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人(親)の老い見て 我が老い考えろ

※ 以前(二つ目の仕事)病院に勤めてました。今回の投稿は、捉えようによっては語弊があるかもしれません。しかし、イチロー引退について著名な方のコラムから、似たり寄ったり人は考えていることを知り投稿します。

「年齢について考えるとき、スポーツ選手の年齢については、あまり考えない。同窓会で会うような、同い歳のふつうの人が、どのくらい肉体が衰えたかといううようなことは、結構気にしています。」

病院勤め時、病院は高齢者が多かった。しかし、年齢では意識をしていなかった。上記のコラムにあるが、十数年ぶりに会った同窓生で愕然とした。当たり前だが、年齢なんか意味しないぐらい人それぞれに大きく差がある。それからが「老い」についてジワリと調べている。先の投稿でも重ねているが、素敵に歳を重ねている諸先輩方から必死に学ぼうとはしてした。「若さにすがらない・過去の経歴をひけらかさない、さりげない姿」。自分を含めた同窓生の姿は、明らかに若くない。認めざるを得ない。有り難いことに親の介護があって、高齢者の多い病院勤務経験ありと思っていたが甘かった。「全く予想だにしない老い」が存在することに面食らった。その幅が広い。病院職の経験の無い方なんか、私以上だろう。実際、私の姿を見て笑っていた人々も実年齢を知り、またご自分の親の介護となって態度が変わる。

誰よりも気が滅入っているのは「老いた本人」である。「間に合わないのである」。

介護している人の姿、老いている人の姿 及び 介護されている人の姿から、我が身に「必ず平等に来る老い」の部分から将来の自分の老いの姿を想定し、早ければ30代くらいから様々に考え 医療補助など調べて準備を少しずつ始めて欲しい。これは、急病になったときにも 我が為だけでなく家族の為にもなります。

私が過去に遭遇した中で意外と多かったのが、30代以上で結婚・出産。子育てが大変な時期に、親の高齢化による急病(入院)・介護が重なるケースです。このような形になると出費も大きく重なります。そんな時に必要な情報が集まらない、助けがあっても間に合わず意味をなさない。

まだまだ 若いから大丈夫・・・ではなく、若いからこそ「出来る老いの準備」を余裕のあるうちに準備して欲しい。

以前 勤めていた病院のDr曰く「三大疾病や生活習慣病は、だいたい同じような食生活だから 親と同じ病気になるケースがある。ご両親の老いを見て、老いたときの自分の目安にすると健康管理が出来るよ」これは、当たっている。

実際、私も40代後半から何かしら「老い」を感じる。気は若いのは素敵なこと。しかし、これを見誤ると大変な「本物の老い」で痛い目にあうことを忘れないで頂きたい。平等に、人には老いがくるのだから。

人(親)の老い見て、我が(将来の)老い考えろである。