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異国に住むまで。

いつもは日々の思うことを書いたりしていましたが、今回はちょっと思考を変えて、「異国に住む」ということについて書いてみます。そのパート1、「移民としての入国まで」編です。

日本を一歩出て、外国に住むようになる経緯、理由は人それぞれ。私のガイドでご案内する時も、お客様にイタリアに住むようになったきっかけをよく聞かれます。最大の理由はイタリアの文化が好きだから、というのが一番ですが、「好き」だけがどうやって原動力になり実現したのかを今日はお話しします。

イタリアに住みたいと思うようになったのは最初にイタリアを訪れた旅行から。それまでもイタリア料理や絵画はもともと好きだったのですが、特に一番という訳ではありませんでいた。イタリアのことをよく知らなかったのでしょう。そのその旅行は友人と二人で10日間の個人旅行。パリから入り、電車でフランス縦断、スイスを横断してミラノに入り、最後はミラノ発でフィレンツェに日帰りで旅行して翌日にミラノから東京に出発するという内容の濃い旅でした。またその旅のエピソードは後日書くことにします。とりあえず移住のきっかけは間違いなくここからです。イタリアという国を目指します。

その後、イタリア語を始めました。仕事しながらなので週に一回レッスンに通うのが精一杯でした。歩みは遅いけど飽きることなく続けていました。かなりの仕事量をこなしていたので、臆することなく有給休暇を使い、多い時は一年に3回イタリアに来ていました。ある時、イタリアでできた友人の一人に月の給料と毎回かかる旅費について聞かれ、それに答えると「イタリアに住んだ方が経済的にコストを抑えられるのでは」という答えが返ってきたので間に受けて、そこから計画を立て始めました。確かに「私の生活ペースでの東京での生活費>(場所にもよりますが)イタリア生活費」は明らかでした。
まずは資金の用意から。習い事を止め、ボーナスを丸ごと貯金に回したり、数年のうちに設定した学費と生活費の留学費用までたどり着くことが出来ました。退職もスムーズ。退職の3か月前には上司に伝え、東京の家を引き払う準備を始めます。荷物を減らしていき処分できるものはどんどん捨てたりあげるなどしていきました。入学手続きは全て自分で学校サイトから申し込み、学費の支払いも済ませ、学校からの領収書と入学許可証が届くのを待つのみ。退職後、東京の住処を引き払いました。実家に戻り、領事館での学生ビザ申請。癖のあると噂に聞いていたスタッフも適切な対応をしていただいたので、肩透かしをくらいながらも感謝さえしています。お元気でいらっしゃるのでしょうか。(何年か前に私立の学校で留学生関係の仕事をしていた時に日本のスタッフからその時も勤務していらっしゃったとは聞いていました)

一週間もしないうちに郵送にしてもらったビザ付きのパスポートも届き、いざ出発を待つだけ、という気持ちでしたが、時間に余裕があったので短期アルバイトもしたくらいでした。

ここまでの感じはとても簡単にスムーズにいっているように見えますが、ギリギリのところで自分の強運に感謝するくらい、細かな事件が起きています。その一つが学生ビザを申請する時にも必要な住居証明でした。

イタリアに渡航する前に住む場所を決めなければならないというハードル。一般的には留学エージェント、提携学校などから紹介してもらい、有料で手続きをしてもらう人が多い中、知人(今もお世話になってます)に紹介してもらったインターネット掲示板(使用したサイトは今はもうないかもしれません)での募集で見つけ、学校にも近く便利で仲介してもらった人に確約をもらいました。しかしその後、件の住居証明の件で大家さんからNGが出て、これはマズイとなりそうでしたが、仲介者の助けもあり、ギリギリで書いてもらい、メール添付で送ってもらいました。原本もビザ申請に領事館に出向く前に無事到着。間一髪でクリアしました。

持っていく荷物もスーツケース2つに詰められるだけ詰め、主には洋服類、靴のみ。それ以外はイタリアで購入しようと思っていたからです。辞書さえあればなんとかなると思っていました。

今日は出発までを書きとめてみました。前のことで細かく覚えてなかったりしますが、また書いて行く中で、思い出した時に追加します。

次回は、入国後編です。


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