ミッドサマーはカルト映画じゃないという話(ネタバレ有感想)

ミッドサマーは山奥カルトの怖い儀式みたいな雑な理解されないようにめちゃくちゃ序盤から強調しまくってるんですよね。それをわかってほしい。(そうであったら、ただのB級映画であるとすら思う)

「交通法規を守らなきゃ」「カメラで女王の顔を撮る」「水力発電するし、主産業は自給自足じゃなくてお金に替えられるもの」「そもそも人を大学に行かせられるだけの金がある」

どう見ても地元密着型閉鎖カルトじゃないんですよ。

それが一番怖いんですよ。

地元密着型閉鎖カルトじゃなければ

「なんでバレないの?」

「なんで夏の季節に外に出た人たちが、こんな異常な村に忠誠を尽くすの?」

となってしまうわけです。

この人たち、ただのカルトじゃないんですよ。

「麻薬やお薬でコントロールしてるだけじゃないの?」って思われる方もいると思うんですけどね。

思考をコントロールできるほど強力な麻薬を毎日キめてたら人間おかしくなりますよ。祝祭の時だけ強力なものを使って、それ以外の時には使っていないか、軽い効果の物だけ使っていると考えるのが自然でしょう。それにどんなに強力な薬でも、18年もお外に出てたら効果が切れるでしょうからね。

じゃあ、なんでこの人たちは普段穏やかでありながら、いざとなると凄まじく残虐になれるの?と考えると、それはマインドコントロールなんですよね、おそらく。

最後のほうの女性が号泣するシーンあるじゃないですか。一緒に泣いてくれるやつ。あれは「共感する自分に好意を持つ」ようにやってるわけです。クリスチャンが恋人を裏切ってセックスするまでにも、物凄い丁寧に雰囲気を作り、断れない状況を作ってさらに薬で一押しするわけです。

そういう、言ってしまえば「マニュアル化された悪意」と「ピンポイントで投入される強力な薬」というのがコンボになって人間が上手くコントロールされるわけです。強すぎナーフはよ。

さらにいうならダンスの場面だってそうですよね。おそらく薬の効力を高めるために運動して興奮させるわけです。

熊の解体場面だって、あれは言ってしまえばノウハウの伝達ですし。

90年に一度の祝祭だって、この村じゃ72歳で死ぬんだから、直接伝えようがないんですよね。つまり、全ての人は一生で一度しか経験しないわけで、それがあれだけ滞りなく行えるというのは、相当きちんと文書化されていると思うわけです(ここら辺の解釈は変わるかもしれん。90年に一度というのがウソかもしれんし、適当な解釈で前とは全く違う祝祭をしているのかもしれない)

ところでさ。

じゃあどこまでマニュアル化されてたんでしょうね?

心が弱っている人の招き方?それとも、


招きたい人の心の弱らせ方?

(追記:よくよく考えればあれだけ女王の写真がある以上、祝祭自体は毎年やってる・絵がない以上写真技術の登場より歴史があるわけじゃない

ということでおそらく土着カルトよりも新興宗教みが高いのではないかと。九十年に一度という設定はおそらく、適当にやっててもバレないようにということなのだろう。九十年前の儀式とかわかるわけないしな、よほど調べないと)

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