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日記 3

『インヴィジブル』を読み終わっておもしろかったな〜と思い、『マーティン・イーデン』を読んでいる生活です。
今は演劇の脚本と、あとまた別の小説を書いていて、書くものがいっぱいで苦しく、楽しい。

西荻窪の『どんぐり舎』という喫茶店でポテサラと演劇の話をして、そこに足立くんも来て、「インヴィジブル読み終わったよ」とかの話をして、吉祥寺のゲームセンターへ。というのも俺が最近もっぱらストリートファイターにハマっているからです。きちんとしたゲームセンターというものにほとんど行ったことがなく、この前初めて入った高円寺の地下ゲームセンターの雰囲気が、凄かった。本能との結びつきがこんなにも強烈なコンテンツが近くにいつもあったのかと驚いた。ストファイをやっている間は頭が無になるのがとても気持ち良い。嫌いな複雑さがない。プロのゲーマーの人たちは1/60秒を操ります。1フレームという単位ですね。論理の世界です。画一的であるが故に、キャラクターを操る人間性を浮き彫りにしやすい、というか、赤に囲まれた青、というか、「言葉」に囲まれた「言葉にできないもの」というか。そこが好きです。格闘ゲームに出てくる女性キャラクターは軒並み乳房が大きいです。小さい人もいます。男性キャラクターはほとんどが筋骨隆々です。選択できるキャラクターはたくさんいますが、全ての人物がわかりやすさの地平の上で創られていて、しかも幅がある。それは俺にとってなんだかとても安心できるものでした。でも多分やっぱり、今の俺だからそこに暖かさを感じているけど、少し前の俺だったらきっと感じられなかった。勝っても負けても楽しい。寝る前にiPhoneで「ほうほう、百烈脚はキックボタン五発で発動するのか〜、今まで無駄に連打してたな〜」とか、「昇竜拳やってパンチ当たった瞬間波動拳のコマンド押してキャンセルするのか〜、それ難しくない?」とか、思うのが楽しい。孤独な思考の線の上を歩くことに怯えなくなった。密室が怖いのは出る事が目的だから。いる事が目的ならむしろこれほど安心できる場所はない。
そのまま寝ずにみんなで多摩湖まで自転車を漕いだ。最後の道が長い長い上り坂で、上りきったら大きなハスキー(犬)がいた。みんなで「かわいいかわいい」言っていたらハスキーは近付いてきて、ポテサラの手袋を食べた。多摩湖は霧が濃くて何も見えなかった。何も見えないけどとても良かった。「マンチェスターバイザシー」みたいだね、と話した。みんなで多摩湖の近くにあるファミマでカップラーメンを食べた。多分、人生ナンバーワンカップラーメンだった。温泉に入って吉祥寺に帰ってきた。寝てなくて全員がヘロヘロだったのに夕日はいつも通り綺麗で、なんかしんどいけど俺たちは二度と戻れない時間の中にいるんだよ、と思った。吉祥寺をうろうろして珈琲を飲んだり食器を見たりして、ふらふらになって帰宅して爆睡して、今です。午前五時。狂いまくった体内時計。もう一体何が何なのか。
吉祥寺をうろうろして珈琲を飲んだり食器を見たりして、さあ帰ろうとなった時、駐輪場に自転車を取りに行って、精算マシーンに100円玉を入れて自転車のところに戻ってきたら、友達カップルが「エドモンド本田」と言いながら両手で押し合いをやっていた。きっと二人きりの時もこうして遊んでいるんだろうな、と思って、俺はそういう奇跡のようなものはいつでも見たいし、いつでも見たいからこそ、見えてないフリをして真っ青の自転車を取って蛇行運転で家に帰った。

デリケートの出版方法についてずっと悩んでて、みんな買ってくれるだろうか、とか。どういう装丁にしようか、とか。どうせだったら今までの、ライブドアブログ、はてなブログ、と書いてきた俺の日記もつけるべきだろうか、いやそれはいらないか、とか。なんか、色々悩んでます。というか焦っている。いつも通り。本当のことしか書いてないことを証明したい、という欲求は誰に向かって発されているのかわからないけど、多分自分になんだろうけど、ずっと満たされない。怖い。
あー眠い、ふわふわする。
好きな人と清澄白河・門前仲町に行って、公園で団子を食べたこと。もっと、本当だったら、直線的な、夜景が綺麗なレストランとか如何にも記憶に残りそうな出来事よりも、あの公園の方が圧倒的な力で自分の中に残っていること。その豊かさの理由が何なのかわからなくて不思議で楽しい。喫茶店で流れていた曲が良かったのでShazamを使ったら、これだった。

大好きなジュリベカ姉さんとフィビブリ姉さんの歌声を記憶していない事もおもしろかったし、歌声を覚えてなくてもShazamを起動させた事が嬉しかった。それはつまり記憶喪失になってもまたみんなと出会うという事だ。

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