日記 2

好きな女の人がいます。攻撃と防御が表裏一体で、ナイフの持ち手に軟膏を仕込んでいるような、着ぐるみの中にいる暴力団員のような。という人です。繊細さを隠すために大胆になるし、大胆さを隠すために繊細になるその様を最初に見た時、俺は一体何を見ているんだろうと思って楽しくなった。
その人と一緒に『カルテット』を観て泣いたりしてます最近。「行ってきます」と言ったらその人が泣いていて、しばらく会えなくなるのにごはんを一緒に食べられなかった事が悔しくて泣いていたようで、俺は馬鹿なので「なに泣いてんの?」や「泣かなくていいよ」などの最悪な言葉しかかけてあげられず、家を出て自転車を漕ぎながら「泣かなくていいよ」じゃねえだろ、とものすごく後悔したりした。annkwを聴いた。若林さんが放ったコメント「人間にしてくれたよね、俺をね」に動けなくなるぐらい喰らった。俺もいつも人間にしてもらっている。感情の答え合わせをして、ごめんなさいと思いながら、ああ、人はこういう事をするとこう思うのか、ということが初めてわかる。それは自分の中に発生した気持ちにもだし、相手の中に発生した気持ちに対しても。答え合わせをしてくれる。ごめん。ありがとう。本棚に山崎ナオコーラさんの『人のセックスを笑うな』があったから、「あ、人のセックスを笑うなじゃん」と言ったら「読んであげようか?」と言われ、「うん」と言ったら本当に音読を始めて、最後まで読んだ。三時間ぐらいかけて。俺はおもしろかった。最後まで読むんだ、と思って。スケジュール帳に「山口くんのことを意味もなく全肯定したい」というようなことが書かれているのを見た。

最近のできごと。
自転車のチェーンが結構錆びていたから、近所の自転車屋さんに持って行ったら「こんなもん油さしときゃ治ります」と言われ、「ふぁい?」となった。「後輪のブレーキも治してほしいんですけど」と言ったら「はーい」とドライバーでくるくるとやり、五分ぐらいで終わって、「お金いいです」と言われ、「え、あ、え、どうしよう。ごめんなさい。ありがとうございます」ということがあった。
前のバイト先に制服を返しに行ったら、三年間お世話になった先輩映写技師兄さんが「サインちょうだい」とバナナムーンの本を出してきた。俺が通った二つの青春が同時に終わりを告げていた。「じゃあね、ばいばい」と思いながら自分のネタが丸々載っているページに「2018.11.5 ファイヤーダンス失敗」と書き、「三年間お世話になりました。」と言った。ばいばい。
群像の新人賞に応募しました。喫茶店で日下部くんとその小説について話した。演技においても将棋においてもフリースタイルバトルにおいても野球においても、プレイヤーのスタイルみたいなものってどうやって確立されていくんだろうね、みたいな話になった。体調崩すぐらい自分と向き合うしかないね、という答え。「ああいう感じになりたい」という外側が先に来るとそれはもう願望になってしまってて丸裸じゃないよね、みたいなこと。いかに剥き出しでいられるかの戦い。など。
男四人で勝どきまで自転車漕いで大雨でびしょびしょになったり、図書館に行ったり、新しいアルバイトを頑張ったりしています。あとGYAOでM-1観てる。Dr.ハインリッヒの漫才が一番好きですやっぱり。そして相変わらずカネコアヤノさんばかりを聴いている。熟した果実だ俺たちは。

ポール・オースター『インヴィジブル』
ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』
ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』
ジム・シェパード『わかっていただけますかねえ』
大森さんの『超歌手』
若林さんの『ナナメの夕暮れ』
の六冊を交互にシュパシュパ読む日々。本当に映画が観れなくなっている。純然たる「おもしろい話」の提示の仕方は文字か音声しかないんだな、と気付き始めた。遅いよ。

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