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転勤族の妻を卒業する日

今週末、2年間暮らした富山を離れる。

昨日、少し時間が空いたので、
思い出の場所を最後に尋ねてみようと散歩に出た。

歩きながら思った。

これで富山も最後かと思うと、名残惜しいな

もっともっと開拓できたのではないのかな。
もっともっと楽しめたのではないかな。

そういえば、こんな気持ちは以前にも経験がある。

インド駐在の頃、帰任が決まったときもこう感じていた。

インドに馴染めず、日頃から日本に帰りたくて仕方なかったのに、
いざ帰国が決まると、急に名残惜しくなり、
もっと暮らしてもいいような気になり、自分でも驚いた。

それから思うと、富山での転勤生活は、
最初から気持ちはずっと楽だった。

言葉の壁も、文化の壁もほとんどないし

子どもも巣立ってもういない、身軽な夫婦暮らし

登山という新しい趣味もここで手に入れた。
日本酒のおいしさに目覚めたのもここ富山で。

毎晩のように、鮮度のいい刺身を食べ、
天気のいい日に立山連峰を眺め、
東京では考えられない生活が楽しめた。

一時は、富山永住!も考えたほど、素敵な場所だった。

そんなことをつらつら思い返しながらふと気づいた。

そうだ、夫が今の会社を定年退職する、ということは
私も転勤族の妻を卒業する、ってことだ!と。

夫の定年退職とその後の再就職のことで頭がいっぱいだったが、
実は、私にとっても大きな節目なのだ。

ご苦労であった、私。
よく頑張ったよ、私。

私は、地元で商売をする家庭で育ったので、
結婚するまでずっと同じ場所で暮らした。
引っ越しなんて、ただの一度も経験したことがなかった。

なのに、結婚後は転勤やら、住み替えやらで
35年間でこれが13回目の引っ越し。

中には、
冷蔵庫3台、トイレットペーパー3年分を詰め込んでの
インドへの引っ越しもあった。

いろんな家にも暮らした。

断水とゴキブリに悩まされた家もあれば
芝生の広い庭と、暖炉のある家もあった。

とにかく、
家の撤収・荷造りの段取りが手早くなった
新生活を展開するのも上手になったと思う。

正直、引っ越しは重労働なので
最近はキツイ(-_-;)

でも、そこで暮らした日々を思い返しながら荷物を整理し、
新しい生活に思いを馳せながら、荷解きするその過程には
何やら大きな意味があるように思う。

例えば、
自分の生き方を振り返る時間になる気がしている。
荷物の整理と同時に、
どう生きていくのかを考える機会になっていたのかもしれない。

会社の命により、半強制的に移動させられても、
自分の中で折り合いをつけながら、
環境の変化に順応する術も、得られたのだと思う。

35年で13回。
つまり、3年に1度は引っ越ししていたということ。

もういい加減、終の棲家に着きたい、という思いはあれど、
ひょっとして、ひとところに長くいられない体質になってしまったかも⁉
という不安も頭をよぎる。

それに、私の強みは、引っ越しで輝く✨

ただ、
これからは徐々に荷物を減らそう、と思う。

いつでも、気分に合わせて、
暮らしたい場所に
いつでも身軽に引っ越しできるように。

転勤族であったからこそ、
自分からは望まない場所で暮らす機会を得、
その場所を内側から眺めることができた。

この広い世界には、
暮らしてみたい場所がいくらでもあることも分かった。

大変なことも山ほどあったけれど、
転勤族でなければ味わえない良さ、もあることが分かる。

   *******

この数日ずっと悪天候で、立山連峰が見られなかったのに、
荷物が片付いて、いよいよ部屋を後にしようとしたとき、
数日ぶりに剣岳が姿を現した!

見送ってくれているのね・・・。

この部屋のこの窓からのこの景色に
どれだけ励まされことか!

ありがとう、富山
さようなら、富山

最高のピクチャーウインドウ!Thank you♡







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