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アメリカの遊撃手はベンチでチョコレートバーを齧る

 午前五時の夜が明ける忘れ去られた遊園地で、二台のゴーカートが目の前を通り過ぎていくのを見ていた。落合くんが木村くんに半周差をつけて圧倒的勝利を手にしようとしている。千葉にある大慶園という二十四時間やってる逝かれたアミューズメントパークにレンタカーでやってきた男が五人、全員眠かった。帰りの車で助手席に座った俺はヨラテンゴを流した。荻窪のスーパー銭湯に着いたのは朝の六時、七時、そこらへんだろうか。丸ノ内線に乗って東高円寺に戻ってきた。朝の八時だ。オリジン弁当でのり弁とジャスミン茶を買って家に帰り、食って、寝た。朝に家に帰ってくるとやたらとそのことが記憶に残る。

 家の前にあるゴミ捨て場がスタンスを決めかねている。今までは野ざらしの無防備なただのゴミ捨て場だったのに、緑色の網でできた箱のようなものが置かれるようになった。しかし近隣住民が出す燃えるゴミの量はその箱に収まりきれずに溢れた。箱は撤去され、青いネットを上から被せる方式に変更された。しかしそれでも青いネットの長さが若干足りてない気がする。多分来週にはまた別の何かが現れる。

 恋人の体調が悪く、とてもつらそうだったので味噌汁を大量に作った。一緒に飲んだ。深夜のドン・キホーテに向かって歩いた。外国のチョコレートを買って食った。雨が降っていた。少し元気を取り戻したようで安心した。高円寺駅から家に向かって歩いていると、視界の左上に逆さまになった自転車が現れた。そしてそれはそのまま地面に落ち、うつ伏せに倒れた男の上に乗った。俺は着け心地の悪い安いイヤホンでハライチのターンを聴いていたので、その全てが無音で展開されるのを静かに見ていた。持っていた傘が前輪に入り込みロックされ、勢いそのままに転倒したようだ。にしてもあまりにも綺麗に上下が反転して宙に浮かんだので俺は驚いて、イヤホンを外した。周りには俺しかいない。話しかけようか迷った。なぜかというと、俺が逆の立場だったら恥ずかしくて恥ずかしくて、目撃した方には是非とも無視して頂きたい状況だからだ。でももしかしたら骨が折れてたりとか、そういうのもあるかもしれない、と思って、やっぱり「大丈夫ですか?」と声をかけた。すると転倒の青年はニヤニヤしながら「へへ、へへ、へへへ、へへ、へ、へへ、へ、大丈夫っす、へ、すいません」と言った。恥ずかしそうだった。そして謝られてしまった。という話を恋人にした。二人で顔にパックをして寝た。

 相変わらずストファイブをやっている。オンライン対戦を始めて、世界ランク百万位ぐらいからスタートして(やってる人が百万人もいるのか)、今は三十万位ぐらい。最大コンボは簡単に出せるようになったし、大PキャンセルCAとかもできるようになった。対空はまだ微妙。仕込みは全然。技の射程や間合い、ゲームスピードそのものにも段々慣れてきている。つまり上手になってきている。中国の人や韓国の人、モンゴルの人とかインドの人とも対戦する。人を力で制圧することを求めているのではなくて、パンチやキックによる会話を求めている。だから負けても「うわ〜、良い試合だったな〜」ってなる人もいれば、コミュニケーションみたいなものからは遠く離れた「暴力」の延長線上のものとして技を出してくる人もいる。その相反する二つの性質が共存している。会話したい人と、人の話なんか聴く気のない人。

 新潮で滝口さんの新連載『全然』が始まった。一瞬で読み終えてしまった。読んでいる時間はとても幸せなものだった。『寝相』も最近買って、読んでいる間も、読み終わったあとも、ずっと心がいっぱいだった。自分の父と母が十八歳で交際を始めて、二十六歳で結婚し、二十七歳で兄を産み、三十歳で俺を産んだことを思った。十八歳から今までずっと一緒にいるとはどういうことだろうか。しかも父はずっと海外にいる。その複雑なLOVEのことを思うと部屋から出たくなる。

 新潮社と河出書房新社から電話がかかってくるのを待っている。春に、新人賞に応募したからだ。最終選考にまで残っていたらもうそろそろ電話がかかってくるのではないか。きっとかかってこないだろう。いつだって大三元四暗刻単騎待ちの気分。こい、こい、と思いながら、時に口に出しながら、ツモる。きっとかかってこないから、祈る。待つ。期待することをやめることはとても難しいし必要のないことだ。

 ビリー・アイリッシュばかり聴いている。なんて素敵な歌声。

 一月一日から始めた『誰かの日記』が折り返し地点を通過した。自分の書いた話に命を救われるような思い。救うために書いているつもりはないけど、今日もここじゃないどこかで知らない誰かが生きたというそれだけが見えるだけで、涙が出るような思いだ。


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