
その年に、
名塩の奥川家の八重と結婚。
友がこの世に存在することとなる、運命の人ですね。
2人には、7男6女(うち4人は早世)の子供がいたそうです。
友の祖父・緒方富雄さんは、
「あしなが育英会」を創設し
苦学生のために奨学金制度を作られたそうです。
「東京大空襲の時、
祖父は、洪庵の資料を守ろうとリヤカーに積んで、
疎開先まで逃げたという話を母(旧姓緒方夏子)がよくしていました。
洪庵資料館にあるものは、祖父によって守られた宝物です。」
「家庭的にも豊かな人生を送れたことと思います。
八重さんは、愛情あふれる家庭で子供たちを育て、
塾生の面倒もとてもよくみていたそうです。」と友は言います。
病弱だった洪庵は、江戸幕府に招かれましたが、
わずか数か月で亡くなり、54才で人生を閉じました。
洪庵の偉業は、西洋医学の基礎を築いたこと。
洪庵の種痘事業。
安政5年。コレラ(ころり)対策。
このことは、「JIN~仁」でも感動のシーンでした。
適塾で多くの人材を輩出したこと。
塾生たちを教育していた、この頃が洪庵の一生で、最も楽しかったのであろうと司馬遼太郎さんは言います。
「二十世紀に生きる君たちへ」洪庵のたいまつ より
洪庵は、
自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を
よりいっそう大きくした人であった。
かれの偉大さは、
自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。
弟子たちのたいまつの火は、
後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。
やがてはその火の群れが、
日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。
後世のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。
この本を読んで
洪庵の人となり、
洪庵の「人のため、道のため」の人生の必然性が
すこしは理解できた気がします。
友は若い時はルーツがプレッシャーだったそうですが、
今は感謝しているそうです。
年を取ることはいいことだと。
なんて素敵なルーツ!
誇りにして、
たいまつの火を繋いでいってほしいです。
友は、10年ほど前に、
洪庵生誕200年祭に招かれ、
足守の人々の心の中に
今も洪庵が生き続けていることに驚嘆したそうです。
今年は、大きな講演会や展示会もあり、
6代目の意識が高まった年だったようです。
友個人としても、
この司馬遼太郎さんの「二十世紀に生きる君たちへ」を小学校に配ったり、時に自身でも読み聞かせをしたり。
講演会をお願いしたり。
忙しくなりそうだとか。
たいまつの火を繋いでいくために。。。
ささやかな力ですが
応援していこうと思っています。
小学生の洪庵についての作文コンクールの作品を読み
感動したそうです。
「足守で育った私たちは、洪庵の道を語り継がなければいけない。
そして、いつか洪庵の無償の愛とは何か、を
語れる大人になる日まで夢に向かってがんばろうと思う。」
小学6年生の心にも、もうたいまつの火が繋がっているようですね。