3.11


こんばんは、日をまたぎましたが、今日はいくつか書きたいことがあって、いくつかアップするかもです。

10年経ちましたね。
正直、何も書くことはできないというか、あれから、10年、いろんな災害がありましたが、幸い自分が被災者となることなくすぎました。
台風で停電して、ちょっと困ったくらい。
だから、書けないというか、とても強い悲しみがある話とか目にすると、わたしが何をいうのかってなります。
今、コロナ禍で、大袈裟でなく命の選択に迫られた人もいたでしょう。苦しい思いは身体的なことだけでなく、精神的にもあったことでしょう。

思いや、気持ち、感じたことはその人だけのものだと思います。想像することはできます。でも、共感ってとても難しい。私たちはそれぞれ別の肉体に生きている生き物。気持ちが色で見えたりするわけではありません。(もちろんスピ系で見えちゃう人もいるかと思いますが)そうして、わかるよって、言っちゃうのって、自分の気持ち(共感したよって言いたい気持ち)…とても表現が難しいけれども、例えば頭のなかでシンクロした思いがあったとしても、言葉にすることでまた違ったフィルターを通っていく。

だから、言えない。言葉にするのは、なんかあったら聞くよ、とか、黙って背中をさすったり、月並みなことばかり。
わかってるよとか、そういう、こちら側のことなんて、気にされたくない。
相手が話したかったら聞くし、ただ黙って泣きたいだけなら付き合うし、一人になりたいなら席を立つし。

自分の気持ちも大事だから、相手の気持ちも大事。エゴかもしれないけどそう思います。とても近しい、好みや感じ方が同じ人がいても、やっぱり何かズレがある。だから、ちょっと黙る。ちょっと黙って聞く。違いがあるということも大事。

あなたと、わたしは別の人間。被災した人とわたしとは別の人間。だから、黙って聞く。相手のリクエストを聞く。何もかもができるわけでは無いけれど。

苦しいことやかなしいことが、いやされて欲しいから、自分もいやされたいから、黙る。遠くの人に祈る。自分も幸せになりたいから、あなたも幸せでありますように。


たくさんのお金や、ボランティアも簡単にはできないけれども、わたしのできることをする。


あの日、テレビを見ていた。遠く離れているから、揺れたりもしなかった。水が浸食していくのを、遠隔のカメラでみた。原発。
Twitterに張り付いていた。テレビを見たりした。
まだ、今の職には就いていなかった。
ネットで知り合った友人と何ができるか話した。
医者にちょっと、情報から距離を置きなさいと言われた。

なんだかんだ言って、同じ日本人と思っている自分がいた。


自分の気持ちでいっぱいだと、相手にキツい態度をとってしまったりする。それは、誰にでもあること、あなたが、ニコニコしていると、わたしも気分が良くなる。
あなたが幸せだと、わたしも幸せだ。

少しでも、ただ辛いだけでは、なくなりますように。
祈るように。笑える時間が増えますように。


そんなことを考えた、10年目でした。

刺さるほど勢いのいい、投げ銭。 お待ちしております。