兜果について

しんにゅうするもの

 出社すると、机にティッシュペーパーが敷かれていて、その上に見覚えのない果実が置かれていた。形は玉葱のようで、ごつごつとした茶色い殻に包まれている。中身を取り出して食べるのだろう。テニスボールくらいの大きさに見える。
 誰かのお土産だろうか。周りを見回しても、同僚たちは静かに仕事をしているだけだ。まだ出社していない者の机の上にも果実は置かれていない。少し気味悪く感じた。
 とはいえ捨てるわけにもいかない。いったん仕舞うにも難儀する。とりあえずパソコンの電源を入れてから、果実に手をつけた。手触りは、子どもの頃に拾った松ぼっくりを連想させる。少し力を入れて親指を差し込むと殻が破れ、指先が中身に触れた。冷たく、粘り気のある感触がして反射的に手を退ける。指先を拭ってから、再度果実に挑んだ。中身を指先で摘み、分離してこぼれないうちに口の中に放り入れる。咀嚼する、嚥下する。ねっとりとした甘みが舌の上から喉にわずかに跡を残しながら滑り落ちていった。
 別に甘いものが嫌いなわけでもないのだが、なんだかひどく厭に感じられた。出勤途中に買った緑茶を飲み、甘みを洗い流そうとしたが、いつまで経っても消えなかった。
 
かそうするもの

 獣灰さえも朽ちるほどの去瞬から今瞬に至るまで、肝心なところで夢見がちな考察者によって、此場と相を共有する場がいくつも想定されてきた。ある者は、反射側にある場なのだから、と前置して、此場における罪こそが福音である場を仮定した。それを定義するため、彼は住処から縁〔深き〕者を連れてきて、その者を遮ってしまった。【すると】調和の属がひとそろいやってきた。次に遮られるのは彼の方だった。
 また別の者は、我々の臓腑の中にこそ、まことの場があり、尸となってえぐえぐに融け、臓腑と一体になる時にこそ、我々はまことの場に辿着することができるのだと口述した。【だが】と係り手が示したのは、中塔の頂に括り付けられている契り尸だった。あれはえぐえぐに融けていない。あれはまことの場には居らずということであるか。係り手が問いを繰り返そうとしたときには、既にひとそろいの属が姿を現し、二在ともを遮ってしまった。
 彼らは肝要を見逃していた。相を共有する場との接点は、我々の様式の中に潜んでいる。【尤も】私がそれに気付いたのも偶象の果ての結路に過ぎない。私は平常通りに兜果を拾い上げた。その際に識学が裂し、視え、解したのである。
 
きゅうしゅうするもの

 兜果についての記述は散逸している。例を挙げるならば、廃地に転がった料理具、焔塊を服んだ美少年の遺書、花窟の最奥壁などである。それらを収斂させる試みは数多く実行されてきたが、十全な成功は為されていない。僅かに獲得された結果から類推される実相の一部を以〔下〕に記する。
・兜果は偏在と散在をともに成している。
 消滅した次瞬には別所に現出する。眠る〈象〉と同じ数在る事もあれば、情愛数よりやや少ないこともある。
‥兜果は積極的に介入する。
 【その際】後退することはない。自己を深信し、前進する。その様はまるで強酒体のようである。
…兜果は相を通じて場を遷移する。
 【このとき】明滅するという。【また】涙を流すこともあるという。【ほんとうは】此留したいのかもしれない。
 これらの要素をすべて撹拌すると、兜果は命に沿って自生していると考えられる。央の央に虚を孕み、その外周に果実としての機能を備えたそれは、存在として生命の所持を自ずと拒絶するはずだ。空と海の関係。【しかし【真に】】それらは融け合っている。
 兜果について潜考することは、真理に造反することと合一である。あなたが裂するかもしれない。
 
しょうかするもの

 ……自分がどこにいるかわからない……なぜ急にこんなことを思ったのだろう。云うまでもなくわたしは仕事から帰り、夕食を食べ終え、座椅子に腰掛けてぼんやりとしている。何も疑うべきところのない日常だ……どこにいるかわからない……そんなことはない。わたしは間違いなくここにいる。
 何もする気がしない。身体がどこか悪いのだろうか。……央から、央の央より……自分が何を考えているのかわからない。ふと思い出す。朝、食べた果実のことを。
 飲み込んで、消化したはずなのに、身体のなかにあの果実がそのまま残っているような感じがする。あれは何だったんだろう……とうか……誰が持ってきたんだろう……誰も持ってきていない……誰が答えているのだろう。わたしの要素が流れ出ていったり、別の場所から要素が流れ込んでいったりして、交換され、混同され、境界線が曖昧になっていく。
 ……兜果は変数である……何のことかわからない。トウカという聞いたこともない言葉が、すぐに具体的なイメージに変化する。わたしが融けていくような感じがする。わたしが概念になる。わたしの容貌は変わらない。わたしは明日も仕事に行くだろう。わたしは【【だが】半ば】其場にいる。

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