辛い日の頭の中身

 浪人生活というものは、勉強している以外の時間に常にどこか罪悪感のような何かを感じてしまうものだ。「もっと勉強しないと」その焦りが確実に心身を蝕んでいく。
 夏季期間中の私は毎日往復で2時間半の電車に乗り自習室で朝から夜まで勉強する生活を続けていた。身体の弱い自分には県をまたいだ移動による気候変動がかなりこたえた。長い移動時間に休まらない身体の疲労も蓄積していた。それに正直かなり気が滅入っていた。なんせ、今年で結果を出さなければ、というプレッシャーや「浪人生だから夏冠はA判定で当然」、というプレッシャーがのしかかってくる。「Eじゃなければいいなぁ」なんて軽い気持ちで受けていた去年とはその心理的負担の大きさは違う。
 夏のいくつかの大事な模試が終了した安心感からなにかわからない身体の神経のようなものが乱れ、体調を崩してしまった。一種のスランプのようなもので、どうしてもペンを握れなくなった。自習室に行くと周りの人はみな勉強をしている。僕はペンすら握れていない。とても辛かった。
 休息を増やしつつなんとか少しずつ勉強に手を付け始めたがもはや夏季期間初期の勉強とは質の高さが違う。何をやってもいきあたりばったりな感じがした。それでもいつの間にかカレンダーは8月後半で、いまいち疲労の取れない心身を奮い立たせる必要を自覚しつつもどうしてもできなかった。勉強が辛いと思ってしまった。
 そしてちょうどこの時期に全く想定していなかった私的な事情でますます自分の精神が乱されてしまった。ここらの心身の乱れによってもともとある発達障害の傾向も度を増した。自分の精神がうまくいっていないのがわかる。勉強しなくてはならないのにペンが動かない。紙の散乱する部屋、服は廊下に投げ出され、片付けがしたくてもどうしても片付けられない。どうしてかわからないけどどうしてもできない。それを見るのもまたとても辛い。
 浪人生は経済学的に存在し得ない存在であり、所属機関も国の他無い。勉強ができるか否かでしか価値の判定がされ得ない。個人が個人である必要が無く、代替可能性が上がるのだ。なんだか急にそのことに気づいて辛くなった。成績の中途半端な自分の存在になにか今意味はあるのか?わかりやすいから採用していた因果律はヒュームに否定されてしまった。これでは即ち自分がなにか絶対的な意義を持って生まれてきたとは言えない。カントの認識論を抽象概念に当てはめてみると事象の解釈だって、そもそも事象自体個人の思考の内部で形成されるものに過ぎないが、結局個人の裁量だ。無力感。これでは自分の行動の意味付けを自分の行動によって確定させることはできない。どうしよう。どうやって生きていけばいいのだろう。悶々としながら時を過ごした。
 加えて、その交換可能性の上昇で自分に固有の価値を見いだせなくなったことと関係があるのかわからないけれどなぜだかとても他の人に対しても自分に対しても猜疑心を抱くようになった。他人のことを信じられない自分すら信じられない。電車のなかで、ふと「あれれ、ここはどこで僕は誰だろう。僕って本当にこの世に存在してるのかな」と思われてなんとなしに涙が流れてくる程度には自分の存在そのものすらも疑ってしまった。他の人が見た自分と自分の思う自分が違う気がして、もっといえば自分の知っている自分が本当に自分なのかがわからなくなってしまって、とても辛かった。
 「独我論」「シミュレーション仮説」といった話を思い出し、つまり自分すら作られた存在なのではないか、この世には実は自分しか存在していなくてこれは夢の中ではないか、他人などというものは存在しているのかということをひとりでぐるぐる考えているうちに。ふと辛くなって死にたくなった。だって、勉強も捗らない、身体も弱い、発達障害が日に日に悪化している、人のことを信じきれない、自分すらも信じきれない、こんなんじゃだめでしょ。もちろん実際に行動を起こすかというとそれは別問題だった(理性的、合理的な判断で)が、遺書を書いてみたり自分の死後について考えたりする時間が長かった。
 堰を切ったように溢れ出した自死の願望を抑えたかった。なぜだかわからないけど今まで関わってきたたくさんのひとに申し訳なくなって夜、ベッドで涙を流した。同時に自身のそうした身勝手さ、自分だけが辛いと勘違いしているような身勝手さを自覚させられる出来事が起きて、もう、だめだった。誰とも関わりたくなくてSNSを一旦全て閉鎖した。
 よく眠れなかった日の朝でもルーティンとして予備校に向かう。そうしないと後にその日勉強できなかった自分に辛くなるから。寝坊したせいで抗不安薬を飲むのを忘れていたがとりあえずいつもどおりの時間に僕は駅のホームに立っていた。ここに飛び込めたらどれだけ楽になるだろう、なんて思いながら。よく眠れず意識は朦朧としていた。頭の中は全面的に「死にたい」で支配されていたが、わずかに残った根拠もなにもない「死んじゃだめ」の声が脳内に響く。「ああ死にたいなんて考えちゃだめだ」フラフラと線路に落ちてしまわないように僕は電柱にしがみついて目を瞑った。電車の向かってくる音がする。毎日聴いているからどのあたりに電車がいるのかわかる。電車の揺らした空気が僅かに伝わってくる。「大丈夫、大丈夫、大丈夫」小さな声で呟いて、深呼吸をした。ドアの開く音がした。僕は死をとりあえず免れた。

なんだかんだまた悶々としながら1日を過ごし、なんだかんだ帰宅すると、その日の夕飯は豚肉の生姜焼きであった。なんだか、とても美味しくて、どうでも良くなってしまった。それに大好きな人たちが心配してくれていたことを知り、満足感を(不謹慎だけど)覚えた。ありがとう。人生がなんだか、自分がなんだかは全くまだわからないしいまは何もかもが辛いけど。心配してくれる友達がいる限り僕はまだ笑えるのかもしれない。

ここまでが今日の朝までのお話、でした。

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