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長屋の表に盆踊りの火

 望んでない茫漠さにいつの間にか包まれてしまい、本も読めねえ動きも取れねえとなって、熊本に帰った。母の妹、つまり叔母が安倍晋三に向かって「人間がどういう風に暮らしてるのかとか、本当に知らんとね」と言っていて、俺は2012年の夏に国会議事堂の前で反原発デモに参加して絶叫していたことを思い出した。恥ずかしい思いもあったけど本当に思ってることだったから叫んで良かったしまた叫ぼうかなと思う。
 熊本は道が広くて建物はでかい。電車は二両で夕方になると県民全員が義務感からベランダや縁側に現れてたばこを吸う。選択の余地がない。ゆめタウンに行くか、スターバックスに行くかしかない。暗闇で、自動車が走っているだけだった。東京はきついな、と思った。ここで産まれ育ったけんがここが俺にとっての普通になるのは仕方ないことだけど、熊本で関わった人全員が普通だった。元気でもない。疲れてもない。普通だった。地域で括るのは良くないけど、俺が何思おうが自由だった。
 喫煙者に戻った。食欲は減退していって輪郭だけが残り中身はスカスカになった。ポトフを作って恋人と食べた。うまかった。ポトフを食べながら動物の赤ちゃんのドキュメンタリーを観た。BBCが作ったそのテレビ番組は、野生動物の赤ちゃんたちが大人になるまでを追いかけていた。
 疲れていた。何も考えたくなかった。そういう時に本は役に立たなかった。無の状態を許してくれないからだ。書物は全て毒物だった。ただ熊本の広い道をぶらぶら歩いて、スターバックスが閉まるまで音楽を聴いたり紅茶を飲んだりしていた。自分を一つのパターンに埋め込んでしまうことが一番の休憩で、だけどそんな知性のことすらどうでもよかった。
四暗刻をやった。わははは、と思った。

 ストファイは心の健康にとても良かった。不必要な思考の入り込む隙間が皆無だから、毎日毎日小パンを連打した。そしたらシルバーランクになっていた。強くなっている。弱かったのに強くなっていた。
 落合くんが書いた小説を読んだ。落合くんの無意識を読む行為だった。それは全てがそうだった。文字を読むという行為そのものが、書いてあることを手綱にして書いてないことを頭の血に混ぜる行為だから。勇気が湧いてきた。書物は毒物だけど俺たちはいつも毒を吸引して生きていたから「毒物=ヘイトの対象」というわけでもない。
 考え過ぎるということに辟易していて、基本的にそういうことをやめたいと思っている。
 誰かのツイートで、「インターネットは紙媒体の敗者復活戦じゃない」みたいな文章を読んだ。この縦長の液晶を経由して触れた文章であるとか写真であるとかのことを信用していないのに、自分はそれに依存せざるを得ない状況、今まさにこの文章もそうなんですけど、なんか本当に、俺は舐めてます。見下してます。見下しているという前提を元に書いたり触れたりしています。
 消費税10%はクソです。安倍晋三も嫌いです。百田尚樹も嫌いです。堀江貴文も嫌いです。でも言わなくていい。言ってもいい。言おうと思ったから書いた。
 ダサいのも気取ってんのも普通なのも激しいのも弱いのも極端なのもニュートラルなのもやだ、どれもやだ。

 熊本のスターバックスで、隣に座ったギャルとその彼氏がやたら激しく会話をしていた。俺はイヤホンでエイミー・ワインハウスを聴いていて、山下澄人さんの『緑のさる』をちまちま読んでいた。イヤホンを外したら、その彼彼女は無音だった。無音なのに激しく会話をしていて、つまりそれは手話だった。あ、手話だった、と思った。手の動かし方というのは、声に似てるのか、文字に似てるのか。そういうことを考えて、いや手の動かし方は手の動かし方でしかないだろ、と、なんでもかんでも自分の範囲に持ち込んで考えちまうなぁと思って、夜の馬鹿でかい国道に出た。涼しく、広く、黒く、誰もいない。木の葉が揺れる音と路上駐車のハザードの音だけ。俺はここに十八歳までいた。そして二十六歳になった今初めてこの街のことが好きになった。
 橙書店に行った。東京に戻ってきて、夜中にコンビニで2リットルの水を買っている時なんかに思います。もう一回行きたい。『緑のさる』も橙書店で買ったのでした。坂口恭平さんの『発光』と中上健次『十九歳の地図』も。
 なんでいつも俺はこうなってしまうんだろう、と思いながら彼女が畳んでくれたパンツや靴下や、自分のiPhoneを部屋中にぶん投げまくって、「今の俺に何も求めないでくれ」と大絶叫していた。書くことで美化してるわけじゃない。東京に戻ってきて、東京駅の前で、あの煉瓦の巨大な建物の前で彼女は俺の腰のあたりに手を回して「おかえり〜」と言いながら持ち上げてくれた。両脚がふっと宙に浮いた。夕方だった。もう一回全部をやり直すつもりだった。


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