#110「父親の7回忌で実感する時間の価値」

先日、父の7回忌があり、地元に帰っていました。
法要は滞り無く終わり、締めの挨拶をすることになりました。
ぼんやりと考えていたことを話したのですが
自分でも意外なほど感極まってしまい
ちゃんと話しすることができませんでした。
今日は、何故こんなことになったのか考えてみました。

価値とは時間

自分で何故感極まったのか考えてみて
二つのことが思い浮かびました。

一つは、目の前にいる母親や、親戚のおじさん・おばさん
この人達は父と同年代であり
「いついなくなってもおかしくない」
という気持ちが湧いてきて、「いなくなったら寂しいな」
と思ったことがありました。
私は地元から離れているので
あと何回この人達と会うことができるのだろう
そう考えると、泣きそうになってしまったというところです。

もう一つが
私の父親は63歳という若い歳で亡くなりました。
この若すぎる死を考え
自分の年齢と照らし合わせると
私も同じ歳で死ぬとしたら
あと20年も生きられないということに気付いたのでした。
このことに気付くと
父親の無念さに気付いて感極まってしまいました。

この二つの理由を考えると
両方共に時間というものが
どれほど貴重かということに気付かされます。

死という時間の終了は確実に誰にでもやってきます。
父親の死を考える事は
自分に将来やってくる死を考える事であり
それが、あと20年も無いと気付かされ
人の人生において、何もよりも価値が高いのは
時間だということに
改めて気付かされました。

死ぬ時にかけられたい言葉

スティーブン・R・コーヴィーさん著の「7つの習慣」という名著があります。
私は購入しているのですが、なかなか読み進められていませんが
始めの方すでに重要なことが書いてあります。
それは、自分が死ぬ時にどんな言葉をかけてもらいたいか
それを考えることが成功への第一歩だということです。

この本は人生の成功について書かれている本です。
では、人生の成功とは何でしょう?
大金持ちになることでしょうか?
権力をもって人々を支配することでしょうか?
有名人になって影響力をもつことでしょうか?

多くの老人に、自分の人生を振り返り
後悔していることを聞いたアンケートをどっかでみました。
このアンケートで1番多かったのは
「仕事ばかりするのではなかった」
という答えだそうです。
もっと、家族や身近な人と過ごす時間を大事にすれば良かった。
自分の好きなことをちゃんとやればよかった。
そういう思いを持つ方が多いそうです。

確かに真剣に自分が死ぬ時
どんな言葉をかけられたいか考えると
仕事での成功や、資産的な成功ではなく
人間的に良い人間であったとか
単純に感謝の言葉
あなたがいてくれて良かったとか
そういう、身近な人からの言葉が
1番うれしいように思います。

今何をすべきか?

では、この言葉をかけてもらうために
私は今何をすべきなのでしょう?

父親と同じ歳までしか生きられないと考えたとき
残りの時間は20年ありません。

家族や親類とできるだけ過ごす時間を確保するには
仕事ばかりしている場合ではありません。
しかし、子供達はこれからまだまだお金がかかります。
ですから、仕事はやらないといけない。
でも時間をかけていては、家族との時間は増やせない。

そうなると、効率的な働き方や
不労所得のような自分の時間を使わない収入を
少しでも作る必要があります。
もしくは、やはりフリーランスになって
仕事しつつ、家族と過ごすというが
1番理想に近いかもしれません。

自分の生きたいように生きる
そのためには、勤めるという
1番大事な時間を切り売りする生き方は
やはり幸せな生き方では無いのでは無いか
そのように思います。

フリーランス
あるいは会社に縛られない生き方
そういう生き方をするため
日々、小さなチャレンジを繰り返すこと。
日々、家族との大事な時間を意識すること。

これが、残りの人生20年無いと考えた
私がやるべき事なのでしょう。

#人生の目的
#時間の価値
#自分を生きる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?