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サンプリングボリュームワン

 スーはいったいおれの何が気に入らなくてそんな態度をとるんだ? 英語が満足に話せないからか? カフェで開いたというあんたが主催のパーティーに出席しなかったからか? そして、マリアンヌ、教師のあんたまでどうしてこういうときに英語でおれに訊ねるんだ? ヴァンダにニコライ、ファーラよ、どうして学校に来なくなってしまったんだ?
「おれはここにノルウェー語を勉強しに来てるんだ。英語じゃない」
 とおれはようやくのことで言った。だが、それ以上、英語もノルウェー語も満足に話せないおれは、子供のように教室で往生しているしかなかった。教師の罵声こそ飛ばないが、あの高校の教室でのように。
「スモウマン」と誰かが小声でからかう声とくすくす笑いがきこえた。
佐伯一麦『ノルゲ』
 そうやって人心地ついているときに、ここしばらく忘れかけていた頭の違和感が微かに襲ってきた。右眼の奥の熾火がちろちろと燻りはじめているような痛みの感覚があった。
 ひさしぶりに長湯をしたせいだろう、とおれは思い、気残りながら、湯から出ることにした。ソファで湯上がりのビールをご馳走になりながらも、CDをかけてみる気にもなれず、不安な思いは消えなかった。窓の方へ立って行き、窓を開けて外の空気に触れると、いくぶん痛みは治まるようだった。しばらくそうやっていると、ウーラが隣に立っておれの太腿をつつき、何かお菓子のようなものを差し出した。もらい受けると、黒いグミで、我慢して食べるとゴムのような臭いと味がした。そういえばエスペンもこれが好きだった、とおれは思い出した。もっとあげるよ、というようなウーラの仕草に、もうたくさん、とおれはやんわりと断った。
佐伯一麦『ノルゲ』
 スターバックは好んで危険を求めるたぐいの人間ではなかった。この男にあっては、勇気はひとつの感情ではなく、自分にとってのひとつの有用な物件にほかならず、生死にかかわる肝要なばあいには、つねに手元にあって利用できる道具にほかならなかった。そのうえ、おそらく、スターバックの考えによれば、この捕鯨業における勇気とは、船につむ牛肉やパンとおなじく、重要な備蓄品のひとつであって、いたずらに消費されるべきものではなかったのである。
ハーマン・メルヴィル『白鯨』
 工場ではそのころ、機械が微動だにせず突っ立っていた。退屈な人びとのように、紙製品のように悲しげに。そしてふいに、薄っぺらで特徴のない、とらえどころのない恋しさ。朝七時にして、すでに行くあてのない人たち。
 何の義務感もないかのように軽い青い大気の最初の月、粘つくつぼみの最初の月は、こんなふうに過ぎていく。
デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く』
 路上へ、十月の琥珀色の夕闇に出れば十分だ。午後四時と五時の間のそのひととき、人生はいつも「壊れてしまって」いて、どんなことも私たちには起こりえない。
デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く』
「平気じゃないよ」と母ちゃんは言う。「子供らがほうぼうで喋って、それが大人の耳に入って、大人がほうぼうで喋って、そのうち念のために調べようってことになりそうな気がする。トム、おまえ逃げたほうがいいよ」
「だからおれは最初からそう言ってるじゃないか。母ちゃんが食べ物を暗渠に置くのを見られたら、ずっとあそこを見張られるからな」
「わかってるよ。でもおまえにそばにいてほしかったんだ。おまえがどうなっちまうのか怖くてしかたがなかった。今日もまだおまえをちゃんと見てないよ。見えないんだもの。顔はどう」
「だいぶいいよ」
「近くに来て、触らせとくれ。ほらもっと近くに」トムは這って近づいた。母ちゃんののばした手が闇の中でトムの頭を探りあて、指がおりていって鼻に触れ、ついで左の頬に触れた。「ひどい傷跡。鼻もゆがんじまってるし」
「かえっていいかもな。おれだとわからないから。指紋さえ記録に残ってなきゃいいんだが」トムはまた食べはじめた。
「しっ。あの音!」
「風だよ、母ちゃん。ただの風」風は下流に向かって吹き、途中の木々をざわつかせた。
 母ちゃんは息子の声がするほうへさらに這い寄った。「もう一回触らせてとくれ、トム。まるで目がつぶれたみたい。真っ暗だ。あたしは覚えときたいんだよ。覚えてるのが指だけでもいいんだ。トム、おまえは逃げなきゃいけないよ」
ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』
 根津からずいぶん歩いたところに会場はあった。建物はもともと理容店だったようだが、看板は劣化し外壁の彩色も剥がれ落ちていた。今はギャラリーとして活用されているのだろう。部屋の内部の空間は壁が赤く塗られていて、壁側に古い不揃いのソファーが複数並べてあった。通りに面した壁はガラス張りになっていて、外からでも内部がよく見えた。五、六人の男女がソファーに深く座り、過剰なほど気だるそうな表情を浮かべて水煙草の煙を吐いていた。彼らは観客なのかパフォーマーなのかわからなかったが、そのなかに飯島さんもいたから、おそらくどちらも混ざっているのだろう。パフォーマンスアートと呼ばれるものらしい。外からカメラで、その光景を写真におさめている若者もいた。
 ギャラリーのまえを通り掛かった作業着姿の日に焼けた配管工の二人組が、その光景を外から眺め、「なにやってんだこいつら」とつぶやいた。その言葉がなぜか妙に心に刺さった。羞恥に近い感情だった。
又吉直樹『人間』
 大衆は、時間をかけて消化した藝術の、紋切り型のなかから汲み上げたものを通じてしか、自然の魅力や雅趣や形態を知ろうとしないのに対して、独創的な藝術家はまずそうした紋切り型を排することから始める。
マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第一篇「スワン家のほうへⅡ」』
 スワンはこの忌々しい出来事をオデットに話さなかったし、自分でもそれ以上考えなかった。しかし、ときどき、ふとしたはずみで思考がそれまで気づかなかったその出来事の記憶に出会い、ぶつかったはずみにその記憶をさらに奥に追いやることがあり、スワンは心の奥底に届く深い苦悩を突然のように感じた。スワンがどんなに考えても一向に弱まらない点で言えば、それは肉体的苦痛に似ていた。ただ、少なくとも肉体的苦痛であれば、思考からは独立しているから、思考がそこに足を留め、痛みが減ったか、一時的にでも止まったかを確かめることはできただろう。だが、この苦悩は、それを思考が思いだすだけで蘇ってくる。苦悩のことを考えたくない、というのは、苦悩についてまだ考え、依然としてそれに苦しむにひとしい。
マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第一篇「スワン家のほうへⅡ」』
 ウニ姉さんは豊かな黒髪で額を隠し、後頭部は男の子のように刈り上げていた。いつも同じその髪型に黒縁めがねをかけた日は、ただでさえ子どもっぽい丸顔が生まじめな女子高生のようだった。インテリアが豪華だったり、おかずの種類が多すぎたりするような飲食店は面倒で嫌だと言い、季節ごとに三着ぐらいの服を決めておいて代わる代わる着た。事情が許せばもっと勉強したかった、研究生活をしたかったと私に言ったことがあったが、たぶんその方が彼女には似合っていただろう。いつだったか、地下道の出口で彼女が出社する後ろ姿を見たことがあったが、忙しく行き交う人々のあいだで、彼女はまるで散歩に出てきた人みたいにゆっくりと、壊れやすい沈黙を保護しているかのような慎重な足取りで階段を上っていた。
ハン・ガン『回復する人間』

 こうやって、読んだ本の好きな部分を書き写していると、自分のリズムがわかってくるというか、横に本を置いて、見ながら、記憶した文章を打つと、語尾や句読点の位置、漢字ひらがなの選択なんかに自分の文章が勝手に入ってきて、また本を見て、あ違う違う、と書き直す動きがおもしろかった。
 低気圧に喰らう日々です。『誰かの日記』のデザインが徐々に固まってきています。校正がなかなか進まない。大変だこれは文字数が。短歌も、綺麗な紙に印刷して、配ります。紙代と送料だけ負担してもらう形で、三百円ぐらいかな、ネットに公開するのはあんまり好きじゃないというか、短歌がなんなのかとか全くわかってないけど、なんか紙で読んでほしいなと思ってて、小説とか脚本はそうじゃないけど、なんか。準備完了したらまたお知らせします。脚本を担当した映画『アボカドの固さ』が四月十一日から渋谷のユーロスペースで公開です。観に来てください。僕から直接前売り券を買うことも可能なので、街で見かけたら、「前売り券ちょうだいちょうだいちょうだい」と言ってください。笑いながら売ります。そこに夕日が差してバスが来ます。今、カップラーメンを箸じゃなくてフォークで食べてるけど、フォークの方が贅沢に感じるのはなんなんだ。

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