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築地の看板が好き

看板萌え。
展覧会に掲げてある流派の匂いのする字よりも、看板が萌えです。京都の老舗群もイイけど、なんでもない商店の雰囲気が好き。

禅僧の墨跡も好きですが、そうすると名跡と認められて後世に継がれたものしか残ってないので、「なんでもなさ」では看板のほうが気軽に豊富にみれます。

閉店したあとの築地は、誰もいないので、ゆっくり回れるプライベートの展示のようなもの。贅沢ですね。。

看板も一応は人にアピールするために作られたものなので、「解脱してるか」と言われたらそこまでじゃないですが、
それでも展覧会でみるような、「文字のための文字」「表現のための表現」よりは素直に受け止めて楽しめます。

筆の入りがどうとか、伝統をしっかり取り入れられているか、筆の技量はどうかとかではなくて、商売に使うものとしての公明さとか、信用とか、安心感に絞られていて、気持ちがいい。

看板は「展示」するつもりは毛頭ないものだけど、広い通りに面していたり、このように狭い路地にタテに納められていたり、見るほうも飽きないようになっている。

築地本願寺

ときには光っていたり。

路地を歩く二人

ときにはカップルで見に来ている人がいたり
(ちがうか)

文字はもっと、町の中で見られていいものだと思うんです。

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