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8ヶ月前のわたしへ


「変わりたい」なら、
「変わった先の自分」を体験してみる
がいちばんだと知った、8ヶ月後のわたしより。

POOLO4期生として過ごした
この8ヶ月間は、わたしにとって『変身期間』になった。


変身しようと思って入ったわけではないけど

「ちょっとでもやりたいと思ったことは
ぜんぶ叶える期間にしよう!」と思って

私にしては、たくさんアクション起こしたつもり。

それが結果、変身期間になった。

なんていうか、なにかしら、変わりたいとか
より良くなりたいとか思って生きてたり、

POOLO入ったりすると思うねんけど

変わりたいときは、
変わった先の自分を体験してみる

のが大切やなと感じた。


今思い返せば、POOLOに入った理由として
初めてPOOLOを聞いた時、あ、これ私も入るやつやっていう直感が働いたのは、まちがいないねんけど

多分もういっこ、今の私よりも理想の私に近いすきな人が
通った道を私も体験したいと思ったから。

なんていうか、POOLOって
理想の私になる練習台というか、そういう場所になってくれそう〜っていう完全利用目的

まあ、当時思ってたよりも
もっといろいろ体験、体感できた。ありがたい。

完全に変わり切るなんて難しいし
ぐ〜んわんって、反動というか
めっちゃチカラいるし、負荷がかかるから

「やっぱこのまま変わらないままでいたい〜」
ってなって、結果変われないままになるし

そもそも、どうやってなにから変えていったらいいかわからんくて、そのまま時間だけすぎて、ゲームオーバー。

だから、POOLOという長いか短いかよくわからん
この期間に、プリキュアみたいに、変身してみる。

プリキュアも、ずっと戦いモードはしんどいと思うねん。ずっと戦闘服着とったら、気抜けへんし、困ってる人絶対助けなあかんし、

だから、ちゃんと高校生?モードと、
戦闘モードに切り替えて、オンとオンで生きてる。

オンとオフじゃなくて、
オンとオンな人生がすき。

POOLO期間は、わたしにとって
『理想の私モード』に変身する期間になった。

というか、「やりたいを叶えよう!」っていう
心意気が自然と、理想の私モードスイッチを押してたんやと思う。

POOLOでみせてた私が、理想の私かと言われると
まだまだそうではないねんけど、少なくとも

ちょっとだけ理想の私に近づいた私、ではあった。


なんやっけ、このnoteのテーマ、
わすれてたあぶな。

ちゃんと卒業制作noteにしなあかん。

【自分と世界を豊かにするために
自分にできること&したいこと】

自分と世界を豊かにするために、できることは

豊かであることやと思う。

自分と世界は一緒というか、
自分の見たもの、聞いたもの、感じたものが
私の中で「世界」になってるから

自分が豊かやわ〜って決めたら、世界は豊かに映るし

なんなんこの世界〜って思ったら
なんなん〜な世界になる。

だから、豊かであり続ける
っていうと、大変そうに聞こえるけど


実はもう既にめっちゃ豊かやねんよな、
生まれてきたことが奇跡やのに、

生まれてきただけじゃなくて、今日も生きてるし、
今日も生きてるうえに、元気に生きれてるし

会いたいな〜って思う人がいることも、
その会いたい人も生きててくれて会えることも。

その上、おいしいごはん食べれて、
ありがとうって伝えたい相手がいて

だいすきなひとにおかえりって言える毎日。

これ以上なにを求めますか、泣ける
泣けるぐらいにはしあわせ。

もう既に豊かであることに気付いてて、
それをちゃんと拾って、
ありがとうができる人でありたい。

POOLOで、みんなのみんななりの豊かさを聞いたり
一緒にごはんたべたり、ちょっとしたときに

豊かさを拾ってる姿を近くでみることができて、

そうやって拾うんや〜とか
それも拾えるんや〜とか

拾ったやつ、そうやって表現するんや〜とか。

豊かさもひとの数だけ、というか、
ひとの数以上にあるんやと思う。

まあ、豊かさも解釈のもんだいやと思うから、
ひとの数は存在するんやろうな。


POOLOっていう変身期間が終わった今、
8ヶ月前(変身前)の私に戻るのかというと
絶対そうではない。


ちょっと理想の私に近づいた私、に
変身することができるようになった私、は
もう既に変われてる。

POOLOっていう変身期間で、
得たのは、たくさんの変身道具。

理想の自分に近づく方法もそうやし
豊かさに気づく心もそうやし
なんかあったら頼れるお友だちもできたし
なにもなくても会いたいお友だちも
アクション起こすときの勇気も
やりたいことやれたあとの感情も
だれかとなにかをつくることも
実はなんでもやれてしまうことも

ぜんぶ、変身前には知らなかった世界、
POOLOという期間を経て、
映し出せる「世界」が広がった。


「自分が見たものが世界」って言ったけど
「世界」を世間一般的にいう「世界」っていうか

自分が「これが世界だ」って言いたいぐらいの大きさ、

たとえば私やと、地球ぐらい(欲張り)に広げたかったら

自分自身を広げるしかないってことになる。

だから、教科書で見たミロのヴィーナスを
教科書の中で終わらせるんじゃなくて

奥行きのある、この目で感じたミロのヴィーナスに
することが大切やし、これからもそうやって

この地球に生まれてこれたこと、
人間として生きてること、を堪能したいって思う。

この想いは、
教科書で歴史を習うようになってからかな、

「これってほんまにあるんかな〜」
「ここってほんまにこんなんなんかな〜」

って、割とそういうの疑いから入るタイプやったから

全カ国行ってみたいし
世界遺産もぜんぶ見てみたいし
どんな景色が存在してるのか、なにがあるのか

『自分の目で確かめたい』って、本気で思ってたし
できると本気で思ってたことを思い出した。


POOLOで「なにをやりたいか」「なにをやりたかったのか」をいっぱい感じ取ろうとしたから、幼い私のやりたいを思い出すことができた。


『世界は自分の見たもの感じたものでしかない』
っていうのも、

そういえば、最近おもったことではなかったな、
ずっと前にもそう感じてたな〜って。

それを、POOLOの講義とか
だれかとの対話とか、いろんなものに刺激されて

わたしの中にいっぱいある小さな扉が
パカッパカッて

たいせつな、たいせつにしてたはずの
逆に、たいせつに丁寧に包みすぎてわすれてたとこの
扉をたくさん、開いてくれた感じ。

人はわすれてしまう生き物なので、
大切なものをちゃんと大切にするために

わすれたときのために、おもいだせるようにしておきたい。

そんな心遣いに気づけるひとでありたい。


なんか、いつも通りよくわからんまま
終わろうとしてるし、ま〜た長くなっちゃったけど

まとめると、

【自分と世界を豊かにするために
自分にできること&したいこと】は、

豊かであることに気づく自分であること。

もう既に豊かであることに気づいて、
それをちゃんと拾って、ありがとうをする。

そして、
「自分の感じたものでしかない世界」を広げるために、
地球に生まれたことと、人間として生きてることを堪能する。

簡潔に言うとたぶんこれは、

うん、そうよな〜

旅ってことになるよな〜〜

すごいなあ。

POOLOに入った結果、旅しようってなる、
完全にやられたオチ。美しすぎる。

ありがとう。

ほんとうに、ありがとう。

だいすきです。

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