誰かの日記 一月七日

 起きたら夕方。ベランダから見える向こう岸の長屋に白鳥が静止していてギョッとする。家を出る気力が枯渇している。しばらく川の水流を見る。一時間ほど見る。すぐに宵。スティックとパッドだけ持って公園。BPM80から120へ、5ずつ上げながらひたすらシングルストローク。公園に赤子が四つん這いで入場。赤子、完全な孤独。赤子を肩車してまたもやひたすらシングルストローク。数十分後、赤子の産みの母来る。少し怒られる。スリーエフでドクターペッパーを買い、STUNに。セッション三組ほど参加し、帰宅。伊吹さんに「日に日に変なドラムになっている。」と褒められる。練習の時間を減らしていることが良い働きを見せている気がする。ストイックな、自傷行為のような、そういう稽古を積むことによってしか獲得できないものは確実にある。技術の先にあるものを体得したい。「体得したい」という願望が間違っている。ただ、素直に生きるのだ。そして、一生懸命叩く。と、誓う。誓いながら家まで歩いた。

 金がない。白米を三合食べ、天井を這う蜘蛛を見る。世界を変えられるかもしれないと本当に信じていた十七歳の俺はもういないのに、それでもまだドラムを叩いている。昼間はトンネルを掘って、夜になったらドラムを叩く。明日もまたどうせ、ヘルメットを着けたまま、異様に力んだ味の缶珈琲を飲む。何も変わっていないんじゃないかと、何も積み上がっていないんじゃないかと、それは可視化不可能だから、不安というか、不安にすらなりようのない混乱。自分が自分のままであり続けること、そしてそれにまつわる心配り。拭い去れない。無視できない。成長なんてものがまるで感じられない。今の俺は十五秒前の俺よりも魅力的なドラムを叩けるのでしょうか。知りません。寝てください。『冊子』のオーディション、懸命にやれなかったら殺す。肉が食べたい。いつか。

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