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高い視座と伴走力をーフィッシャーマン・ジャパンインターン磯部高弥

水産業と異分野との人材交流は、何を生み出し、変えていくことができるのでしょうか? 知らないからこそ、知らない場所だからこそ、その良さや可能性に気づくことができることを、この10年で私たちは体感しています。「自分が何も知らないことを知っている」。それはまだ、社会経験のない学生にも可能性があるということ。

SeaTO(Sea・Technology・Officer)。水産業にまったく興味がなかった理系インターン・磯部高弥が、戸惑い迷いながらも凪の海に爽やかな風を起こしました。


禍転じて福となる?

見るからに体育会系とわかる、陽に焼けた肌、恵まれた体躯。学生時代は、大阪大学で野球部の副キャプテンを務めていたのも頷ける。阪大では工学的な見地から人の体のメカニズムを解明する背骨の研究をおこなっていたという。卒業後は、「もともと宇宙がすごく好きで研究をずっとしたいと思っていて、宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携もしている東北大学大学院に入学しました」。当時は、海とは反対の宇宙に夢を抱いていた根っからの理系男子。順風満帆に進み、宇宙への航海を目指し希望にあふれる2020年4月。しかし、乗るべきはずの船は災禍に巻き込まれた。コロナという禍に。

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「研究室には行けなくなって、ずっと家の中で缶詰。東北に知り合いは一人もいないし、教授から送られてくる論文をひたすら読んで、もう頭がおかしくなりそうでした。当然、研究もあまり進まなかったので、先々のことを考え直した方がいいなと相談した兄からは『一回、宇宙とか無しにして、いろんなことを勉強して決めたらいいんちゃう?』と」

それまでは、理系の勉強しかしてこなかった。そこで磯部は理系を深掘りするのではなく、方向を変えた。

「なんか全然違うことを勉強してみようと思い、最初に勉強したんがマーケティングやったんです。マーケティングに関する本も読んだけど、本で学んだことを実践する仕事があればと単純に思って、宮城 マーケティング インターンって検索したら、フィッシャーマン・ジャパンがコーディネートしているインターンにヒットしました」

インターンとして

それは、【FISHERMAN COLLEGE for YOUTH】。最前線で活動する水産業の変革者のもとで学び、課題解決に取り組む実践型オンラインキャンパスで、磯部の目に止まったのは、牡蠣を香港に輸出するプロジェクトのインターンだった。

「なんやこれ?って、それが水産業への入口でした。だから水産とか興味がなく、マーケティングの実践がしたいという感じでした」

夏休みを利用した短期のインターンで、マーケティングの実践ができると飛びついた。
与えられたのは、牡蠣を香港に輸出する販売体制を構築するという加工会社の課題。だが、思うような成果は上げられなかったと振り返る。

「フレームワークだけが頭に入っていて、それに当てはめて考えようとして、実際に加工会社の人が困っていることが何かたどり着くのにすごい時間がかかりました。知識だけで変に頭でっかちになり、思っていた成果は挙げられなかった」

その後、長期インターンに加わることになる。

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「僕はこれから、宇宙の研究をして知的好奇心を満たしていくんやと思ってたけど、それが選択肢としてなくなりそうになった時に、じゃどうやって、どんな仕事して生きていくんやろと今後がまったく見えなくなっていました」

先の見えない闇の中で、しかし光明があった。それは、フィッシャーマン・ジャパンで事務局長代理を務め、インターン生を束ねる松本裕也という光。

「松本さんは忙しいのも厭わず、実に楽しそう。あんな楽しそうに仕事ができたら無敵やなと。これまでそんな考えを持ち合わせていなかったので、なんでこうなってるんやろとそのメカニズムを知りたくて」

楽しく仕事ができるメカニズムの解明。磯部が大学院を休学し、長期インターンを決めた1番の理由だった。

惑うプロジェクトリーダー

さまざまな人に会い、磯部の名刺入れはパンパンに膨らんだ。

「大学では、大人と関わる機会が少ししかありませんでした。最初のころの調整役から、新しくゼロから作っていくようなことにも混ぜてもらうことが多くて、社内外の人ともコミュニケーションをいっぱい取らないといけないようなことに挑戦させてもらっていました。インターン学生の相談にのるサポーター的な役割や、インターンの受け入れ先の社長とプロジェクト組成を任せてもらうコーディネート補佐もやっていました。。今まで入れてこなかったことをいっぱい吸収して、価値観をぶち壊されました」

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当時の磯部について松本は、「彼は何人もの経営者に会い、いろいろな角度で具体的かつ多角的に実際の話を聞くことができた。それによって水産業の解像度が上がり、水産業が課題だらけだというのを現場を通して超実感できた経験がその後に活きてきたように思います。業界や会社全体を構造的に見て、課題を解決するということを理解できるようになると彼は勝手に動き出した。ロジカルシンキングは苦手と言っていたけど、素養としてはあったんだと思います」。
しかし当の磯部はその時期を、「学びを整理する時間が全然なくて、精神的に不安定でした」と振り返る。

フィッシャーマン・ジャパンは、漁師にも加工会社にもメリットがある新基軸のパートナーシッププロジェクト【TRITONパートナー】を立ち上げる。若い漁師の担い手が稼げるように、水産加工会社とフィッシャーマン・ジャパンの三者が連携して、商品開発や販路開拓を行うという取り組み。そのプロジェクトリーダーに、磯部が抜擢される。関西から石巻にやってきた若手漁師・三浦大輝さんの牡蠣の販路開拓がミッション。これまでも松本について調整役を数多くこなしてきた。しかし、ここでもなかなか思ったようには進まなかった。抱え込み、焦り、その繰り返しで回らない。けれど松本の元で学んだ蓄積は、立ち止まったことで、整理された。

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「水産業の中でも加工会社の社内課題にしか向き合ってこなかったですが、一回引いて俯瞰で見ることができて、そこで水産加工の役割と重要性をこの時期に確かに感じたかもしれません。漁師と加工会社、双方のことを考えられるようになって、視座が上がりました。外からきた普通の若者が漁業権を取るってことのすごさを、僕自身が全然わかってなかった。大輝さんといろいろ話す中で、大輝さんは石巻の水産業の宝やなって、それこそが水産業の未来やなっていうふうに感じました」

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そこまでは水産業に興味がなかった。加工会社も水産業ではあるけれどいわゆる製造業。他の業態にも当てはまることが多い。しかし漁師が入ってくると、それは水産でしかない。そこで「水産をおもろいなと思った」。

成長

「学生時代は野球部の副キャプテンで、軍隊みたいなのが一番強いと思っていた。だから、部員の多様性みたいなものを考えたことがなくて、勝利至上主義で勝つ目的に対して最適なメンバーを揃え、それに合わない奴は別にやめたらええやんと思って……、排他的でした。ハセタクさん(フィッシャーマン・ジャパン事務局長・長谷川琢也)から『それでは社会では通用しない。誰がどのように考えているかを一回俯瞰で見た上で、どこから調整していくのかというのをやっていかないといけない』と言われました。でも、僕はこれまでやってこなかった」

悩み、立ち止まり、試行錯誤を重ねながら商品化は進む。水産加工会社末永海産の看板商品・<牡蠣の潮煮>とのコラボ商品で、大輝さんの牡蠣を前面に押し出した牡蠣の潮煮。パッケージには「次世代の若手漁師と一緒に作った」とメッセージを加え、若手を全面に押し出し、意匠には金の箔をあしらった。

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楽しそうに仕事をするメカニズム、それも次第にわかってきた。

「フィッシャーマン・ジャパンのメンバーには、なんのために自分がこの仕事をしているのかというビジョンが各々に明確にあります。ビジョンがあれば現状とのギャップが仕事になる。そのギャップを仕事として解いていったら、課題や対象が自分が思う理想に近づいていくので、そら楽しいやろということがわかったんですね。こういうことかって」

壁打ち役に徹する

松本に同行していたおかげで、磯部がインターンをやっていることは水産加工会社の中でも知られるようになっていた。三浦大輝さんと末永海産との商品化を検討しているのと同じ頃、大衆魚を専門に扱っている布施商店からの依頼でB to C事業の立ち上げにも関わるようになる。

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「魚も、魚を食べる人も減っている中で、小売を通すと生産者の伝えたいメッセージが削ぎ落とされていく。既存は残しつつ、新しい商流を作り、魚食の価値を考えている人に適正な価格で直接売る。会社の持続可能性を上げていくことをしたい」と熱く語る布施商店代表取締役の布施太一さんのビジョンに共感。二人三脚のように、『仲買人タイチ』というECサイトと、広告としてYoutube『仲買人タイチ』をはじめる。しかしさらに社内を見ていくと、リソース不足が目についた。社長はやりたくても、社内で共有できる相手、実行する仲間がいない。それを解消するために、磯部は壁打ち役と労働力に徹する。

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「タイチさんが新聞やテレビにインタビューを受けているときに自信を持って答えているのを横で見ていると、一緒に迷いながら悩みながらも、タイチさんもご自身の押し出したいものが明確になり、事業コンセプトが確固たるものになり始めていると感じます」

太一さんも磯部がいることで、ちょっとしたことを相談しアウトプットすることで、自分の考えが整理できて課題の解決法を導きやすくなったのだろう。

「必要なのは伴走力じゃないかな。コーディネーターとして一緒に旗ふってやるぞって感じにならないと他の社員が動かないんじゃないかと感じていたので、自分が歯車になって動いた方がいいんじゃないかと」

布施商店では初めて、指針発表会を社員向けに行った。その中で、B to C事業の方針は磯部が作成した。

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太一さんは「スーパーに並ぶ魚だけでなく、スーパーでは見かけない美味しい魚に水産加工の力で価値をつけていきたい。石巻では200種類以上の魚が1年間で水揚げされるけど、これを食べ尽くした人はいない。自分自身の勉強のため今年のYoutubeでは、200種類の魚を美味しく食べ尽くし、石巻の魚KINGを目指して頑張る!」と野望に燃えている。
ひとりの学生が熱い思いで経営者に寄り添ったことで、風向きが変わっていった。

広がる波紋

風が起こした波の波紋は広がっていく。末永海産からは、繁忙期の残業対策として業務改善の依頼がきた。I T企業に相談しても、普段のオペレーションに合わせてシステムを構築していないので、システムに合わせて業務を行わなければならないという弊害が出ていた。磯部は業務を理解することからはじめ、社長と議論しながら最適な業務フローを構築し直した。

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「業務の全体設計、システム要件定義を提示しました。そのための業務管理アプリも自作し、自走するためのコストなど選択肢を増やし、考えてもらう材料を揃えているところです」

長年の経験則、属人性の高い仕事は、どこの世界にも存在する。しかし、そこにこそ改善の余地がある。ただ変えるのではなく、磯部は仕事を理解することから始めた。学生時代の磯部なら、ただ無駄と切り捨てていたかもしれない。

事業者と学生との連携。知らないからこそ、武器にもなる。異業種と連携することで新しい価値を創造するSeaEOプロジェクトの肝でもあるのだろう。苦いこともあるだろうが、味になる。
しかし、それを味わうために必要なものはなんだろう。

一見、磯部の動きは体力勝負の体育会系に思える。しかし磯部には、水産業の世界について、自分が知らないということを知っている。ともすれば、長い歴史や文化的側面で語られる水産業に対し、現状を客観視し、論理立てて対策を構築できる。まるで、水産業自体のメカニズムを解き明かす技術者のように。

「経営者はビジョンがあるので、僕はそのビジョンを実現するために障壁となっているものを取り除きたいと一貫して思います。僕自身が仕事を楽しむというのが根底にあるので、僕はその障壁に挑むことで仕事を楽しむことをを実現できればいいなと思います」

2021-11-11 12.17.24のコピー

成長のたびに磯部は、まったく関わりのなかった世界を知り「視座をあがった」と繰り返した。
対して、依頼者である漁師や加工会社も違う視点からの打開策に視野が広がったに違いない。磯部はこの春、水産業から別の世界に進む。さらに俯瞰で捉え、はるか宇宙からの視座でこの地球の未来を変えていく。

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