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沈黙が宿命になった時代に

沈黙こそ自然の唯一の所見であり、世界のかけらのどのひとかけも、あの無言で不変の塊りから削りとられたものである。

アニー・ディラード『石に話すことを教える』P.35

自然は語らず、ただそこにある。豊穣で汚穢。無慈悲で清浄。規律正しく暴乱。さまざまな顔を見せる一方、私たちになにかを語りかけることはない。押し付けることも命じることもなく、与えることも奪うこともない。無言で不変の塊りから削りとったひとかけに、恵みや災いを感じながら人は生きてきた。

わたしたちはもはや原始のままではない。今は世界中が神聖でなくなっている。神聖な木立の小枝から光を奪い、至高所や神聖な小川からそれを抹殺してしまった。わたしたちは丸ごと汎神論から汎無神論に移行したのだ。

アニー・ディラード『石に話すことを教える』P.36

かつて人は至るところに神聖さを感じていた。小枝や小川にきらめく光、高き所(祭壇や神社)に敬虔さを覚えることは現代の私たちにもある。
しかしそれは一時的な気の迷いで、街に降りてくれば忘れてしまう。ひとが削り出し、解き明かし、制御するものに神の意志は宿らない。神頼みが減った分だけ、神の恵みも災いも減るのだ。

沈黙はわたしたちに託された遺産であるどころか宿命となってしまった。人は生きたい場所に生きるものなのである。

アニー・ディラード『石に話すことを教える』P.36

万物の沈黙から神聖さを引き出し、神の言葉を聞き取れていたあの頃、自然は神からの遺産だった。神の子(代弁者)に頭を垂れ、戒律をていねいに守っておれば、恵みを与えてもらえると信じられた。
しかし戒律を守らなくても欲しいものは手に入る、むしろ神聖さを無視するほどに収量が増えると気づいた汎無神論者たちは、地球環境を変えるほどの勢いで増えた。
彼らにおいて沈黙は宿命である。