なにかたべたい

なにかたべたい

 とてもなにかが食べたい。いったいわたくしはなにを食べたいのか。
 「好きな食べ物はなんですか?」
 自己紹介における初めの質問として最も人口に膾炙した、いわば話題のための話題。わたくしはいつもその返答に窮する。
 「えっと、嫌いな食べ物が椎茸なのでそれ以外のものであればまず食べられますね。」
 違うのだ。それは質問に答えていない。論理学を勉強せよ。定義を定めよ。集合を確認しろ。
 好きな食べ物⇔好きな食べ物=好きな食べ物

好きな食べ物がなにかと聞かれて無邪気にカレーライスと答える君が愛おしくて仕方ない。

 あぁ、カレーライスはたしかにうまい。だがそれはすべてのカレーライスについてそう言えるだろうか。百人いれば百杯の異なるカレーができる(極稀にカレーと呼べない代物も生成される)。あるカレーライスが好きだ。君はカレーライスをひとくちに好きということの重大さをわかっていない。それでもカレーライスを愛し続ける覚悟があるというのなら、わたくしを倒してから先に進みなさい。


 何が好きか聞かれたら、哀しいかな、それは相手だってわたくしが本気の試行錯誤を凝らした、ウィットに富み、ユーモアあふれる返答を期待しているわけでもなかろうに。哀しいかな、わたくしはそれではいけないのだ。

自己の差別化。それは近代病。

ん〜、味噌納豆牛乳ラーメン!(これは嘘だ)

現にいま何が食べたいか

 ざらざらとした舌触りの砂糖が、真っ先に思い出された。わたくしはそのようなテイスト及びテクスチャを求めているのか。いやしかし、ほんとうにそれはわたくしの希望そのものであろうか。

ついさっき、歯を磨いた。

 ざらざらとした、舌触り。その正体は歯磨き粉の粒であるのだろう。砂糖の甘味は少年の頃の思い出。歯磨き粉への密かな反抗心。いやそれは歯磨き粉への反抗ではない。幼かった日のわたくしを縛り付けたすべてのものへの、である。

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