#109「釣りの魅力」

先日、母親が釣り番組にはがきを投稿し、読まれたそうです。
その内容が、私の祖父、父親、そして私と
釣りバカばかりの家系だというような内容だったそうです。

そんなきっかけで?
私が何故釣りをするのかをアウトプットしてみました。

本能としての釣り

これはわかりやすいですね。
狩猟本能というやつです。
でも、一言で狩猟本能といいますが
本当の意味で理解出来ているでしょうか?
人類の歴史は300万年あると言われていますが
農耕を始めたのはここ1万年らしく
つまりは、人類の歴史のほとんどは
狩猟で生活していたということです。
ですから、
私達の本能には、狩猟しないと生きていけないということが刻み込まれていて
狩猟をしなくても良くなった現代においても
睡眠や性欲や、そういうのと同等レベルで
狩猟本能が残っているとしても
全く不思議は無いわけです。
スポーツとかもわかりやすいですね。
おそらく狩猟本能を身体を使う行動に置き換えて
自分でプレイすることや
他人のプレイを見ることで
狩猟本能を満足させているようにも思えます。

釣りはまさに狩りです。
私も小さい頃から
動物や虫を見て
どうしても捕まえたい
触りたいという欲求が
強かったように思います。
鳥とか触れない動物を捕まえること
そして、水の中にいて捕まえられない魚
こういうめったに触れない動物を捕まえて
触ることとに
興奮していたように思います。

知性としての釣り

魚釣りにもいろいろあります。
例えば釣り堀の釣り。
飼育されて、餌をやったらすぐに食いつく
そういう魚を釣ります。
先の本能を満足させるのなら、
この釣り堀の釣りで十分です。
キケンも無く、釣果という成功が約束されていて
損失回避の本能さえも満足させてくれる
すばらしい、エンターテイメントです。
実際、釣りの初心者だったり
子供は大喜びです。

なのですが、文脈でわかるとおもいますが
私はこういう釣りでは満足できません。
知性というとなんか偉そうですが
だれでも釣れる魚を釣って
面白いとは思えなくなってしまっています。
もちろん、子供の頃はこういう釣りでも満足していたはずです。
ですが、
釣りを続けていくうちに
獲物に対する要求が上がっていきます。
その方向の中で
珍しい魚とか大きい魚とか
そういう魚を釣りたいということにもなるのですが
最終的には
どこにでもいるけど
ちゃんと頭を使って探して
釣り方も工夫しないと釣れない
そういう魚を釣ることに満足するようになります。
要するに、
考えて釣って
それで釣れたらうれしいという
知性がひつような部分に満足することになります。

人だから釣りが好き

狩猟本能を満足させる
このような本能を満足させる行動には
実は脳内で報償ホルモンが分泌されているそうです。

ギャンブルが好きな人も
報償ホルモンが分泌されているからだそうですが
これも狩猟時代が長く
同じような行動をしていては生存確率が上がらないため
普段と違う行動ができる人が
生き残った結果
ギャンブルという
普段と違う行動をした時
勝たなくても報償ホルモンが出るのだそうです。
自分がチャレンジしたということに
興奮しているんですね。

私達生き残った人類は
基本的にみんなギャンブラーで
狩猟本能も持っていて
科学的にも
脳内物質でそれが証明されているわけです。

そして、釣りをする知的な考え方も
同じように好奇心から行動し
面白いと感じるとやはり
脳内でホルモンが分泌されるそうです。

これも、
やはり生き残った人類は
考えるからこそ生き残ったのだと言えます。

私は人です
だから、本能と知性
両方が満足できる
釣りをするのだということです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?