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ジャスコの屋上に気球船は降りて

 新宿西口の郵便局は八十人待ちだった。俺はリックサックの中に『デリケート』と『馬鹿のヤングフォークス』の原稿を入れていて、そのどちらもが今まさに青白い封筒の発射台から出版社に向かって飛んで行こうとしている。番号札を取ったら感熱紙に『691』と書いてあった。691。報い。報いかぁ、と思って、ふかふかの椅子に座った。大量の人間がいて、全員が黙っている。ここにいるみんながみんな、誰かに何かを届けたくて待っていた。椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んだ。隣に座っていたロリータファッションの壮年女性が突然立ち上がり、「うわ〜、飛ばされた飛ばされた、コンビニ行くか」と、出て行った。くっちゃくちゃの黄色いビニール袋を持っていたのがなんだか無性に怖かった。三十分ぐらいが経って、報いを呼ぶ声がして、俺は新潮社と河出書房新社に原稿を送った。外に出たら雨が降っていて、カーハートのフードを被った。「報い」について考えた。頑張ったから褒美をあげよう、の報いなのか、お前みたいな最悪人間の書いた原稿は配達途中にムクドリの大群に食べられます、の報いなのか。もしくはもっと単純にこの帰り道死ぬのか。

 書くことと書かないことの境目、それぞれのもたらす効果についてずっと考えていて、これは多分ずっと考えることになるし、でも初歩的な疑問でもあるだろうから抜け出したい気持ちもある。例えば、

 透子ちゃんの家は三鷹駅から徒歩六分。クリーム色の外壁と紫色の屋根がおいしそうな外観だった。六畳一間でなぜか玄関がなく、チョコレート色のフローリングが日当たりの悪さを際立たせて、俺はそこで透子ちゃんと二年間暮らした。冷蔵庫の上にはドクターペッパーの空き缶だらけで、ベランダにはパンジーの鉢植えがいつもあった。

 と、書くのと、

  透子ちゃんの家は三鷹駅の近く。淡い色の外観で、玄関はなかった。日当たりが悪いその部屋で俺は透子ちゃんと暮らした。冷蔵庫の上は空き缶だらけで、ベランダには花があった。いつも。

 と、書くのでは、伝わり方がどう変わるか。「徒歩六分」「クリーム色の外壁と紫色の屋根」「チョコレート色のフローリング」「二年間」「ドクターペッパー」「パンジー」という具体性を削ったことにより、その余白が、読む人にとってどう埋まっていくのか。その広がり方を把握していないと、ただの安易な「余白を残しておけばOK」という直線的な理解になってしまう。「パンジー」だけは言っておいた方がいい、とかの操作を。わかんない。できない。難しい。

 ストⅤは春麗とミカを使っているけど、どっちも100戦10勝90敗ぐらい。超弱い。弾抜けが下手。大足を出して確反をくらうミスを何度もやってしまう。

 小学校一年生の時、父親が単身赴任で海外に行くことになった。空港に見送りに行って、俺は別れ際泣きまくって、泣いてるのが恥ずかしくて「お腹が痛い」と嘘をついた。母ちゃんは痛いね、大丈夫ね、と俺の嘘に付き合ってくれた。兄ちゃんは俺の前だから泣かないと決めてたのかもしれない。
父ちゃんはたまにキャッチボールをしてくれた。俺はいつも兄ちゃんの真似をしていて、兄ちゃんが柔道を始めたら俺も柔道を始めて、兄ちゃんがバナナマンおもしろいよと言ったらバナナマンを好きになった。野球をやっていた兄を見て、野球をやりたい!と言った俺はチビの二塁手になった。父ちゃんはよくゴロを投げてくれた。俺はそれを捕って、父ちゃんに投げた。築100年のボロい木造家屋に住んでいたので、居間でテレビを見ていると、父ちゃんが廊下を歩いてくる音が聴こえる。木の廊下が軋むその音は歩幅が大きくて、父ちゃんの一歩一歩の間隔を俺は正確に把握していた。仕事から帰ってきた父ちゃんはスーパードライを飲む。そして俺はテレビを点けたまま居間で眠って、父ちゃんが寝室までおんぶで運んでくれる。これを毎日繰り返していた。もう今ではいつ、どういう状況で言われたのか全く覚えてないけど、父ちゃんがタイに五年間行くことになった、と報告された。多分母ちゃんからそれを聴いた。多分。母ちゃんは小学四年生の長男と小学一年生の次男に、どういう風に伝えたんだろう。今はもう思い出すことができない。人生で唯一、猛烈に後悔していることがある。母ちゃんから「一緒にタイに行くね?」と聞かれて、「絶対に行きたくない」と答えたことだ。そして空港で俺は「腹が痛い、腹が痛い」と嘘をついて、悲しくて悲しくて泣きまくった。父ちゃんの枕は父ちゃんの匂いがして好きだった。父ちゃんの枕を嗅ぎながら眠った。俺は父ちゃんのことを「父ちゃん」と呼んでいた気がしているけど覚えていない。なぜなら俺が二十五歳になった今も父ちゃんはまだ海外にいるからだ。高校一年生の、修学旅行的なミニ旅行的な、何かこれも今では全く思い出せないそういう行事があって、その授業の一環で家族に手紙を書きましょう、というコーナーがあった(コーナーて)。あの時空港で泣いていたのは、腹が痛くて泣いてたんじゃなくて、ただただ悲しくて泣いてました。と手紙を書いた。

 『哀愁の町に霧が降るのだ』『コレラの時代の愛』『10:04』『ハバナ零年』『パノララ』『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期短編集』『芝生の復讐』『ハックルベリー・フィンの冒けん』『通話』『風と共に去りぬ』、とかを読んでる日々です。風と共に去りぬはなんか気分が乗らなくて風と共に去りそうです。映画を全く観なくなっていて、でも今まで観た名作を観返すモードに入っていて、『善き人のためのソナタ』『小説家を見つけたら』『ヘイトフル・エイト』の三つを観返したらおもしろかった。

 ぼろぼろできったねえ服しか売ってない店があって、その店が好きで、中に入ると確実にハウスダスト・アレルギーが引き起こされるんだけど、そこでリーバイス501の現行品を1500円で買った。家に帰って調べたら、一番上のボタンの裏に書いてある番号とか赤タグとかで年代を特定できるらしい。こういうのがなんか昔から好きで、スーパースターの金ベロは何年まで、とか、多分一見同じように見えて実はそれぞれ違う、みたいなやつが好きなのかもしれない。

 恋人に鼻毛を切ってもらった。彼女は切った鼻毛をマスキングテープでスケジュール帳に貼って保存した。


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