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(那覇)対馬丸記念館【初クルーズ旅第37話】


#わたしの旅行記

都市部でもエメラルドの海/波上宮【初クルーズ旅第36話】|千田正哉 (note.com)
 のつづき
■ 1月13日

小さな丘を越えてゆく途中、何の碑だろうと思ったら、
今その記念館に自分が向かっている「対馬丸(つしままる)」慰霊碑なのでした。
犠牲者氏名など
さっき橋から観た「波の上ビーチ」にいったん足を踏み入れてみる。
野鳥とその影をこんなにくっきり見られるとは。
ビーチのほぼ目の前、「対馬丸記念館」です。
6,800総トンの学童疎開船。
ちなみにこの朝まで乗ってきたクルーズ船「MSCベリッシマ」は25倍(体積)です。
なおこの日本郵船の(煙突にある)赤・白・赤は海援隊の旗に起源があります。
那覇から長崎へ疎開のため航行中、米国の潜水艦魚雷で沈没しました。
乗船1,788名のうち約280名が当時生存(正確な資料がない)。
左上は出航の様子。右の四角っぽいのは後述する浮遊物。
1997年に発見された船体の「対」の文字。
引き揚げは困難とされました。
資料館は海面から海底を見下ろすというコンセプトになっています。
学童たちの顔写真など。
つまり四角っぽいのは漂流いかだ(浮遊物)で、それにつかまっている人など。
「海底」には教室の黒板と教壇・生徒の机・椅子。
往路に反対側の入口を見た「福州園」です。
今の学童たちが園内で遊ぶ。
沖縄っぽい民家だなと写す。右のクルマはレンタカーです。
簡易な柵で囲まれているのは、隣接地が駐車場になったため。
那覇中央教会

空港に戻ってつづく
初クルーズ旅最終回は那覇基地を覗き見る|千田正哉 (note.com)

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