就活において、昔の自分は何故抽象的だった?

昔の自分は具体性の伴わない抽象的な発言ばかりで、周りから見たら「意識高い系の周りが見えてないバカ」って思われてたのかもしれないなぁ。

でも、なんで発言が抽象的で具体性に欠けていたんだろう

就活に限っては、サークルやこれまでの人生の中で感じた感情という「具体的な」経験を、「抽象化」した自分のwillに変換することまでは出来てた。
しかし、その抽象化された自分の夢を業務や職種という「具体的な」キャリアプランや志望動機に変換することが苦手だった。

それは、何故か。社会を知らなかったからだ。世の中にはどんな仕事があって、日々どんな業務をこなすか。その知識があまりにも無さすぎた。

やりたいことなんて、見つからない。そういう人はとにかく行動するのが良いと思う。

説明会に行くとか、インターンシップに行くとか。OB訪問することもそう。そうやって、「社会の中で生きる」とはどういうものなのか、どんな生き方があるのかを知らないといけない。

食べたことがない食べ物を好きになったり、見たことがない人のことを好きになることができないのと同じ。

つまり、知らないものは好きにも嫌いにもなれないのだ。

自分の場合、この知る努力を怠った。好きなものに夢中になることの悪い癖だ。

就活においては、以上の通り。
けどいつもの生活ではどうだろう?

強いて言うなら、思考体力が無いことかもしれない。

漠然とした夢があって、それを叶えたいと思うんだけど、「叶えるためにはどうしたらいいのか」を考えるのが面倒。それが原因かもしれない。

他の例だと、物事を決めたりするときに、「ほどよく考えてこんなもんでいいっしょー」と考えきらないことがある。これが間違いなく良くない。

具体的に考えることが苦手=具体的に考えるだけの思考体力が無い

ということなのかもしれない

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